そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

変えられる未来

2005-10-27 07:14:53 | Weblog
この世に生きることは選択の連続です。
どの瞬間にも、どちらの道に進むか、との選択が私たちにゆだねられています。
選択の余地などない、どうにもならない瞬間だってある、と思われるかもしれません。
しかし、極限状況におかれていてさえ、あきらめるか、あきらめないかの選択肢があるのです。

未来を切りひらいていくとは何を選ぶか、という意志の連続です。
ですから私たちの未来が全て決まってしまっているものということはありえません。

また、何も決まっていない、ということもありません。
今のあなたの位置は過去にしたあなたの選択の積み重ねの結果なのです。

変化が多い時期とそうでもない時期と、たしかに分けることも出来ます。
しかし、本当はいつでも変わり目なのです。
この瞬間のあなたの選択があなたの未来をつくるのです。

未来を変える、というと決まった未来があるように聞こえます。
本当のところは、「今の選択の仕方、状況から言うとそちらに行きがちだけど、方向を変えて違う方を選ぶ」と言った方が的を得ているような気がします。
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静かになるために

2005-10-22 14:44:12 | Weblog
バタバタとした生活から少し離れて、静かな時間をもちたい。
そう思って気を鎮めようとしてもなかなかうまくいかないことがあります。
本を読もうと思っても字面だけ眺めて頭の中にまで入ってこなかったり、瞑想しようとしても身の回りのしなくてはいけないことが頭をまわって気になってしまったり。

いきなり筋肉を弛緩させようとするのは簡単なことではありません。
ところが一度全身にぎゅっと、思い切り力を入れた状態からだと、思いのほかふっと力が抜けるものです。

頭の中だけで、静かにしよう、静かにしよう、と思っている状態だと体全体にまだ準備が整っていないことが多いのです。
そんなときは、一度体をある程度使って、疲れさせることが必要ではないでしょうか。

これは頭脳労働者や、机に向かって勉強する人にも大切なことです。
体を動かすと頭まで疲れてしまうかというと、そんなことはありません。
頭の働きと体の働きは双方で補い合っています。
適度な運動は頭の働きを高めます。
大事なアイディアは必ず散歩中に出てくる、という人がいるのはしごく自然なことです。
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感謝に病みなし

2005-10-19 06:56:51 | Weblog
『感謝に病みなし』
という言葉がおりてきました。

自然に感謝を表現しているときは、明るくさわやかです。
感謝は人に力を与えますが、同時に自分自身に活力を与えます。
恨みごとを思うときには呼吸がだんだん、浅く速くなっていきます。
いっぽう、感謝するときには呼吸がより深く、長くなっていきます。
精神的と肉体的両面から深い充実感を感じることができます。
常に感謝のある人に病は寄って来ないわけです。

漢字を変えたら、
『感謝に闇なし』
としてもいい、と思いました。
感謝の光はどこまでも明るく照らします。
冷たいところに暖かさをもたらします。

人には本来必要なものが全て備わっている、ということを感じます。
感謝という表現方法のように、痛みや危険を伴わず、すべてをよろこびに導くものを人間は作り出して来ることができたでしょうか。
出来ていたとしたら、それは根底に愛、感謝のあるものだと思います。
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優先順位

2005-10-14 07:11:02 | Weblog
2つの事業を展開している方から以前に相談を受けました。
そのうちの1つがどうにも行き詰まり、困った事になっている。
どのようにしていったらよいか、と。

相談への答えのメッセージはシンプルかつ力強いものでした。
具体的に、事務所の中に新しくものを置くなどの変化は少し求められました。
それ以外は『この頃までに』と期間も設定されて、
『心配しなくてよい』
『大丈夫、繁栄するから祈りなさい』
と何度も何度も伝えてきました。
気持の上でもその方は相当、楽になったようでした。

『この頃までに』と伝えられたちょうどその時期に、その方から再度連絡がありました。
縁のあると伝えた場所に行って来た翌日から事業がうまく行き始めたとのことでした。
私も安心しました。
もともと信じる力の強い方で、徳のある方でしたから大丈夫と思ってはいました。

ところがその1週間ほどあと、その方からまた連絡がありました。
もともとスムーズに運んでいた、もう一つの事業が同じ時期を境にパタッと止まってしまったというのです。
熱心な方ですから毎日祈っています。
「どうしたのでしょう」「何かまずいことをしたでしょうか」

答えは祈り方にありました。
『他の人のために祈っていますか?』
と聞くと、その方も思い当たったのです。
前の件が低迷している間、自分の事業の事で一生懸命に祈っていました。
具体的な心配が目の前に会ったせいか、自分の事業が優先になっていました。
そのことに気がついて、腑に落ちたのです。

私たちはこの広大な宇宙という、一つのいのちを担っているようなものです。
いのちの中で、一部の細胞だけが繁栄する、というわけにはいきません。
全体のことに目を向けたら、その細胞もきっと活性化するのです。
全体がいきいきとしていくために、必要な事なのですから。
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間をなくすしかない

2005-10-11 08:56:34 | Weblog
頭ではわかっていても実際に行動に移す事が出来ない、という方が多くいます。
そんな方にアドバイスをするとこう言います。
「それはわかっています。だけど、・・・」
この、「だけど・・・」というのが、間になります。

何も言わずに、何も考えずにしてしまえば簡単な事です。
それを、「こうしたらこうなって、」と頭の中で考える。
これが間になります。

「間」は「魔」に通じる。
自分と対象との間に距離を置いているわけです。
文字通り、ほかのものが入り込む隙間です。

する、と思った瞬間にしていればよいのです。
勘がはたらいた瞬間に、それをしてしまうのです。
目の前に困っている人を見た瞬間に、声をかけられるかどうか。

自分のしていることは偽善ではないか、と悩む方がいます。
それは、間が生じているからです。
見た瞬間にうごく、ということができればあれこれ考えなくてもよいのです。
考えた事が魔になり、悩まなくてはいけなくなる。

火事にでくわしたとき、「火事だ!!」と叫ぶのがよいかどうか、考えませんよね。
火事を見た瞬間に叫ぶ、という間髪を入れない行動を普段の生活に活かしたら、より楽に生きられるのです。
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ごあいさつ

2005-10-10 15:25:45 | Weblog
本日より、『そらみつ みそら files』 としてブログをスタート致しました。
準備なしの突然のスタート、見切り発車ではあります。
またタイトルもいずれ変更していくことになると思っています。

よろしくおねがいします。

そらみつ みそら
コメント (1)
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