デブ夫婦のビバ!お気楽人生&ぐーたら生活

体重合計約150㌔のちょっぴりデブ夫婦です♪毎日ぐーたら暮らしているお気楽夫婦のゆる~い日常を綴っています。

『正欲』/朝井リョウ~理解した気になっている『大多数』の怖さと虚しさ。

2021-09-26 17:53:02 | 読書感想・レビュー
そんなわけで、本読みましたよ!!
いや~~怖い小説だった。
3月頃に『5時に夢中!』で新潮社の中瀬ゆかりさんが絶賛していたので、
ひさかたぶりにハードカバーの本を購入してみたのだが、
そのまま数ヶ月放置状態だった(ワタシの場合いつものこと)。
が、一旦読み始めたらあれよあれよの一気読み。
というわけで、やっと感想が書けました(∀`*ゞ)エヘヘ

朝井リョウさんの作品は、これまで『何者』しか読んだことがないが、
人間の中にある強さと弱さの同居と、
表面的には強いと思われている、自分は強い(正しい)と思って振舞っている人間が
攻撃される側に回った時の弱さ(そしてその逆も)の描き方が、
読み手のココロにグサグサ刺さる。
『何者』の中でもあったが
『強い(と思われる)側』に居た登場人物が、
それまで『弱い(と思われる)側』だった者に思わぬ形で反撃を食らい、
攻守交替する瞬間は、なかなかに恐ろしかった。
今回の『正欲』にも、そんな場面がある。

さてこの作品に登場するのは
・不登校ユーチューバーの息子を持て余している検事・啓喜
・秘密を抱えながらショッピングモールの寝具売場で働く夏月
・容姿にコンプレックスを持ちながら大学のイベントを運営する八重子
・夏月の中学校の同級生だった、食品会社勤務の佳道
・八重子と同じ大学のダンスサークルに所属するイケメン大学生・大也

この主な登場人物たちは、
自分はまともな側だと思っている人も居るし、
自分は人と違う嗜好があることを自覚している人も居る。
大多数と呼ばれる枠に無理に自分を当てはめ、生きづらさに絶望している人も居る。
マイノリティと呼ばれる人を理解した気になっている人も居る。
これらの人々が、つながっていく。

テーマはタイトル通り『正しい(性)欲』である。
正しい欲って何じゃいといえば、平たく言ってしまうと『異性に性的欲求を感じること』なのだろう。
今の世の中、性的欲求の対象となるものが同性でも同性&異性でも、
多様性を受け入れましょうといった空気には一応、なっているようだが、さてどうなんだろう。

ワタシ個人としては・・・、
多様性、個性の尊重、ダイバーシティ・・・
そんな上っ面のコトバに、違和感を感じてしまっていた。
『みんな違って、みんないい』とか『障害は個性』『差別はやめよう』なんて、
所詮はマジョリティの人、もしくは限りなくマジョリティに近いマイノリティの人が、
上からモノを言っているだけじゃないの? 特に日本の場合は。
なーんて、なーんかモヤモヤしていたのだ。
そのモヤモヤしている感じを、見事にばっさりとやっちまった感のある小説だった。

カバーには、
『生き延びるために、手を組みませんか。』
『自分が想像できる“多様性”だけ礼賛して、
秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな。』

と、作品中の登場人物のセリフが引用されているが、
このセリフが・・・読み進めるにつれて読み手のココロを抉ってくるのだ。

作品の冒頭は『多様性』への疑問を口にした誰かの語りと、とある週刊誌記事から始まる。
記事のキャッチは<児童ポルノ摘発、小学校の非常勤講師や大企業の社員、
大学で有名な準ミスターイケメンも 自然豊かな公園で開催されていた小児性愛者たちの“パーティ”>
何だこれは? と戸惑いながらページをめくると、登場人物それぞれの目線で物語が進んでいく。

現実、今の日本に『多様性』なんてありゃしない。
そして、マイノリティ=こういう人たちでしょ? というマジョリティ側の『思い込み』で、
理解した気分になっている人は多いと思うが、
マイノリティというのは、理解されないからマイノリティでもある。
例えば同性愛者であるとか、身体に障害があるとか、そういったことでは括れないマイノリティも居るわけで、
この作品に登場する人たちは、自分がマイノリティ中のマイノリティであることを自覚しながら、
それでも『社会』で生き延びるために、水中で足を必死に動かす水鳥のように生きている。

一度読み終えた後に、冒頭の週刊誌記事をもう一度読むと、
最初に読んだ時のイヤ~な感じと、読み終えてから感じる明らかな不快感、その違いがハッキリする。
いや、違うよ、違うんだよ!! と言いたくなる自分が居る。
正しいと思っている側の暴力的なコトバ。
正しい欲を持てない人をバッサリ切り捨てる社会。
ニュースは本当に真実を報道しているんだろうか。
もちろん・・・、自分にも『正しい側の気づかない暴力』が無いとは言い切れないし、多様性を受け入れている自信などない。
だからこそ、自分の想像力の無さ、浅はかな理解力を再確認させられて、読んだ後の後味は非常~~に悪い。
でも、読み返さずにはいられない。
そりゃあ帯にあるとおり『読む前の自分には、戻れない』わな。

何が正しいのか、何が自然なのか。多数派は正しいのか。
すべては作為的に演出されているだけなのかもしれない。
多数派=まとも なのではなく、
人間誰しも彼らのような『特異な部分』は持っているのかもしれない。
誰でも人に言えない『闇』のような特異な部分があって、
自分の中にもそれが隠されているのかもしれない。
マジョリティであることが正しいわけではなく、
多分ほとんどの人は、何が正しいのかわからずに、
とりあえず多数派に身を置くことで、安心して世の中で生き延びていけるのかもしれない。
そんな気持ちになる小説だった。
この作品を読むと、もうカンタンに『多様性』なんてコトバは使えない。
世の中がどれだけ呑気にこのコトバを使っているか思い知らされるから。
いや~~つくづく、恐ろしい作品でありました。

多様性に寛容と思われている今の若い人たちは、どんな感想を持つのかも気になります~。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« たまには『読書の秋』も、や... | トップ | 夕食に焼きそば、ダメですか? »

コメントを投稿

読書感想・レビュー」カテゴリの最新記事