そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

肩のタガ

2016-06-30 08:59:12 | 癒し
その女性は身内の方への強い怒りを出した時から、身体のはっきりした変化が始まりました。
それまでは原因の知れない症状のオンパレードです。
身内に対し断固とした怒りを発散させたその日から喘息の症状が治まりました。
心身ともにこれまで感じたことのなかった健康な一週間ののち、右腕に痛みが走るようになり、途中までしか上がらなくなりました。

一方で、今まで出したことのなかった怒りを出したことで、自身に対する気づきが得られるようになりました。
指摘された『頑固さ』というものが存在していることをそれまでは頭でも理解できないでいたのが、すんなりと体感されました。
それは右腕の痛み以外の体の問題をさらに解決していく気づきでした。

腕の痛みは苦しいものでしたが、わたしからみると今まで明確にされておらず焦点を当てることができなかった心中のやるせない思いが表面に出てきたことであり、進行具合としては好ましいといえました。

この痛みに対しては、
『感情を噴出させる機会がこれから先にあるから、自然にそれを出しなさい。』
という言葉が降りました。
安心して感情を噴出させること、噴出を許すこと。
あえてそういう状況にしようとしなくても、自然に出したくなる機会が与えられるから、そのまままかせなさいということです。
自然に何かがパンと破裂するようなもの、という表現が付け加えられます。
必ずしも怒りのような強い感情ではないのかもしれません。

その際も
『結果を気にしてはダメ。』
と伝えてきます。
「こうしたらこうなる」と思考を介在させると、感情の解放は中途半端に終わります。
経過、その瞬間を大事にして、すべきことをするだけ。
でないとやり残してしまうのです。

そのように話しているうちにも、肩の可動域が広がり、初めより右腕が上がるようになりました。
身体の面からいうと、腕の痛み、腕が上がらないという症状は、腕や肩だけの問題でなく内臓の強張りが胸や肩を自由にさせていないことが原因です。
そしてそのタガを外すには心の動きが必要になるのです。





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支配権 2

2016-06-29 07:41:26 | 癒し
先日お会いした方もやはり憑依がありました。
それはまず
『憑いているものをとってあげる』
という言葉が聞こえてきたからわかったことでした。
ご本人は見えない世界にそれほどご縁づけられてきたわけではありませんでしたが、身の回りに様々なことが起き始めた時期は、降りてくる言葉が指摘した通りでした。
人生設計の中でそのように選んできたものなのでしょう。

痛みが抜けるとまた、新たな痛みが中から出てきます。
指定してきた場所があり、そこを訪れることで新たな一歩が始まるようですが、いつもながら不思議なのはその場所のことをお伝えするとその場ですっと身体の状態が変わっていくことです。

『表層のものは取れた』
という言葉に安心する一方で、これから先は芯の部分と対峙し、解放していく段階に入ることがうかがえます。
それは先にお伝えした場所を訪れた後に起きてくることです。
今後の人生では何をしていくのかという質問があったのですが、それへの答えはこれまでの人生で着け続けた重りを外し、本来の楽な自分に気づいてからやってくるようです。

表層の余分なものが取れるだけでも顔色はぐっとよくなり、身のこなしにも軽いものがみてとれます。
これも自分の身体へのコントロールが効くようになったからこそです。
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支配権

2016-06-27 08:04:54 | 癒し

ここ一年ほど霊障らしき現象に悩まされた女性です。

寝ている時に何かに乗り移られたように叫び、ベッドの上でバタバタと跳ねるように暴れるので、怪我をすることもあります。

本人の意識はおぼろげにあるのですが、自分では事態をコントロールできません。

どのように対処するのか聞くと、なんとかお経などを読んだりすることで治まってくるそうです。

 

つてをたどって遠隔のヒーリングなどをしてもらうとその時は楽になるので、霊的なものが関係しているのではないか、とわたしのところに来てくださいました。

 

とにかく身体がカチカチです。

両足とも、膝から下に強い痛みがあります。

また、胸にも幾つかのポイントで痛みがあります。

胸が詰まっているせいで両腕にも影響がいき、ひじ上付近にも強い痛みがあるのですが、これは本人は自覚していません。

 

左足に意識を合わせているときにタヌキが入っていることがわかり伝えました。

山に近い場所にお住まいなのでタヌキがよく近くの道路に轢かれて死んでいることがあり、ご両親はよくそれを運んで裏に埋めてあげたりしているそうです。

タヌキとしては恩義を感じてもいいはずですが、何かしら念が入ってしまったのかもしれません。

また、人からの影響も胸のあたりに感じました。

 

正体が分かってしまうと出て行ってもらうのはさほど難しいことではありません。

正体が分かった瞬間には抜けてしまうことが多いとも言えます。

 

何かに憑かれていることはそれほど珍しいことではありませんが、ここまでとなると日常生活に問題が出ます。

こういった際、神経を支配されているのではないかと感じます。

経絡をうまく刺激していくとその支配を本人が取り戻すようになる場合があります。

 

