私は中老男である。
たぶんであるが・・・・人間には。
「考える人」と「考えない人」の二種類が居る。
それも・・・。
「考える人」は「考え過ぎ」
「考えない人」は「まったく考えない」
もちろん、その中間という人も多々いるのだろうけれど。
幸か不幸か。
我が父親は「全くかんがえない」人で、
私は、どちらかと言えば「考え過ぎる人」である。
親父は御年89歳。
ひと月ごとに病院に連れていく。
血液検査の結果は、私より数段「良好」である。
本人はずっと以前から「若い」と言われることが自慢だった。
だが「若く見える」ということと「若い」ということは、
当然だが「違う」
89歳の人間は、見た目がどんなに若くても「89歳」なのである。
ここ一年、特に耳が遠くなってこちらが「大声」を出さないと聞こえない。
血液検査の結果が上々であって、日常生活に支障が無いと言っても。
89歳の老人が、60歳の息子と同じ意識でいてもらっては困るのである。
自分は30歳そこそこの時に52歳の父親を病気で亡くしている。
だから「分からない」のも、仕方のない部分はある。
親父に言ったことがある。
「確かにあんたは、父親が早く亡くなって大変だったろう。だけど、60になってもワーワー言う父親がいることのメンドクささは分かんないだろう!」
「うん、そうだな。お前も大変だな~~~。」
自分のことを言われていることに・・・気が付いていない・・・・。
やはり例の「まったく考えない」性格である。
今日は休日でありながら「村内の共同作業」だった。
朝8時から11時の間、私も参加したのであるが・・・。
日頃やらない作業で、クタクタになった。
だが、家回り片づけなどもこのタイミングでないとできない。
それも、どのタイミングで何日でやるかは・・・。
「考え過ぎる人」の私は完璧にシミュレーションしたあった。
昼過ぎにやっとおわりシャワーを浴びていると・・・。
親父が風呂場に来てこう言った。
「なんで『あこ』を片づけてねぇがだ」(なんで「あそこ」を片づけてないんだ)
思わず怒鳴る。
「うるせ!おれがちゃんと考えてるがだ!」(うるさい!俺がちゃんと考えている!)
親父も60歳過ぎまで毎年1度のこの作業をやってきた。
どれくらい大変だったか。どれくらいの時間で終わったかを知らないわけではないはずだ。
その後、わたしのやっている家回りの作業も「こっそり見ていた」(そうしたことを我慢できる人ではない)
私が泥のようになっているのも、分かっているはずだ。
せめて。・・・せめて「お疲れ様」の一言があってからなら、私も「大声」を出したりしなかっただろう。
私の怒鳴り声にも、親父は「なんだ?」と聞き返した。聞こえていないのだ。
力いっぱい風呂場の戸を閉めて鍵をかける。
それでも彼はドアの外で「ブツブツ」と何か言っていた。
自分ができなくなったことに対して、いかに言いたいことあっても「口を出すべきではない」
口を出すなら「それなりの対価」を払うべきである。
いわく「金を出して口出さず」が理想。
「口を出すなら金を出す」のは普通。
「口を出すが金を出さない」のは最低。
しっかり、心に刻み付けておこう。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「自分の年齢」というモノと真剣に向き合いますように。
May
彼をキライなのは、そのことだけじゃないんです。もっと許せないことがあるのですが、それはまたべつの機会に。
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