そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

青森 3 岩木山と言う存在

2006-11-28 11:01:43 | 癒し
青森2日目は、りんご畑の中にある、小さな神社の参拝からはじまりです。
都会では味わえない、素朴さが目の前にあります。
昔の、村の祭の囃子の音が聞こえてきそうです。

前日の山の中の磐座でもそうだったのですが、この神社でも、その背後に大きな存在を感じました。
平地の中にただ一つそびえ立つ「お岩木さま」こと岩木山です。
この小さな神社では、拝殿に向かうと後ろに岩木山があるのですが、目をつぶると本殿の向こうに山が見えるようです。
圧倒的な存在感を示してきます。

岩木山神社は創建されて約1200年。
神社としてはずいぶん古いですが、それより前の信仰の歴史の方がずっと長い。
その、神社以前が気になります。
日本の歴史を見ていくには、土着の人々と、彼らを征服していった人々との事情を通らずには行けません。
神社の祭神が歴史の流れの中で、変遷していくことは全く不思議ではありません。
これは日本に限ったことではありませんが。

その辺を知りたくて、社務所を訪ねました。
立派な体格をした一人の神主さんが、対応して下さいました。

岩木山という一つの山から、話は次々と日本各地につながっていきます。
この地方に縁を持った無数の人々の求心力として、この山は生き続けてきたことがよく分かりました。
いのちが流れ出してまた帰っていく、大いなる源でした。
大昔、ある特定の神の名がどうだったか、という小さな話ではなかったのです。

神主さんには、突然予告もなく現れ(予告のしようもなかったのですが)、いろいろと質問を重ねましたが、長い時間を割いて暖かいお話をたくさんいただきました。
話は岩木山にとどまらず、地球と人間、ものと心、そして未来へとつながっていきました。
「大事なものは、かたちに残っていない」
大きな力強い手で握手をしていただき、光栄でした。
ありがとうございました。
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青森 2 ランプの宿で体験したこと

2006-11-26 07:16:50 | 癒し

黒石温泉郷を過ぎ、さらに山の中に入っていったところに、青荷温泉という秘湯の宿があります。
わたしは行くまで知らなかったのですが、温泉好きの方にその名をとどろかす、有名なところでした。
東京からの航空券付きの、ちょうどいい旅行プランをさがしていたら、たまたまある企画に組み込まれていたのです。

こちらの宿を有名にしているのは、そのユニークさです。
客室はおろか、お風呂、トイレ、食堂に至るまで、すべて照明はランプしかないのです。
それも、部屋をこうこうと明るく照らすのではなく、必要最低限の明るさのため、客室には直径10cmほどのものが一つ、ぶら下がっているだけ。
グリップを握ると充電できる懐中電灯が常備されていましたが、宿の説明書きを見るために使った程度でした。
その辺りには宿が一軒ですから、音はしない、夜が更ければ暗くなっていくばかりです。
携帯電話など、もちろん通じません。
もう冬ですから石油ストーブがあり、その火の明るさはありますが、照明にはなっていません。

建物の外にある温泉に行くには、通路にもランプが点在しているので足元に困ることはありません。
ただ一つ困ったのは、お風呂の建物に着いて、さて二つある入り口のどちらが男湯なのか、暗くてよく分からない!
よく見ると表示があるのですが、とまどいました。
湯船につかっていても、一緒に入っている人の顔がよく分からない。
そんなちょっとした非現実が、おもしろく感じられました。

食事は地のもの、とくにこの時期キノコが多かったのですが、暗い中だと、並べられたもの一つ一つが何となく、いとしいのです。
おいしく、いつもよりゆっくりといただくことが出来ました。

食事を終えて自室に戻ると、早いものでもう体と頭が、その薄暗い生活に慣れてきています。
でも時々文明の中に生きている、その習慣が顔を出します。
携帯電話を充電しようとして、部屋に電気が通っていないことに気づき、思わず苦笑です。

一日の終わりの感謝も、いつもより深くゆっくりとすることができます。
そして布団に入る頃には、この生活の素晴らしさを心から幸せに感じていました。

人間の生活を原始に戻すのは、物理的には非常に簡単だということを痛感しました。
電気がないだけで、自然の生活に戻ってしまうのです。
一日では慣れない人でも、数日過ごせば、日の出とともに行動し、日没後は休むと言うサイクルに導かれていってしまうでしょう。

実際に行うのは簡単ではないでしょうが、今の社会全体を癒すには、これだけでも充分なのではないでしょうか。
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青森 1

2006-11-24 09:04:39 | 癒し
福岡から青森へ。
東京での一泊をはさみ、早朝青森空港に降り立ちました。
南から北への移動でしたから寒さに身構えましたが、ちょうど福岡にいた頃寒波が来ていたのでしょうか、青森では別段気になりませんでした。

