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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



花菖蒲の中の肥後系は、江戸系を収集した松平菖翁から肥後熊本に渡った品種が改良されたもので、花の姿が重視されたために鉢植で栽培され、花が大きく、豪華なハナショウブが多い。

雲の領(以下肥後系)



1831~2年、肥後藩主の細川斉護が松平菖翁のうわさを聞き付け、ぜひ熊本でも作りたいと花菖蒲の分譲を申しでている。



菖翁は一旦断わっているが、1833年頃から肥後藩に花菖蒲の培養技術や実生の手ほどきをするようになり、苗も分け与えるようになったという。

西行桜



その時菖翁は、花菖蒲がみだりに広がらないように必ず秘蔵するようにと申し付け、この事が熊本における花菖蒲門外不出の鉄則の始まりとなったらしい。



1845年菖翁の家が火事にあった時、熊本から見舞金が贈られたことに感激した菖翁は、手元にある60品種を全部熊本へ送ったと伝えられている。

淡路島



熊本へ渡った菖翁の花菖蒲が、その後改良され、さらに発達していったのが肥後系花菖蒲で、大正末期に一度だけ門外不出が破られたために日本各地で肥後系のハナショウブを見ることが出来るという。



熊本花菖蒲満月会は、その後肥後系花菖蒲の門外不出を固く守り、菖翁の正統であることを今日に伝えている。

虜生の夢



伊勢系は、江戸中期から伊勢松阪地方で改良されてきた品種で、草丈は低く花茎は葉とほぼ同じ高さまでしかならないのが特徴である。

伊勢千歳(以下すべて伊勢系)



優雅で清楚な趣があり、鉢植えや茶庭の植え込みとして栽培され、女性的、上品、繊細な色彩に、たおやかな垂れ咲きの花形を持っている。



南伊勢は、1619年から明治維新まで紀州藩の飛び地藩領で、藩士が参勤交代で松阪に持ち帰ったり、江戸にいる松阪商人が郷里に植えた花菖蒲を藩士の吉井定五郎(1776~1859年)が改良したのが伊勢系の起りという。

宝の山



吉井は、江戸花菖蒲の中から、花弁が垂れ下がり、狂いのあるものを選び出し、時にはノハナショウブの中から、花の変わっているものを見つけ出し、それらと交配して、伊勢花菖蒲という新しい系統を作り出したようである。






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