セッションの途中からお腹がぐるぐる音を立てて動き始めたので、もう大丈夫と感じました。

このようなことで悩む方は多くの場合、お腹がカチカチに固くなってきて、鳴ったりすることなどがなくなります。

お腹が柔らかくなり活発に活動するようになると、本人のもとに支配権が戻ってくるように思えます。

人間の体は、口から始まり肛門に至るまでの一本の管が正常に働いていることが健康への条件です。

胃腸を整えることは必須です。

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「仮想」 3

2016-06-11 04:48:50 | 癒し

Aさんのセッションの続きです。

『メタの部分に入る。』

と伝えてきます。

「メタ」の意味を調べると、

<他の語の上に付いて、「間に」「超えて」「高次の」などの意を表す(大辞林)>

とあります。

 

同じ次元でコミュニケーションをとるのではなく、高い次元のものを通じてやり取りをすることを提案してきているわけです。

また、Aさんにそれが可能だということでもあります。

 

『これから先は、人間はメタを意識しないとやっていかれなくなる。

それがだんだん当たり前になってくる。

もともとやっていたもの。

思いの部分とか。

それがよりはっきりしてくる。』

 

意識が低いと何も動かせません。

どうしたらそこにもっていけるか。

それには

『自分のレベルで審判しない。

裁かない。』

という答えです。

 

Aさんは、

「難しいー。」

と声をあげましたが、そうでしょうか。

ひらめきの部分に任せ、力を抜くことが要求されているだけだと思います。

自分で答えを出そうという意思を介在させなければいいのですから。

 

そしてこれは、

『Aさんの抱えている問題を紐解くことにもなる。

発想の転換。

プライドを捨てよ。

パズルは解ける。』

ということになるそうです。

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「仮想」 2

2016-06-09 19:17:50 | 癒し

なぜ言葉では伝わらないのか。 

それは、Aさんが使う言葉とその人が使う言葉の中身が違ってしまっているからです。 

生きてきた背景が、その人の言葉の定義を作ります。 

また、普段言葉を何気なく無造作に使う中で、言葉の定義を失わせたまま進んでしまうことは珍しくありません。 

ここまで話すとAさんは深く納得しました。 

言葉の意味を取り違えられるのが日常茶飯であることが身にしみているからです。 

 

言葉の本来の定義を正確に捉えていくことが望ましいのですが、今は他人にそれを説得している場合ではありません。 

それに対し、「仮想」の中で伝えられてきたイメージがわたしにはよく理解できたのでした。 

より具体的に、映像的に、動画的に、意味を失わせないままにそれを相手に転送するのです。 

情報量がより多く伝わることになります。 

 

この転送を万事において行えるように訓練するのは、Aさんにとって非常にいい訓練になります。 

『Aさんの世界をこれから作れる。 

これから先がAさんにとっての、見えない世界、精神面での探検になる。 

過去のやり方をある意味忘れ、新しい方向に入っていかないと。』 

『主観的でなく、自分を置き去りにして見る見方ができるようになる。 

自分じゃないものの見方。』 

違う視点が自分に入ってきます。 

高次元からのメッセージと言ってもいいかもしれません。 

 

Aさんは、 

「今の自分の器の中では限界と思う。 

いっぱいいっぱいです。 

次に進まないと、という気はしています。」 

と語りました。 

わたしも自分の体験を話します。 

「一人の人間が一人の病気の人間に対し、できることは限られています。 

わたしの力で人の病気や精神的なものを治してあげるなんてことは無理。 

自分でないものに委ねないと。」 

話しながら自分でも整理がつきました。 

それが、 

『自分を置き去りにして、自分ではないものの見方をする』 

という意味なのです。 

それをAさんは持ちえます。 

やはりわたしがしていることに近くなりそうです。 

 

一言付け加えておくと、これは「自分のものではないものの見方」を転送するからこそ有効なのです。 

自らの一方的な価値観を見えない世界を通じて離れた相手に植え付けようとすることは、その人自身も影響を受け、危険なことになります。 

自分の「限定された力」を使って相手を癒そうとするのが危険なのと同じことです。 


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「仮想」 1

2016-06-08 07:40:08 | 癒し

社会福祉の分野で働いている女性、Aさんです。 

精神保健福祉士の資格を取る方向で進んでいます。 

そもそもはそれが目的ではなく、いずれは見えない世界を背景にはたらきを出していくことになりそうな方なのですが、現在は今まで学んできた規定のコースからその道に進みました。 

 

Aさんはもともと人生経験豊富で人を見る目がある方です。 

精神障害者に対する援助の仕事をしていながら、接する方々のどこに問題があるかを即座に見抜きます。 

「どうして自己中心的に考えるのか」 

「なぜ人のせいにばかりするのか」 

という思いがめぐるのです。 

このストレスはわたしにもよく理解できました。 

「他人が幸せになるように考える」 

「他人への思いやりを持つ」 

ことが、その状態から抜け出すには早いのですが、それは口ではなかなか伝わらないのです。 

「どうしてもその状態から抜け出したい」 

と日夜方向を模索している人には可能性があります。 

しかし、毎日をこれまで通りに過ごしているばかりで手一杯だと、その場での自分の不遇をかこち不満だらけ、人のせいにしてばかりで悪循環から抜け出せません。 

逆に言えば、 

「自分に原因があったのだ!」 

という気づきさえあれば、もう好転への第一歩を踏み出しているのです。 

 