行きたい場所がどこに位置しているのかよく分からない、インターネットでの情報は限られている・・・というわけで、まず役場の観光課へ直行します。
インターネットはさまざまなことを教えてくれますが、やはり現地に行っての生の情報にはかないません。
役場の方は快く受け入れて説明して下さった上、その土地に詳しい方を紹介して下さいました。
さっそく役場の駐車場でその方の自宅に電話。
突然の電話でしたが、これまた親切な方で、昼の予定を早くに済ませてご一緒して下さることになりました。

訪れた場所はずっと山の中、もう雪があります。
Nさんの説明を聞きながら、15分ほど斜面を上り下りしました。
ちょっといわくあり、知る人ぞ知る、のスポットでしたが、このNさん、さすがに事情に詳しい、詳しい。
疑問に思っていたことが腑に落ちました。

人工的なものが強くある土地でしたが、古くからある磐座は、太古のいのちの息吹を確実に伝えてきました。

わたしが時間をかけて見て回っているところを、冷たい雨が降り出す中、じっと待っていて下さったNさん、寒い思いをさせて申し訳ありませんでした。
そして、本当にありがとうございました。
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福岡での講話会

2006-11-23 06:54:37 | 癒し
先週の福岡滞在中、小さな講話会を開いていただきました。
市内のとある場所で、主に集まって下さったのは、小さなお子さんをおもちのお母さんたち。
2時間あまりをともに過ごしました。

わたしが日常体験していることは、目に見えない世界を通してのことではありますが、そのまま誰にでも当てはまることです。
それは、すべての方が、目に見えない世界とともに生きているからにすぎません。
そういう思いで生活すると、今まで見過ごしてきた小さな出来事や人との関わり合いが、生き生きと存在感を見せてきます。
「そう、何も無駄なことはないんですよ。」
集まって下さった方々の体験や、感じていることを聞くたびに、そんな言葉が自分の中をよぎります。

大勢の方々とともに瞑想をし、感謝の祈りをすると、そこに生まれてくる光は大きく大きくわたしたちを包み込んでいってくれます。
目の前にする方々の顔が紅潮してきます。
涙ぐむ方も出てきます。

言葉では表せない、幸せに満たされていきました。

集まって下さった方々、そして何より主催して下さった方々、本当にありがとうございました。
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自分に向けた刃

2006-11-11 07:25:02 | 癒し
30歳代の男性です。
セッションの中で体の痛みが消えて来たのに、途中からだんだん息苦しさを感じて来たそうです。
そして普段生活しているとき以上に、その息苦しさが強くなりました。

セッションが終わりかな、というところで彼がその息苦しさを訴えてきました。
そこで、あらためて彼の今ある状況をよく聞いてみたのです。

『自分で太刀を、刃を自分に向けている』
と聞こえてきました。
自分で自分をいじめている、苦しめている、ということです。
悩んでいることは、自分でつくり出しているのだ、ということがよくわかります。

今は刃を向けているだけでも、心の動かしようによってはその太刀は自分に振り下ろされ、傷つくことになりかねません。
ネガティブなものの捉え方をやめ、明るい方向に自分の想像を働かせていく必要がありました。

この太刀は地中に深く埋めることになりました。
彼はいずれまたその刀を持つことになるそうです。
そのときは、それを使って自分のまわりを動かしていくときです。
刀は使い方次第では人や自分を傷つけますが、元来、場を浄める非常に強力な道具なのです。

刃の切っ先を自分から外したその男性からは、当然息苦しさもなくなりました。
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掻き出す

2006-11-02 16:39:24 | 癒し
お子さんの問題について50歳代の女性から相談を受けました。
話を聞いていると、母親である本人に問題を感じます。

家庭の中でさまざまなことに不満をもっていました。
しかしその不満を出すことなく、
「自分さえ我慢していればよい」
という思いでいました。
しかしただ我慢することが出来るわけでなく、恨みをもつようになっています。
本人も、自分の問題ということを元々理解していますが、どうにもならないと思っていたのです。

我慢をしないで、人に嫌な思いをさせずに自分の思いを上手に出していくのが一番いいのは当然です。
しかし誰でもが簡単にそうするわけにもいきません。

一日の思いをとにかく、紙に書き出すよう伝えてきました。
もしかしたらそれは非常に汚く、人に聞かせられないような言葉の連続になるかもしれません。
しかし心の中にそんな言葉が吐き出されることなく溜まっていくのであれば、それは腐っていくばかりです。
いずれ病の元になるでしょうし、周囲の人に対してもいい影響をあたえるものではありません。

ただ一つ大事なのは、全ての思いを書き終えたその作業の終わりを
『ありがとうございました』
で結ぶことです。

いつかその女性が物事を楽にとらえられ、解放されていくことのきっかけになっていくと信じています。
コメント (2)
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