京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

山鉾巡行に行ってきたような記事を書き

2013年07月18日 04時43分03秒 | 行事
昨日午前中、Skypeや電話で話しながらデスクワークをしておりました。
そこへ、メールで山鉾巡行の写真が送られてきました。
ブログに使っていいとのことなので、お言葉に甘えさせていただきました。
彼の会社から山鉾巡行が見えるのです。
Y.Iさん、写真をありがとうございます。
仕事になるような、ならないような・・・・でしょうね。
今年は、あまり暑くなくカンカン照りでもなく、まあまあの日よりだったことでしょう。
私もサラリーマン時代は、会社へ歩いて行っていたのです。
山鉾巡行当日、朝の四条河原町の雰囲気はわかります。


↑Y.Iさんからの写真

カップルが浴衣を着てフラフラ歩いていたりするのが風情のあるものでした。
男性がちょっとうなだれて歩いたりしてね。(笑)
浴衣って昔は、湯上がりとか、寝間着、日本舞踊の稽古着的な存在だと思っていた。
最近は、どうやら着物だと思っている男女が多いようですね。
いつからそうなってきたんだろう。
体型が昭和じゃなくなってきているから、似合わない人が多いですね。
特に男性は、悲しいほどペラペラした身体が多い。
誰かしっかりした着方を教えた方がいいですね。
左前で着たりするといけませんよ。ひょっとして意味がわかっていないかも。


↑Y.Iさんからの写真

山鉾巡行で思い出すのは、粽です。
私の小さい時、山鉾巡行の時、粽をまいたものです。
見ている人が必死に拾う。
小さい時、必死になって拾いました。食べようと剥いても中身がなかった・・・。
なんか騙された気持ちになりましたね。
いま、粽のお札をまいたらすごいことになるでしょうね。


↑Y.Iさんからの写真

結婚して堀川御池のマンションに住んだのです。
夜、祇園囃子の練習が遠くに聞こえていた。
長女が7ヶ月ぐらいだった。
宵山の時、粉ミルクがないことに京女が気付いた。
しかたなく、宵山をやっているあたりの薬局なら営業しているだろうということで、長女を乳母車に乗せ、宵山に行った。あの頃の宵山は、今みたいに人が多くなかったのです。いつからだろうあんなに人が集まるようになったのは。
無事、粉ミルクを買って逃げるように家に帰りました。
いまでは、懐かしい思い出です。
あの頃、後に子供が3人も増えるとは想像もしていなかった。

和菓子
中村 肇
河出書房新社

↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おはようございます (すー)
2013-07-18 07:33:50
とにかく、無事に巡行が終わって良かったですね。
京都の夏はこれからが本番といいますが、もう十分な暑さを経験しているような・・・

粉ミルクの件、思い出になりましたね。
返信する
>すーさん、おはようございます (京男)
2013-07-18 07:53:05
なんとか無事に終わりましたね。
宵山の雑踏で事故が起きないか毎年心配しているのですよ。あの雑踏ですからね。何かのきっかけでパニックになると被害甚大でしょうから。明石の花火大会の時、かなり近くにいたんですよ。
粉ミルクを買いに行った頃、ふまり25年ぐらい前は、人が比較的すくなかったように思います。近年はちょっと異常です。
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