そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

憑かれるのにも訳がある

2006-12-31 06:41:04 | 癒し
体にいろいろと変調が起こっている女性です。
「股関節がおかしくなり歩きにくくなって来た」
「しゃべりにくくなり、どもるようになってきた」
「めまいがして立っていられない」
など、病院に行って相談しても原因が分からないということでさじを投げられるケースでした。
上に書いた不思議な症状ははじめてお会いしたときのものですが、今となっては本人も首をかしげる出来事でした。

今回は胃腸の調子が悪い、というところからはじまり、頭が痛くてどうにもならない、ということで、電話でご相談いただきました。

電話で話していると、何かに憑かれているということがすぐに聞こえてきました。
それが何者なのかはそのときは出てきませんでしたが、そうなっていく過程はよくわかりました。
(今こうして文章を書いていると、その正体は地元の光になっていないいのちだということが聞こえてきました。)

ことのはじまりは自分を責める事、心配してくよくよ考えてしまうことでした。
『自分をもっとほめてあげて下さい』
簡単なようで難しいことです。
気がつくといつのまにか、自分がした事の是非を問うて、これでよかったのか、というジレンマの海に投げ出されています。

また、今回心配の種になったのは、小学校に通う息子さんの交友関係でした。
もうすでに、息子さんは解決している問題でしたが、今度はお母さんが
「そのままで大丈夫だろうか」
と心配し始めたのです。

「息子は大丈夫でしょうか」
と聞かれて、出て来たアドバイスは、母親としての息子への日常の接し方でした。
直接話を聞き、必要な事はちゃんと手引きしてあげること。
そんな基本的な事でしたが、時間をとることを自分で決心しないと、なかなかできないことです。

そんな会話の後、彼女の体からは痛み、だるさが取れていました。
「どうしてこんなことが起きるんでしょう!」
感激の声が電話の向こうで聞こえました。
原因のところがほぐれたのだから、それが体にすぐにあらわれたということです。

何かに取り憑かれたからと言って、必ずしも大げさにとらえることはありません。
必ず自分の中に原因があります。
気づいていないことがあります。
そこに目を向けずに病院に行き手術をしてしまう。
あるいは、「原因不明ですがとりあえず」と処方された薬を飲み続ける。
そんな対処の仕方をしていては、取り返しのつかない事になってしまいかねません。




今年一年ありがとうございました。
多くの励ましをいただき、ありがたく書かせていただいた一年でした。
皆様よいお年をお迎えくださいくださいますよう。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はたらきは続く

2006-12-21 07:33:01 | 癒し
ご高齢の方もセッションを受けに来て下さるのは非常にありがたく、光栄なことです。
これは86歳の女性の話です。

もう5年ほど前になりますが、
「突然おばあちゃんが取り憑かれたようになって、目つきがおかしい、言うことも普段からは考えられない」
ということで電話でご相談をいただいた方でした。
電話でお伝えしたことを実行することで、すぐに解放されました。
とくに問題があったというより、そのおばあさんと地元の見えないいのちとのつながりを強くするためだった、と記憶しています。

後に、実際にセッションを受けに来て下さいました。
信仰深い、腰の低い女性でした。
いくつか経験、通過していかないといけないことがありましたが、3年前にご一緒に、お住まいの地方の山の方へ祈りにいった後、伝わってくる内容が一新しました。

「もう何も心配することはない。」
「他の人の光でありなさい。」
「他の人の手引きをしなさい。」

農家をなさっていて、今も毎日仕事に立っているのですが、
「今日はこれだけのことをしなさい。」
という指示を毎日受けて、家族でその通りにしていて、すべてうまくいっているということでした。

そんな具合で特に心配することもなく、体調もいいのですが、年に一度、収穫が終わった時期になると会いに来て下さるのです。
「わたしは家がちゃんとしていられるかどうか、それだけが心配で・・・」
との問いには、
『もっとグローバルに考えよ、祈れ。』
と伝えられます。
「もうぼちぼちお迎えが来るんじゃないかと・・・」
には、
『気弱に考えていたら体にも影響するから、心配しないでいなさい。
 死は与えられる。
 その前に、死への恐れは克服される。』
とのことでした。
まだまだ、この世でのはたらきは、まさに死の瞬間まで与えられるのだと思いました。