なんとかしてあげたいという気持ちから熱くなり、Aさんは彼らにアドバイスをするのですが、自らの根本的な問題に目を向けようとしない人からは逆に疎まれてしまいます。 

「Aさんに強く言われた。」 

という苦情が上司に行き、余分にストレスを抱えることになりました。 


『仮想をしなさい』 

という言葉が降りました。 

読み方は「かそう」ではなく「けそう」です。 

辞書で調べるとその言葉はないのですが、伝えながらそのイメージは浮かび上がってきました。 

 

その人が思いやりをもって行動する姿を思い浮かべて、その人の頭の中に投影させる、という場面が見えたものでした。 

「こうしてみて」 

と言葉で言ってもきつくなりますが、うまくいっている姿をその人にインプットすることからはコミュニケーションの軋轢は生まれません。 

「その人が思っている幸せ(他人が自分の思うように行動する)」ではなくて、 

「こういう生き方が調和的で幸せなのでは?」 

と想像する姿を送ってあげるのです。 

 

ちなみに「けそう」と読む言葉には「懸想」というものがあります。 

「異性に思いをかけること」 

という意味で、本来存在する言葉「仮想」と「懸想」の一部同士を組み合わせれば、今回の「仮想」に近いように思えます。 

 

エネルギーは言葉以外でも伝わります。 

言葉で通じることもありますが、伝染させている思いもあるのです。 

ある人に触れるとパッと気づくことがあるのも事実です。 

それは見えないかたちで流れ伝わっているものがあるからです。 


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熊本の「鍵」 2

2016-06-02 12:18:27 | 旅の記録

この場所が

『聖所』

という言葉から始まりました。

 

『神の意志が近い。

大きな発表がある。

火の神が出る。

752』

 

熊本という地がどういう状態にあるかが気になっていたので聞くと

『土壌はキッとしている。』

キリッと、というイメージです。


さらに祈っていると、これから先へ

『促す力』

を感じます。

そして、

『人は皆平等を感じ始める。

順番にやる。』

で締めくくられました。

 

祈っている間は軒下にいるので雨の音が強くなっているのがわかるだけでしたが、振り向いてみると雨は川になって階段を拝殿に向けて流れてきているのでした。

 

拝殿脇からさらに下に階段を降りると御塩井という湧き水の出る場がありましたが、小道が完全に水没しており、行くのを諦めました。

 

 

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熊本の「鍵」 1

2016-06-01 14:17:28 | 旅の記録

地震後の熊本で「鍵」になる場所が

『草部吉見神社』

だと伝えられ、タイミングを見つけて回ろうと考えていました。

高森町にある、阿蘇外輪山の東南に位置する神社です。

ここ20年でパワースポットとして非常に有名になった幣立神宮からそう離れた場所ではありません。

<草部吉見神社の地図>

興味がある方は中央構造線の地図を拡大して見比べてみてください。

重なっていることが顕著にわかります。

<中央構造線の地図>

 

5月29日(日)は元々福岡でセッションに充てるつもりでいたのですが、どういうわけか今回はなかなかご希望の方が出てきません。

ならばとその日に熊本行きの予定を組むことにしました。

するとパタパタと進み始め、熊本にお住いの方に現地でお会いすることになったり、万事が仕組まれていたかのようにスムーズに運びました。

 

朝8時半に博多から熊本駅に到着。

手配しておいたレンタカーに乗ります。

事前に調べて多少の遠回りがあることはわかっています。

 

レンタカーのナビが示した道は、御船町、甲佐町、山都町を通って草部吉見神社のある高森町に至る、南側にぐるりと迂回するものでした。

この通りに一部並行して走る川を渡る橋には、地震により破損があったのか工事中で通行できないものがありましたが、ルート上には通行止めの箇所はありません。

 

甲佐町に入ると、屋根の瓦が一部飛んだのでしょう、青いビニールシートに重しを乗せてある家が半数以上ある地区もありました。

東日本大震災の2ヶ月後に走った千葉県内の東部の様子と似ています。

 

2時間程度で草部吉見神社に到着です。

雨が強く降っていました。

今外に出てもびしょ濡れになるばかりと、しばらく車内でその後のルートをどのようにとるか地図を眺めているうちに、雨は静かになってきました。

 

宮崎の鵜戸神宮、群馬の貫前神社とともに「日本三大下り宮」とされているそうです。

鳥居をくぐって拝殿に向かう様子は写真の通り、階段を下っていくものです。

 

鳥居をくぐってすぐに雨が強くなりました。

折り畳み傘はカメラと鞄を守るために前目にさしているので無防備な背中側は強い雨に容赦なくさらされ、メッシュのスニーカーの中は雨が浸水していくばかり。

これはもう、こういう日に呼ばれたのだと覚悟するしかありません。

 

 

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