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『自分の価値を最大にする ハーバードの心理学講義』

2024-05-18 12:41:50 | 読書。
読書。
『自分の価値を最大にする ハーバードの心理学講義』 ブライアン・R・リトル 児島修 訳
を読んだ。

最近その発展が目覚ましいといわれるパーソナリティ心理学の知見と幸福度をまじえて語られていく本です。著者は、ハーバード大学卒業生のアンケートによる投票で3年連続人気教授に選出された方です。ここぞというところのユーモアのセンスがよく、楽しみながら読み進めていけるうえに、わかりやすく学びや気づきを多く得られる良書でした。

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私たちは、他者を理解しようとする試みを通して、自分を深く理解することになり、自分を深く理解することによって、世界を違った視点で捉えられるようになり、もっと自分の能力をいかすことができるようになります。(p1)
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→本書を読み進めていくと、人ってほんとうに多面的にふるまうし(そして、多面的にふるまってよいのだし)、様々な傾向を持った人たちがいることがわかります。「人はこうあるべき」というように、自分の性質に寄せたかたちでなされた意見って数多くあります。僕もそういう意見を言ったり書いたりしますが、それらは自らの願望に沿う形で周囲や社会の在り様を画一的にしようという目的が隠されていることが、本書を読むことの副産物としてわかってきました。もっと、人それぞれであることを認めあい、棲み分けていくのがもっとものような気がつよくしてくるのでした。また、好きな人のことをもっと知りたい、理解したい、と思い、行動することは、自分自身を深めもするようだということが、引用の文章からわかります。人に惹かれるのってとってもいいことですね。

パーソナリティ心理学では、「評価基準」という考え方を重要視します。内向的か外向的か、面白いか退屈か、かっこいいかかっこ悪いか、明るいか暗いかなどを、人は○か×かで判断しがちなことを本書は指摘しています。そしてそれを評価基準と読んでいます。実際は、内向的か外向的かにしても、15:85だとか、60:40だとか、割合があるものですが、0か1かみたいに判断してしまいがちだそうです。そして、その○×評価基準方法が、人を苦しめてしまう。極端なだけに、自分自身でだったり他者からだったり、それが駄目なこととされてしまうと、寄って立つ柱を失うので、とても不安定になってしまいがちだということです。

また、それに絡んで、ヒト志向とモノ志向があると述べられています。外見や言動に注意を払うなど、心理的に解釈しようとするのがヒト志向です。これはもっともですし、一般的なように感じられますが、モノ志向の人は、客観的なデータに固執するところがあるそうです。つまり、統計的にこうだからこの人はこうだろうだとか、こういった類型に当てはまるからこの人はこうだろう、というようなパターンだと思われます。

評価基準は僕らが物事を見るための枠組みになりますが、閉じ込める檻にもなると著者は警告しています。だから、自分にはこういう評価基準があるのだ、と自覚的になれるとよいのだろうと推察されます。そうできたならば、柔軟な姿勢で評価基準を変える努力をできますし、不寛容さに縛られることも減るのではないでしょうか。そして、評価基準は多いほうがよいそうです。そのほうが、環境の変化に対処しやすいのだとあります。

パーソナリティは遺伝的に決まっていたりしますが、たとえばもともと内向的な人が、社会で働くときには外向的にふるまったりします。それはその状況や場所が要求するのでそうせざるをえなかったのでしょうけれども、本書では、そういったもともとのパーソナリティの枠を超えたふるまいをすることは、自身の視点を増やすなどポジティブな効果があるとして肯定されています。しかしながら、自分のパーソナリティを越え続けるとかなりのストレスになるので、もともとのパーソナリティを出しながら安らげる場所を持つことが大事だと述べられていました。この部分は、自分探しにの話にもつながってくるでしょう。もともとの自分と社会的な自分が入り乱れてどれが基本の性質なのかわからないから自分を探すというのはあるのではないか。または、私的な自分と社会でふるまう公的な自分の落としどころを探すというのもありそうです。社会での振る舞い方をどうするか、社会的な部分での自分を探すという意味です。

本書ではほかに、ABCD性格診断のタイプAについて述べてある箇所や、セルフモニタリングの高い人と低い人、自己解決型と他者依存型などについて述べている箇所があります。タイプAとは、いわゆる押しが強い人です。「競争的」で「いつも時間に追われて」いて、「自分だけではなく他者に対しても要求が高く」、「声が大きく」、「話がのろいと感じると割って入り」、「タスクに集中すると身体が発する信号に鈍感になる」などの特徴があります。タイプAが有名なのは、心臓発作のリスクが高いからだそう。でも、こういった人って珍しくないですよね。企業で欲しがる人、正社員として欲しがられる人、出世する人は、たいていタイプAかもしれません。ちなみに、セルフモニタリングの高い人も出世しやすいです。セルフモニタリングの高い人は、カメレオンのように、人や場所に応じて自分のふるまいを変えられる人です。誠実性という面においてはマイナスですが、反対に、コミュニケーションを円滑にすすめるタイプです。

そんなところですが、とにかく気づきを得られるトピックの多い本だこと! 以下では、箇条書き的に書いていきます。

・精神病者と精神病者ではないけれども変わり者とされる人とクリエイティブな人は、性質が似ています。みな、制約を嫌う点などがそう。入ってくる情報を制御するフィルターの目が粗い彼らは、情報過多になりやすいのでした。精神病者の場合は、情報を処理しきれず調子を崩していく面があります。では、どういった違いで精神病者になるかクリエイティブな人になるかが決まるのでしょうか。それはひとつに、知性の高さがポイントになっているようでした。うまく情報を仕分けしたり、解釈したりという知性が、分水嶺となっているようです。とはいえ、きっぱり割り切れた判断基準ではないのだと思います。

・人はなにかをコントロールできる、あるいはやろうと思えばできる状態にあると、比較的すくないストレスを受けるだけで済むようです。以前、「コントロール心理学」の分野で得られた知見だとしてなにかの本で読んだことでもありました(いったい、何の本で読んだんだっけ)。この、「支配にどんな意味や効力があるのか」を研究する分野がアメリカにはあるんですよね。支配・被支配について重く考えるのって、やっぱり欧米だなって感じがしてきます。コントロールできるから、という安心やそれによるストレス耐性は、希望を持つことによる効能と似ていると思いました。

・都市は情報が多いから、情報過多にならないためにそこで生活する人々は無関心になっていく、という考察がありました。とてもスマートな視点です。たとえば他者と関わり合いになることは情報を得ることであり、情報処理が必要になるから、そうならないように情報を遮断するために無関心になる、というものでした。けっこう納得がいきましたが、どうでしょうか。まあみんながみんなそうではないですけれども。

・「このほうがいい」とか「これはだめだから、こうしよう」だとかの意見ってよくあります。自分もそう言いますし。でも、それって、「こうなったらいいのに」という願望に基づく画一性の実現へ向かっている考えであることが多いです。人それぞれ志向も性質も違うことはほんとうに大切なんだよなあ、と本書を読み終えて痛感しました。

ほんとうに、よい本でしたよ。


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