早起き加減が以前よりずっと穏やかになった。
一時期は過激なほどに早起きだった。
さあ一日の始まりだ、と意気込んで起き上がるとまだ日付が変わっていない、ということが頻繁にあった。
そこまで早いときはさすがにもう一度布団に入っていたが、午前3時といえば季節を問わず行動を開始する時間だった。
今は一般的、模範的な早寝早起きという程度になり、場合によっては9時間もの睡眠を楽しめるようになった。
この方が自然で、脳も身体も滑らかに気張らない働きをする。
ショートスリーパーの頃はもっとせっかちだった。
そうは言っても、今の時期の日の出の遅さにはだんだん倦んでくる。
カーテンを開けたい、外に出たい、と思っても6時台ではまだ暗い。
そんな僕にとって冬至はまさに一陽来復。
これからだんだん日が長くなっていくのだと焦れが解け始めるときだ。
『今年の12月22日は予定を空けておきなさい。』
と言われ、前後の予定からして関西でどこかに呼ばれるかなとゆったり構えていたら、11月3日に遠隔セッションを受けた方に、
「今年の冬至は、自分はどこかに呼ばれているようですが、どこでしょう?」
と質問を受け、淡路島の地名を降ろしながら、それは僕の行く場所でもあると直覚した。
神戸では雨に始まり、霧で見通しがない中をセンターラインを頼りにうねうね山道を登る。
淡路島の諭鶴羽山では、自分たちのいるのとそう変わらない高さを、乳白色の大きな雲の塊が、やすやすと強風に押し流され、背後の空の青の眩しさを目に焼き付けられるかと思うとまた追い立てられた雲が壁になる。
頭上では薄雲が、絹布が糸に分解されるように煽られ吹き払われていていく。
最後の先山千光寺では、山門の手前でだけ雪が粉と舞った。
微かすぎるしるしだった。
昨日の参拝行は気象の厳しさに反して暖かかった。
『3年くらいそっちにいるよ』
と軽い表明をして加わってくれる存在。
その背後には、これから先を
『みんなで楽しみにしている』
と、団欒をしている複数の笑顔が見える。
別の場所では
『今からそっち行こう』
とざっくばらんに入ってきてくれる存在もあった。
今までもこうだったのだ。
歯を食いしばり気合を入れて進む道ではない。
持つ者ができることを請け負い、気遣い合いながら進もう。
人の自由のヒントが見えてくる2025年に向けて。