実際のところ全船団を見ても、日々の漁獲は30トン程度であると漁業局のAbidin はいう。これを78隻の船で分けると取り分は1隻当たり200ドル以下にしかならない(最盛期には190隻いた)この金額では夜間操業コストの半分にも満たない。
「われわれはこの海峡をあきらめて、インド洋に出るしかない」とBaijuri sighsはいう。
しかし、缶詰会社やペレット工場は移動する選択肢を持ち合わせいない。彼らは現存する設備を維持し、負債を払い、海外市場と取引しなければならないのだ。「我々は国際的に活動している」とPasific Harvest缶詰会社のGMのEdy Sukantoはいう。「我々の顧客はインドネシアではない。兎に角我々は安定した供給が必要なのだ」
2013年の後半、Muncar港の記録によれば Sukanto は 118,560 キロのマイワシをパキスタンとチェコから輸入、中国から37,000 キロのサバを輸入した。これでも彼のプラントの飼料用の半分である。「どこにでも魚はいる。それを見つけてわれわれは輸入する」という暗い解決策である。
Muncarの加工業者らはマイワシを求めてインド、イエメン、ペルーから輸入せねばならない。疲弊した原料供給にもかかわらず、地元の加工業者らは賭けにでている。
Lemuruマイワシに関るものはこのサイクルをどう乗り切るか体験してきた。マイワシ資源は本質的に循環している。
いつもであればマイワシが来遊するのは6月から9月のモンスーンのピークのあと1.5ヶ月ほどである。この雨季に沖合いから東よりの風が吹き募り、冷たい真空状態により栄養塩の豊富な湧昇流が発生する。これによりマイワシノ餌となる動物プランクトンが繁殖する。この状態は年に一度か2度発生する。
しかし7~12年周期で、断続的にそして予測不能であるが、赤道地帯の大気圧システムとしてエルニーニョ南半球振動と呼ばれるものが発生する。これにより海中がかき混ぜられ、プランクトンの繁殖を促すことになり、これは11月から1月でも派生する。これによりマイワシの大量出現を引き起こす。
写真:空網だった