小笠原日記

夫婦で小笠原に移住予定です。どんな生活が待ち受けているか?とりあえず小笠原の生活を綴って見ようと思います。

瀬掘アパート101号室

2006-01-26 20:14:50 | Weblog
小笠原は、気軽に内地から行ったり来たり出来る場所では無い。移住するにあたって一番の気掛かりは、住居であった。みんな小笠原に移住すると言うと、「いい物件を見つけたのですか?」とか必ず家を買ったように誤解されるが、まったく違う。夫婦二人で六畳一間のアパート暮らしである。娘には同棲時代みたいだね、とからかわれた。島の住居は決して裕福という印象は無い。トレーラーハウスやプレハブとか、簡単な住まいが多い。でも、南の島の花がその小さな家々を豊かにコーディネートしている。ブーゲンビリヤ、ハイビスカス、島バナナやパパイヤなど、至る所にたわわに実っている。散歩しているだけでも、楽しい。

瀬掘アパートはネットで検索して何となく勘で選んだ。この目で見るまではかなり不安だった。でも、それは取り越し苦労だった。思ったより広く、町から少し引っ込んだ所でどこに行くにも最適な場所だ。海はすぐだし、裏には山が広がる。朝はにわとりのモーニングコールもある。満足度100パーセント。

ここの大家さんは小笠原諸島を発見したナサニョールセボレーの子孫だそうだ。おばあさんも息子さんも、見た感じ外人である。とても感じのいい人達でますます気にいった。何軒かトレーラーハウスの民宿を経営している。息子さんは養蜂家でもあり、どっちの料理ショーで紹介されたとか。春には今以上に花々が増えるので、また美味しい蜂蜜が取れるだろう。妻はその蜂蜜を今から心待ちにしている。

ある時、瀬掘さんとの不思議な縁を感じる話を仲良しのえいちゃんがしてくれた。
おばあさんのご主人は割りと最近亡くなったそうだが、伝説のウィンドサーファーだったらしい。70歳を過ぎてから、50キロ離れた母島までウィンドサーフィンで渡ったそうだ。凄い!かっこいい!ウインドを愛する僕としては、かなりその話に触発されてもうやるしかないと言う気分になった。

この島はとにかく狭い。同じアパートに以前海と星のツアーでお世話になったガイドのヨッシーが203号室に住んでいた。挨拶回りをした時再会を喜び合った。その日のヨッシーのブログには、ハッシーが来た、と書いてあった。あるいて2,3分の所には山のガイドでお世話になったおが君も居る。島は本当に狭い。

今日も夕方ジョギングしたら、またえいちゃんに会った。狭い島はみんなファミリーの様に思えた。