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昨日タクシーで烏丸四条辺りを通った。
そういえば山鉾の写真を撮っていなかったと気づく。
本当は降りたくなかったけど落ちた。
なんか祇園祭は億劫だ。
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京都の人間としては、自分が氏子の神社以外のお祭はどうも興味がない。
人が多いややこしい場所にいきたくない。
そいう風に思っている。
フォントの関係なんだろうな。
祭の名前がよくわからない。
「祇園祭」「祗園祭」「擬音祭」・・・。
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そもそも何が目的のお祭なのか?
由来を調べてみました。
八坂神社だからスサノヲノミコト(素戔嗚尊)、クシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)その他の神が祀ってあるから、スサノヲノミコトのお祭が祇園祭だと思っていた。素民将来の話もそうだしね。
ところが実は、牛頭天王の祭のようです。
863年(貞観5年)神泉苑の御霊会(ごりょうえ)を行ったのが最初です。
平安京は、内陸の湿地であったため高温多湿でしかも上下水道が完備していなかった。だから瘧(わらわやみ=マラリア)、裳瘡(天然痘)、咳病(インフルエンザ)、赤痢、麻疹などが大流行していた。
それと長岡京遷都工事中に起きた藤原種継暗殺事件で無実を訴えながら亡くなった早良親王ら六人の怨霊が街を覆っていたのが疫病の原因と陰陽師が言った。
それらを鎮めるために御霊会が始まったのです。
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さて牛頭天王は、もちろん日本の神ではない。
お釈迦さんの祇園精舎の守護神なんです。
祇園の八坂神社というのは祇園精舎から地名がきている。
蘇民将来説話は、もともと牛頭天王の話らしい。
この牛頭天王は祇園神、陰陽道では天道神、神道では素戔嗚尊、仏教では薬師如来と同一の存在なんです。
日本人って凄いのは輸入の神さんをすべて統合して崇拝するという特徴を持っていますね。
以上のような統合を、神仏習合、本地垂迹(ほんじすいじゃく)といいます。
いまでもクリスマスをしたり、お正月には初詣に行き、お盆はお寺に墓参りしたり、最近では、ハロウィンや復活祭をしたりをやってしまうのが日本人の特徴ですね。
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さて牛頭天王の嫁探しの話を書いて起きます。
牛頭天王は、7歳にして身長が7尺5寸あり、3尺の牛頭をもち、また、3尺の赤い角もあった。成人して后をむかえようとするものの、その姿かたちの怖ろしさのために近寄ろうとする女人さえいない。牛頭天王は酒びたりと婚活の毎日を送るようになった。
3人の公卿が天王の気持ちを慰安しようと山野に狩りに連れ出すが、そのとき一羽の鳩(元総理大臣ではない)があらわれた。山鳩は人間のことばを話すことができ、大海に住む沙竭羅龍王の娘のもとへ案内すると言う。牛頭天王は娘を娶りに出かけるです。
旅の途次、長者の古単に宿所を求めたが、慳貪な古単(古端、巨端)はこれを断った。それに対し、貧乏な蘇民将来は歓待して宿を貸し、粟飯をふるまった。蘇民の親切に感じ入った牛頭天王は、願いごとがすべてかなう牛玉を蘇民にさずけ、蘇民は富貴の人となった。(牛玉ってなんやろ・・・三室戸寺の牛さんの話みたいやね)
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龍宮へ赴いた牛頭天王は、沙竭羅の三女の婆利采女を娶り、8年をそこで過ごすあいだに七男一女の王子(八王子)をもうけた。豊饒国への帰路、牛頭天王は八万四千の眷属をさしむけ、古単への復讐を図った。古端は千人もの僧を集め、大般若経を七日七晩にわたって読誦させたが法師のひとりが居眠りしたために失敗し、古端の眷属五千余はことごとく蹴り殺されたという。この殺戮のなかで、牛頭天王は蘇民将来の娘ひとりだけは命を助け、「茅の輪をつくって、赤絹の房を下げ、『蘇民将来之子孫なり』との護符を付ければ末代までも災難を逃れることができる」と除災の法を教示した。
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なかなか面白い話ですね。
今年は土日で天気もいいから凄い人だろうな。
私はよう行きません。
Twitter→@kyo_otoko
私もテレビの歩行者天国の画像見ただけでその気がなくなります。
今回も不参戦ですね(^-^)
今日明日は近づいてはいけない。
人が多すぎ、しかも猛暑だし。
真夏の京都に行く気にはなれず、祭もそんなに興味がなく(すみません^^;)、昨年の京男さんのブログ写真で満足しました(笑)
京男さんもちゃんと、氏神さんありますか?
こちらでは近くの神社さんとも疎遠かなぁ。。。引越して来た組だし、いい意味での人が少ない田舎でもなく、何の繋がりもない。
淋しいものです
あ、蛇足。さそりの唐揚げだったらいけるかも(笑)
今年は梅雨明けしていて、しかも土日になっているから山鉾は大変だろうな。大きな事故がないといいけど。
氏神はありますよ。
それも崩れつつありますね。
地域のつながりが弱くなっているようにおもいます。
サソリはいけますが。(笑)
ゆったりと動く美しい山鉾に感動しました。
時間を越えて存在するものには
畏敬の念を感じます。
牛頭天王のエピソード、
誰にでも親切にしなさいという事なんでしょうね。
今はどうだか知らないけれど、昔は繁華街の喫茶店も祭り価格で、倍ほど取られて、時間制限されたり・・・
そんな恨みもあるのかもね、全く近寄りたくないですよ(笑)
地元の人間はあまり行かないものなんですよ。おのぼりさんが行くだけです。
一度行くと懲ります。
素民将来の話は、神さんが来ているのに雰囲気だけで判断してはいけないということです。大事なことはソッとなにげなく来るというのが人生。いろんな出来事に慎重に対応しなさいということでしょう。
一度酷い目に遭うと学習しますよね。
そうそう値段がくそ高くなりますよね。
エグイですよね。あれ。