「観音さん、いつもほめて下さるでしょ?
 何ておっしゃってます?」
とわたしが聞くと、
「時々出て来て、ただにっこり笑っているだけ」
とおっしゃっていましたが、わたしには観音さまが、
『ごくろうさま。
 私の腕の中にいなさい。
 私があなたの一番そばにいます。』
とおっしゃっているのが聞こえました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間の本性

2006-12-16 06:40:16 | 癒し
セッションをする前とした後とで全く印象が変わる人がいます。
体や精神面に緊張感をもち、不安がある状態とそれがなくなった状態では見た目から変わってくるのも当然と思います。

人は、自分が人を幸せにしていく力をもっている、という事実に気がつくと、実に晴れやかな顔になります。
自分の役割、使命を知って人の顔つきが変わっていくのを見ると、人間の本性は美しいのだと感じます。

人間の本性は善なのか悪なのか、古くから考察がなされてきました。
しかしわたしは、日々多くの方に出会うにつけ、そこにあるのは善悪の区別ではなく、他のいのちと幸せに生きていきたいと願う、美しいこころだと思うのです。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神社ですること

2006-12-15 05:37:06 | 癒し
神社というのは何をしに行くところでしょう?
一般に、大多数の方にとって、神社は自分の願いを伝えに行くところだと思います。

しかし、見えないいのちにとって、わたしたちが思っていること、希望していることを知るのはたやすいことです。
そこにあえてお願いをしにいく必要があるでしょうか。

神社に行ってするのは基本的に、守ってもらっている感謝を伝えるだけで充分です。
そして、そこのいのちとともにあることを感謝できれば何よりです。

以前、お会いしたある方が、
「神社というのは、行って神を癒すところだ」
とおっしゃっていました。
確かにそう言う場合もあります。
場所によってはエネルギーが不足して、わたしたちの祈りを必要としているところがあります。
長年の経験からそんな言葉が出たのだと思います。

ただ、そこで考えたいことがあります。
わたしたちが誰かに会うとき、一方的に何かを与えたり、一方的にもらったりしているものでしょうか。
何かしてあげているようでも、必ずそこで何かをいただいているのが普通です。
出会いを通して、見えない力は双方向にはたらいているのです。

特定の場所に行った時でも同じです。
場の力が足りないとき、わたしたちは祈ってエネルギーを提供している。
そこで得た清々しさは、やはりそこの場を通じていただいたものだと思うのです。
巡り巡ってわたしたちは必ず何かをいただいています。

「してあげている」と思っていても、どこかしら、何かしら「してもらっている」もの。
やはり基本的に、神社では感謝だけでよいと思います。

そして、人に対しての態度も、神に対しての態度も同じものが出るのです。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伝える内容について

2006-12-02 06:30:45 | 癒し
「伝えたくないようなことも降りてくるのではないですか」
という質問をよく受けます。
接した人のネガティブな未来や暗い過去、引き出したくないような心の闇などのことです。

未来に関して言うならば、一時的にネガティブに思えることは当然あります。
しかし伝えていく中で、
「だとしたら、どうしたらいいのか」
という導きは必ず出てきます。

さらに、未来に真剣に対面するのであれば、「ネガティブ」という言葉も無意味になります。
人の生は、大海に向かっていく川の流れのようなものです。
通らなければならないポイントは、その川によって違います。
どんな場所もしっかり向き合うことによって、自然に流れていくことが出来るのです。
よどまずに流れていかれるかどうか、です。
未来とは本当は「今どうするか」のことだということも、忘れてはいけません。

接した人の今生の過去、過去生や、心にもっているものに関しては、必要なことが出てくるだけです。
むやみに全てを掘り出す作業ではありません。
そこに気づくことによって現在がより充実したものになるように、という愛ととらえています。

当然、伝えるための受信機とスピーカーをもったラジオのような存在である語り手に、人を詮索するような思いや興味、先入観や偏見があるのであれば、伝える側、聞く側双方に危険が出てきます。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする