そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

封印が解けてきている 2

2016-04-30 10:29:40 | 旅の記録

石上布都御魂神社から北東の方向にある血洗の滝に向かいます。

おどろおどろしい名前ですが、素戔嗚尊がヤマタノオロチを斬った剣を洗い、滝の水で身を清めたことが由来です。

つまり石上布都御魂神社とはストーリーがつながっているのです。

 

以前に来たのはやはり12、3年前だったと記憶していますが、当時はなんだか暗い印象でした。

「マムシ出没注意」の看板があったことがやけに思い出されます。

 

坂を下りきって鳥居の前まで来ると気温が数度変わり、清涼な風が吹いてきます。

ちょうど鳥居が聖域と外を分ける境界線になっているようです。

今日は晴れやかで、数年前の台風で壊れた社の廃材が片隅に積み上げられていましたが、寂しい感じもありません。

 

足元に気をつけながら滝の眼の前まで歩いてみました。

ごく細かな水しぶきが素肌に柔らかく触れてきます。

 

幾つかの祝詞を読みました。

Yさんが

「龍神祝詞もあげてください。」

とおっしゃるので読んでいると、小さな社の前のしめ縄がパラっと解けるビジョンが見えました。

滝に向かっているのですから社そのものもビジョンです。

ほんの一瞬の出来事ですが、やはり何かの封印が解けていることを示しているように思います。

 

車に戻ってから

「最近気になるのはコノハナサクヤヒメだよね。」

とYさんに伝えると、

「桜のようなピンクの花びらがたくさん舞ってきたのが印象的だったからやはりそうだと思います。」

その瞬間、さっきタブレット端末のカバーを開けたときに、ピンクの花びらが挟まっていて驚いたことを思い出しました。

滝壺の前でメモをテキスト入力して、カバーをパタンと閉めるときに挟まったらしいのですが、案外気がつかずに滑り込むことに驚いたのみで、そんな示唆とは取らずにいたのです。

 

神事の翌日のYさんのメールです。

<今日、偶然にも違う場所でお二人の霊感ある女性から瀬織津姫の話がでました。昨日の血洗いの滝での出来事をお話するとお二人とも全く同じ事を言われました。

瀬織津姫のカラーはピンクと水色で滝に白龍、ピンクと桜(花)は間違いなく瀬織津姫を解放されたのだと。その印しが花びらだそうです。そしてコノハナサクヤ姫、磐長姫も瀬織津姫の分御霊だそうです。>

 

 

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封印が解けてきている 1

2016-04-29 16:54:37 | 未来の創造

「4月26日、よかったら石上布都御魂神社にご一緒しませんか?」

と広島のYさんにお誘いいただきました。

そもそもはその神社のお守りを知人からもらい、<手にのせたとたん熱い電気を帯びたようなものが伝わって>きたことに驚いたそうです。

ここのところ気になっていたキーワードとの接点が多かったのも彼女が参拝を決めた理由でした。

わたしはすでにその神社はYさんにお勧めした気でいたので、まだ行かれていなかったことに軽く拍子抜けしました。

わたしには15年ぐらいぶりの参拝になります。

 

石上布都御魂神社は岡山県赤磐市の山中にあります。

備前国一宮で、祭神は素戔嗚尊ですが、明治時代までは素戔嗚尊がヤマタノオロチを斬った「布都御魂」でした。

「十握剣」「蛇の麁正」「韓鋤の剣」「天蠅斫」といった別名もある剣です。

この剣でヤマタノオロチを斬った時にその尾から三種の神器の一つとされる草薙剣が出てきます。

布都御魂は崇神天皇の御代に石上布都御魂神社から奈良の石上神宮に遷されています。

 

駐車場から急な山道を上がっていくと、蛇、トカゲやカラフルなトンボなど色々な小動物に出会いました。

作られた緑の中では見かけないものばかりです。

 

参拝の後、宮司にお会いしてお話をお聞きしました。

まずこの場所の素晴らしい自然について触れられ、

「ここでは他の地では絶滅したような虫などに出会うことが多いそうですよ。」

とお話されました。

数千年もの間手を加えられず培われた豊穣な土壌には、その長い年月をかけて積み重ねられた微生物の数々があります。

そんな土を土台にして育まれる生命が太古から受け継がれ、今ではここにしか生育しないものもあるのでしょう。

 

ここには多くの霊能者がやってくるそうですが、それは日本書紀などにある由緒以上に、この場所が人里離れた自然の中に存在していてあらゆるものを含んでいるエネルギーに惹かれるからでしょうという話になりました。

わたしたち人間は多くのものに手をかけ過ぎ、菌を絶滅させて身の回りを清潔にしたような気になっていますが、それは大きな間違いで、多くの見えない微生物、細菌と元々は共生状態だったことを忘れ、身体がどんどん弱くなっていることを宮司は指摘されていました。

全く同感です。

医者にかかって薬をもらって病気を治している気でいますが、本来身体に備わっている自己治癒力を発揮するには自然の状態に帰る必要があることを話し合いました。

 

参拝の際のメッセージです。

『いよいよスタートだ。』

と声がかけられ、古い力が地を突き破って出てくるのが見えました。

この神社のことではないのは感覚で伝わります。

 

山頂の磐座は社の後ろにどっしりと構えています。

静かながら堂々とした力に満ちていて、ベンチで長い時間のんびりしていく人があるというのも理解できます。

 

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熊本の地震から導かれて 5

2016-04-23 19:11:39 | 旅の記録

大嶽山那賀都神社で降りた、

『すべての霊が迷いなくあるための玄関口に来ている。』

完全に宇宙のリズムに乗る。

大きな大きなブリッジが来る。』

は、熊本で起きた地震以来動き出していることを伝えてきたのだと思います。

玄関口に来ていると言っても、これから先その玄関を開けて通過していかなければならないのであり、そのためにどんなことが起きてくるのかはまだ見えてきていません。

 

つい先日、4月21日に聞こえてきたことです。

『4と4に来ている。

地層はいくつかずらすことにしている。

今まで支えてきたものの破壊。

完治は無理。

ボトムズアップ。

人間世界への理解が進む。

富士山は暴力的にはならない。』

 

『4と4』とは今年1月7日に降りてきていた、

『地震、ついに起こるべきときに。

まずは4の4。

運良き方向に向かっている。

生まれ変わる姿になる。』

のことを指していると思われます。

<2015年末から今年始めにかけて伝わってきた言葉>

上の言葉を受けて4月4日をある程度気にしていましたが、最初の地震が起きたのは4月14日でした。

 

未来からみて、また宇宙的な観点からみたときにこの時期が重要な転換点だったと肯定的に捉えることができるでしょうか。

犠牲となったすべての方々のご冥福を祈り、苦しみのさなかにある方々に心よりお見舞い申し上げるとともに、この災害を乗り越えて、未来を創造していかなくてはなりません。

 
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熊本の地震から導かれて 4

2016-04-22 11:19:34 | 旅の記録

さて、鳴動の話から、現在の話に戻ってきました。

今も日本に何か大きな動きがあるときにはこの山には鳴動があるというのです。

5年前の東日本大震災の前には一ヶ月ほど前に大きな突き上げがあったり、地震前後にも鳴動があったということです。

「今回の熊本の際には?」

という問いには

「あれ、今回も何かあったなあ。」

宮司は奥様から今回の地震を通じての体験を聞いていたのですが、曖昧なところがあるので直接聞こうと奥様に声がかけられました。

奥様は参拝者のお世話で走り回っている中、わたしたちが座るテーブルに立ち寄ってくださいました。

 

奥様の話には驚かされました。

地震当日、4月14日の話です。

ドアを激しく閉めるような大きな音がした時、

「柔和な宮司が珍しい」

と思ったそうです。

でも確認すると宮司はそんなことはしていません。

その後、テレビをつけて熊本の地震の報に触れ、

「ああ、さっきのはあの揺れだったのか」

と合点がいったそうです。


しかし、熊本での揺れは山梨まで人が感じるレベルで届いていません。

奥様が感じたのは時空を超えてやってきた振動というほかないのです。

 

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熊本の地震から導かれて 3

2016-04-21 05:44:08 | 旅の記録

はじめのうちM氏の姿がありませんでした。

遅れたのかな、と思いながら神楽が始まる時に入口に目をやると、こちらに気づいていて手を振っている彼がいました。

大祭が終わって尋ねると、社務所の中の手伝いをしていて、祭りに遅れていたことがわかりました。

 

M氏が鎌倉で鍼灸治療をしているHさん親子を紹介してくれました。

彼は前夜、近くの温泉にいたところHさんの息子さんと偶然久しぶりに会い、うちに泊まればということになり山梨の家に呼ばれたのでした。

そしてそのまま、祭りの手伝いをするHさん親子と一緒に神社に入ったそうで、すでにM氏も面白い導きを受けていたわけです。

 

息子さんのRくんに奥宮に案内していただきました。

奥宮は神社境内から見える場所にあり、ゆるい裏道を通っても10分かかりません。

しかし表からだと厳しい難所で、社殿前は絶壁です。


建物の横には修験の聖地ならではの鎖の行場が覗き込んでも見えない角度に落ち込んでいます。


あとで聞いた話ですが、この神社はぐるりと川に囲まれている中、ぽつんとそこだけ突出して聳えている特異な地形です。

下から上がってきてある場所から気の変化を感じる人があるという話も理解できます。

 

奥宮参拝を終えるとRくんは社務所に戻りました。

祭りが終わったばかりでまだ人手が足りないのです。

代わりにHさんが出てきて、拝殿前で3人でこれまでの経緯を話しました。

Hさんは大変喜んでくださり、

「ぜひ先生(宮司)に紹介したいから、もう少し待っていってね。」

とおっしゃいます。

参拝したらすぐに帰ろうと簡単に考えていましたが、長居させていただくことになりました。

 

祈祷者の待合室でお茶をいただいていると宮司が入ってこられました。

人懐っこい笑みをたたえた方です。

宮司の話の中に、先ほど書いた天地が七日七晩鳴動した話がさらに詳しくなって出ました。

 

役行者がこの山で行をすることになったのは、富士山登頂を控えてのことでした。

1300年前の富士山登頂など我々の想像も及びません。

激烈な登山行を前に、役行者は激しい修行に入り、開山とともに鳴動が起こったというのです。

この神社はコノハナサクヤヒメの父神である、大山祗命を祀っています。

コノハナサクヤヒメを祀るとされる富士山に意識を向けているところに、こうして導かれている不思議をまた感じさせられたのです。

また、鳴動したことからこの場所は「大嶽山鳴渡ヶ崎(なるとがさき)」と呼ばれてきて、そこからの転化で「那賀都」になっているそうです。

ここは「なると、鳴門」なのです。

神事の研究をしている方はいわゆる「富士と鳴門の仕組み」に思いが及ぶでしょう。

 

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熊本の地震から導かれて 2

2016-04-20 05:35:52 | 旅の記録

まさに年に一度の例大祭の日でした。

午前9時過ぎに駐車場に到着するまでに、地元の人たちが連れ立って歩くのを多数追い越します。

駐車場から神社までは急な坂も含めてしばらく歩きます。

消防団の法被を着た人たちが要所に立って案内をつとめていました。

 


9時15分には拝殿前に歩きつきましたが、もう既に太鼓の音、祝詞奏上の声が響いています。

遅れたかと急ぎ中に入り末席に座らせてもらいました。

しかしどうやら、地元の人のための普通の祈祷をしていた様子。

次々と人が入ってきて神職さんも集まったのは10時前でした。

 

大祭が厳かに始まります。

わたしはここに呼ばれたわけを考え、目をつぶりました。

 

『ここには邪はない。

(ここは)てっぺんだ。』

という言葉から始まりました。

 

『時の扉を開けよ。

すべての霊が迷いなくあるための玄関口に来ている。』

『完全に宇宙のリズムに乗る。

大きな大きなブリッジが来る。』

 

式が始まります。

5人の神職さんがリレーで三宝に乗せた米、酒、餅、尾頭付きの魚、昆布や野菜、果物を神前に供えます。

その間、笛と太鼓が鳴り響いています。

お供えが終わり祝詞の奏上の段になって気付きましたが、拝殿の外でも笛太鼓が高らかに鳴り響いていました。

 

長い神楽が始まりました。

天狗の面をかぶった男性が、神前に向かって左前方、右後方を清める仕草をします。

はじめは何も持っていなかったのが、一段落つくと今度は鈴と剣を持って舞い始めました。

 

大祭の終わりに来賓の山梨市長、地元の警察署長、消防団長が次々に挨拶しました。

その中で、この山は役行者が717年の旧暦3月18日に開山、その際には七日七晩天地が鳴動したという話がありました。

最澄、空海もこの山に来ているそうです。

 

そうやって来賓の話を聞いている中、急に思い出したことがありました。

4月10日に、姫路でいつもお会いしている、霊能をおもちの女性Uさんに

『ナガトの門が開いている。』

とお伝えしたことです。

その時は

「ナガトって山口県ですよね?」

「そうですね。」

という会話で終わりました。

長門市は山口県の北側、日本海に面した土地ですが、そこから先に話が進まないのは当然でした。

その時の「ナガト」は、この大嶽山那賀都神社のことを指していたのでしょうから。

 

だとすると、4月10日の時点でここに導かれる布石が打たれていたことになるのでしょうか。

 

 

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熊本の地震から導かれて 1

2016-04-19 14:25:46 | 旅の記録

最初の地震から二晩明けた16日早朝。

被害は大分方面にも広がりさらに大きくなりました。

何かできることはないのかと思った瞬間に降りてきたのが、

『三富村に行かなければいけない』

というもの。

三富村は平成の大合併で山梨市となり、地名としては残っていませんが、山梨県内では三富村で通用します。

甲府から東へ20キロあまり、雁坂峠を越えると埼玉県の秩父エリアに入ります。

 

知人がこの冬、三富村の神社に連れて行ってもらった、という話がよぎりました。

イメージでは山の中に深く入って行きましたから、符合していて間違いなさそうです。

早速尋ねると、

「大嶽山那賀都神社(だいたけさん ながと じんじゃ)」

という場所だとわかりました。

 

16日、17日はどうしても外せない用事がありましたから、一番早く動ける4月18日に参拝することにしました。

前日の4月17日。

ある会で友人のM氏に会い、別れ際にふと

「明日はどこかに行くの?」

と尋ねました。

「明日は牧丘の先に行こうと思ってるんです。」

牧丘町はやはり吸収合併で山梨市になったところで、三富村の手前になります。

「具体的には?」

と聞くと

「ながと神社」

っていうところです。

「あ!ぼくも明日そこ行くつもりなんだよ」

と興奮していうと、

「明日、そこお祭りですよ。」

とさらに興奮する答えが返ってきました。

祭りの時間は午前9時半だそうです。

 
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地震のこと、火のエネルギーのこと

2016-04-18 20:40:08 | 未来の創造

先日書いた、今年3月27日に福岡の女性から聞こえてきたことです。

『大きな地震が来る。

64

社会的にある現象が現れる。』

『赤外線の率が増す。

今の形で大成功する。』

 

火のエネルギーに関するものは4月に入ってから多くなりました。

4月3日に岩手県奥州市の日高神社から聞こえてきたのは

『起死回生。

元どおりになるように。

循環して。』

『できるだけ火の神を出していきたい。上位へ。火のエネルギーを。』

でした。

前半の『起死回生』以下は何のことを指しているかは明確ではありません。

 

同日はその後、気になっていた気仙沼へ。

まず五十鈴神社に連れて行っていただきました。

『天が動きます。

家来たちが動きます。

セキュリティ。』

「家来」という言い方で伝えられましたが、天と地が連動するイメージです。

 

次は早馬神社。

神前で目を瞑ると、大きな字で

『大安心』

と書いてありました。

続いて、

『火が強くなる、火が現れる。』

 

また同じ早馬神社の境内にある金刀比羅宮では

『用意しました。火の神。』

という言葉でした。

 

以前書いたように、昨年10月6日には

『卯月にコノハナサクヤヒメが出る。

大丈夫。

ニッポンのレールを敷こう。』

と伝えられました。

<2015年10月6日に降りてきた言葉>

卯月は4月を指しますから、もう準備は整ってきているのではないでしょうか。

 

 

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熊本の地震

2016-04-15 18:36:40 | 未来の創造

昨日の熊本での大きな地震に遭われた方々、ご家族さま、ご関係の方々に心よりお見舞い申し上げます。

あまりに多い余震から早く解放されていかれることを祈っております。

 

3月27日に

『大きな地震が来る』

『6、4』

という言葉が福岡の女性から聞こえていたのを今日の午後になって思い出しました。

昨夜出ていたマグニチュードが6.4でしたからこれを指すのかと思いましたが、先ほどテレビをつけると6.5に訂正されていました。

そしてちょうどその女性からメールで今、そのメッセージをご指摘いただき、

<まだ大きな地震が控えているよりは、これであってほしいという気もしなくはないのですが。。>

と書いたところです。

 

昨夜は10時過ぎに友人からメールで地震を知らされ、この人には声をかけなくてはいけない、と思って電話をかけた方に一回でつながり、

「みそらさんの声を今ここで聞けるとは・・・」

と感激していただき、わたしも声に詰まりました。

教員をしている彼女は

「今たまたま学校に来て作業をしていて・・・」

と一人の時間に不安な声をにじませていましたが、突然シャキッとした声で、

「わたし、ここで役割があるみたいです。」

なんのことかと思ったら、続々と周辺の住民の方々が避難に来るのが見えたようです。

 

LINEで家族の安否だけ簡単に確認できた彼女には地震の情報が何もなく、

「益城町が一番揺れて、震度7ですって」

と伝えると

「ここ、益城町です・・・」

電話中も強い余震が来て、

「さっきのが7だとしたら、今度は6ぐらいです」

と震度を的中させていました。

 

昨日は地震の前から不安感が強く、嫌な感じがしていたそうです。

しかし、周辺の住民の方々にとっては明るい彼女が大変な励みになったことと思います。

 

 

今朝は東京在住の女性から早い時間にメールで

<今日は秩父神社へ行くように言われた日です。ですが、特に昨晩から左のどの痛み、両目の重みと痛み、顔の左が痛みました。

今朝も痛みプラスして胃の重みがあり、浄化の時の症状と似ています。

思い出せば3日前くらいから鼻のどの変化がありました。

秩父へ行ってよいものか不安になります。

何か感じましたらお伝えお願いします。

地震ありましたね。大地、人の心が早く落ち着くことを祈ります。>

と来たので、

<熊本は中央構造線の西端で、同じ中央構造線上にある秩父とは繋がっています。

中央構造線を検索して調べると一目瞭然です。

鎮めの意味もあるのでしょう。

3日前からの変化もお知らせかもしれません。

行っていただくのが良いと思います。>

と返信しました。

 

先ほど神事の報告で、

<無事にお参りできました。のどの痛みは軽減されてきましたが、目元周辺はずっと痛重みが続いています。

その影響もあり記憶が何だかぼやけています。>

と送られてきました。

昨年からひらけてきて今年も大変化が見込まれる女性です。

きっと祈りも天に通じていることと思います。

 

 

また、もう一人、別の福岡の女性から

<今週初め夢をみまして、白いドレス姿の女性から、『日本はこれから…』と言われました。>

というメールも今朝いただきました。

その通りだと思います。

信頼したい言葉です。

 

 

ただ、今回の地震は

『これは軽いジャブ程度です。』

『まだ我慢の時です。』

と伝えられます。

しかし、わたしは必ずしもこの先にあるものが「被害のより大きいもの」を指しているとは考えていません。

 

後日書こうと思いますが、これから火のエネルギーが強くなること、火の神が出てくることをここのところ繰り返し伝えてきていました。

「火の国・熊本」が揺れたことはその暗示のようにも思えるのです。

 

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