小笠原日記

夫婦で小笠原に移住予定です。どんな生活が待ち受けているか?とりあえず小笠原の生活を綴って見ようと思います。

世界で一番遠い島

2009-01-15 16:55:46 | Weblog
昨夜9時半過ぎ、妻の携帯の呼び出し音で目が覚めた。この時間僕にとっては寝入りばな、妻は熟睡している時間帯だ。我家の就寝時間はとても早い。

電話に出た妻の様子から、電話の内容がただならぬ物であると、すぐに推察できた。妻の父、僕の義父の死亡を知らせる電話だった。それからしばらくの間、我家は妻の携帯のメールやTELの呼び出し音、そして固定電話の呼び鈴と、当然の如くややパニック状態。

お風呂で倒れていた所を発見されたらしく、おそらく脳溢血だったのだろう。人間はいつか必ず死ぬ、そして義父は享年82歳。勿論、親の死、特に義父のような突然の死と言うのは、受け止める側の心の準備も無く、悲しく大変なショックではあるが、妻がポツリと漏らした「でも、いい死に方だよネ」僕もそう思う。


所で義父はとても旅行好きで、高齢になっても一人で世界中のあちこちを歩き回っていた。最近は、家族も海外の一人旅は心配と言うことで、その旅先は国内になっていたようだが、つい先日、今年に入ってから沖縄旅行に行ったばかり。とても元気だった様だ。

実は我々がこの小笠原で暮らす事になったきっかけも、大いに義父の旅行好きに関係している。我々に小笠原と言う島を意識させてくれたのは、以前に訪れた義父の小笠原旅行の話だった。きっと義父のその思い出話が無かったら、今のこの我々の生活は無かった事だろう。そういう意味でも、義父にはとても感謝している。

妻の話では、晩年義父は、我々が小笠原に移住する事になった原因が自分にあることに、やや責任を感じていたようだが、「お父さん、僕は小笠原のこの生活がとても気に入っています、本当に有難う。どうか安心して安らかにお休み下さい。」

一昨年、息子の風太が丁度来島している時に、遊びに来てくれた義父。毎日のように風太と釣を楽しみシマアジも一枚ゲット。そしてランチ時になると「こんな綺麗な景色の中で、孫と釣りしながら、弁当食べるなんて本当に最高」と毎日のように同じフレーズを繰り返していた義父。小笠原を紹介してくれたそんな義父に、少しは恩返しできたのだろうか。

妻は、今日入港したオガマルが出港する日曜日、内地へ向け出発するが、どんなに急いでも故郷の滋賀県栗東に到着するのは、月曜日の夜。改めて「世界で一番遠い島」を実感。小笠原で暮らすと言うことは、そういう事なんだよネ!

写真は小笠原での義父、左から二人目。