MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

ブーゲンビリア

2005年11月22日 | 花随想の記
 その日のグアム島は朝から良く晴れていた。
海は、群青、コバルトブルー、スカイブルー、ウルトラマリン、エメラルド、ラピスラズリと、
青系統の色をさまざまに混色させつつ、
白線のようにも見える波が幾重にも重なり合い、
時折ピーチブラックの岩礁を包みこんでいた。

 一人旅の私は朝一番で島の巨大ホテルをチェックアウトし、
日本の観光会社が経営するホテルにチェックインした。
そしてここで6日ほど投宿した。
居心地が良かったので予定を3日ほど延ばしたのである。

 何かの本に「大人の隠れ家的存在」と書かれていたがまさにそのとおりで、
日本との国際電話は、まるで市内電話のように鮮明であった。
くだんの友人にかけたところ、私が海外にいることを全く信用して戴けなかった。
他の友人もしかりで居場所さえ告げなければ、
誰も私が海外にいることに気付く友人はいなかった。

 ホテルは三階建ての洋風長屋(雑誌ではスペイン風とあったが)といった風情で、
内装も高級感は無く、どことなく「ホッ」と一息できるそんなつくりだった。
しかも、
チェックイン後は、私が用件を頼まない限りルームサービスも入らなかった。

 部屋から出ても廊下や壁の仕切りがあるわけではなく、
幅一メートルぐらいのコンクリートを流しただけの、
道とも廊下ともつかないようなスペースがあるだけで、
防犯的には問題がありそうに思えた。
初日はそんな心配をしながらベットに潜り込んだが、
三日目もすると慣れてしまい、離島するころには去り難いものを感じていた。

 部屋には二つの出入り口があった。
一つは庭園に隣接したったの一歩で芝生の上に降りられたのである。
芝生を左に行けば約五メートルのところにプールと何台かのサンデッキがあり、
右に百メートルほど行けば真っ白な珊瑚砂のタモンビーチに出ることができた。

 表玄関は日本の少し古びたアパート風のドアがついていた。
入るときも何となくわびしさを感じていたので、
ここを利用したのは夜の食事や循環バスでショッピングセンターに行ったときぐらいだった。
玄関からは靴を履いて外出し、
庭園側からはビーチサンダルで外出し、
朝に夕に広い砂浜に出て散歩を楽しんだ。

 プールのある庭園では、ブーゲンビリアが咲き誇り鉄のモニュメントを囲っていた。
鉄のモニュメントはさび付いて古びた高射砲だった。
おそらく第二次世界大戦で使われたものであろう。
米軍のものか旧日本軍のものかはわからなかったが、
島にはこのような残骸があちこちに残っていて観光の目的にもなっているということだった。

 島は何処に行ってもブーゲンビリアが咲いていた。
珊瑚が砕けてできた真っ白な砂のビーチ端のあちこちに咲いていたし、
ショッピングセンターの入り口や、道路脇にも咲いていた。
写真は何枚か撮ったが、写真的にはあまり面白い花ではなかった。

この写真を久しぶりに机の中から見つけたとき、
数年前の鮮やかな光景がよみがえってきた。
そして激務の中にあってそんな休暇の許可を頂けた会社への感謝の気持ちが再び思い出され、
さらに鋭意仕事に邁進しようと・・・・・

ちなみにそのホテルは「フジタタモンビーチホテル」で、今は無い。
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