私は初老男である。
人間は歳を取る。
確実に1年に1歳ずつ歳を取る。
これが「物理的」に歳を取るのだが「精神的」に歳を取るのはむずかしい。
「精神的に歳を取る」
ということの中には「間違える」ことは、あっても「衰える」ことはない。
だが、限りになく「衰え」に近い「間違い」を起こすことは少なくない。
80代の爺さん二人と1日過ごすことになった。
加齢臭は、歳を重ねる度に強くなる。
しかも、一人は一人暮らしで、かなり生活自体が怪しい。
厄介なことに「匂い」というのは「本人だけが」分からないようにできている。
車で移動すること2時間。
その加齢臭の充満する中で、一人は延々としゃべりまくる。
それも、内容にほとんど意味が無い。
言葉を「垂れ流している」に等しい。
もう一人は、手に持った鍵の束を「ジャラジャラ」と鳴らして弄んでいる。
この二人を連れて会議に行った。
帰りに昼食となる。
食堂に入る。
まず、席に着くのが遅い。
注文を決めるのが遅い。
いざ、注文を決めると品書きに無い「刺身定食」などと言い出す。
冷の酒と生ビールを注文する。
酒が来ると、注文した品と一緒方が良かったとブツブツ言う。
注文の品が来ると「注文のしていない」と言い出す。
ビールが終わってしまって「酒が足りない」と言い出し、コップでの酒を追加する。
私より、遙かに早く来た品を、私が食べ終わってもまだ食べ終わらない。
日本酒2合を飲んだ彼は、私の車を発見できずほかの車に乗ろうと必死になっている。
ビールを飲んだ方は、会計の後トイレに行ってきたといって10分以上私等を待たせた。
日本酒の彼は、車に乗った当初は威勢が良かったが徐々に声が出なくなる。
「人に迷惑をかけなけりゃ、何してもいいんさ!」
抱えるようにして、彼を家まで送っていった最後に彼が言い放った言葉だ。
歳を取れば、動きが遅くなる。
耳が遠くなるから、返事をしない。
それは仕方のないことだ。
しかし、問題なのは・・・・・。
それは「仕方がないことだ」と本人が開き直っていることだ。
「無自覚」に、歳を重ねてきたことだ。
「人に迷惑を、かけなきゃいいんさ!」
この言葉は、いかにもその「無自覚さ」を証明している。
人間は生きていれば誰であっても「人に迷惑」などかけているのだ。
生きている時間が長くなればなるほどそうなのである。
人に迷惑をかけている人間ほど、そして、長生きをしてその迷惑をかけた時間が長い人ほど、こうしたセリフを吐く。
今私はそうした意味で、自分が年を上手に取る「勉強」をさせてもらっているのだろう。
こうした「反面教師」としての、年寄たちの世話をしながら・・・・。
もう、お気づきだろうが、この二人は私の「父親」と「叔父」である。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、身の回りの老人たちが自覚を持った生活をしているかを確認しますように。
May
こうした、勉強をして自覚しようとしている人間は・・・・・。老人になる前に死んじゃったりするんだよね。私はすくなくとも彼らの歳まで生きていないだろうなぁ。
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