memories on the sea 海の記録

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一部漁民は欧州移住を望まない    セネガル

2015-07-31 09:25:14 | 海事

THIAROYE, Senegal 発:およそ10年前にセネガル人漁民のMor Mar がよりよい生活が欧州にあると期待して、違法にスペインに違法に渡航しようとした。(7月11日SBANNANOW)

彼のほかに80人の難民が密業者に一人頭500ドルを払い木造のピローグ(カヌー)で隣国のモーリタニアから米とビスケットと水を糧として125浬離れたスペイン沿岸を目指した。高浪がボートを転覆させ Mar, 39歳は二度と渡航はしないと決めた。

現在の報道によれば、およそ1,800人以上の難民が地中海を渡ろうとして死亡しているが、Mar自身は以前の欧州の誘惑から学び、渡航しても機会は限られ失業率も高いと知ったと。「多くの若者が欧州にはたどり着けずに、何も獲得せずにセネガルに戻ってきている」と彼はいう。「彼らは状況は厳しい」というと。

Marの考えは彼の地元のThiaroyeからのものである。この漁村はセネガルの首都ダカールの郊外にあり、10年前には多数の移民を大州に送り出した記録がある。

この町の年長者のPape Omar Dioufは当初の移住者らの静君がたちまち大きな流れとなったという。「ほぼ毎日旅立ちがあった。若者は漁業がほぼ壊滅したことで取り乱した」「欧州に行くことの夢が、死者が多数発生するまでは人々を発奮させた」と。

途中で死亡したと推定される人々の膨大な数は、漁師の熱意を減退させるのに大きな役割を果たした。彼らは今や地元で生き延びることに勤めている、難しいことではあるが。我々は今一日当たり3,000~10,000 CFAフラン($5 ~ $17)を厳しい海での労働から得ている。しかし自分自身を制限することのほうを好む」と Thiaroye の漁民El-Hadji Cheikh Ndoyeはいう。

とはいえ欧州の誘惑はセネガルの何処にも残ってはいる。およそ2300人のセネガル人らはことしの1月から6月の間に危険な陸と海のたびでイタリアに向かったと、国際移住機関のセネガル事務所長は言う。

同機関は政府と協力して難民の帰還に過去務め、トリポリ(リビアの)で囚われていたセネガル人400人を帰還させた。このところセネガル政府はより積極的に難民の波に加わらないよう計画している。政府は地元での経済基盤の強化に努め、例えば阿他らしい農場で40人を雇用するなどしていると当局者トップのSory Kabaは難民危機片現在の対応を5月にジャーナリストに語っている。

Thiaroyeではセネガルの青年にとって漁業は大きな可能性がある。政府は段階的に彼らを保護する。「我々はいつも我々の海の資源を枯渇させる大型漁船に顔k稀テイル」とNdoyeはいう。「国は我々を国内にとどめるためにさらに努力すべきだ」


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