先日、またまた丸太町通室町あたりに行く。
ランチだったので白扇で食べることにした。
週末だったので日替の定食がなかった。
カレーライスという手もあったけど、カレーの気分でなかった。
ひょっとして洋食屋さんのカレーは苦手なのかも。
昔ながらのルーを作る方式だからです。
↑白扇「Bランチ定食」
ということで本日は「Bランチ定食」にした。
この上にハクセンランチというのもあるのですが、フライが大きくなったり、エビフライが2本だったりするだけのようです。
懐かしい雰囲気でしょ。昔なら洋食弁当で出前してもらう感じですね。
残業して食べる雰囲気ね。
1日17時間ぐらい働いていた時代を思い出す。
二十歳代だったから出来たのでしょう。
いまならかなりブラック・・・と言われそう。
でも当時は、当たり前に働いていた。仕事を憶えるためだったからかな・・・。
イヤイヤでなく自主的に働いていたから続いていたのかも。
食べてから、この日のイベントの場所に歩いて行く。
途中に菅原院天満宮神社があった。
ここは、菅原道真さんが生まれた場所。
産湯につかった井戸があります。
この場所は、昔の御所からすると東の方になるのかな?
↑菅原院天満宮神社
↑ここは、産湯の井戸ではなりません。
菅原道真と牛の関係って?
1.菅原道真公は承和12年(845年)乙丑6月25日丑の日に生まれた。
2.丑年生まれであったため、牛をかわいがっていた。
3.左遷により大宰府に赴く途中、牛の鳴き声で刺客から逃れることができた。
4.道真公は延喜3年(903年)2月25日丑の日に亡くなった。
5.道真公の「遺骸を牛車にのせて人にひかせず、牛の赴くところにとどめよ」という遺言により、遺体は道真の住んでいた榎社から牛車で運ばれたが、四堂という場所で牛が動かなくなったため、その地を墓地として埋葬した。
6.延喜5年(905年)の乙丑8月19日、門弟である味酒安行は道真を埋葬した場所に神廟を建てた。それが安楽寺であり、のちの太宰府天満宮の本殿である。
7.「北野天神縁起絵巻」では牛車で道真公の亡骸を運び、牛がうずくまる横で埋葬するための穴を掘る場面が描かれている。御神牛の多くが臥牛像であるのはここからきている。
8.のちに道真が神として祀られると、雷神であると同時に農業の守り神としても信仰されてきたが、農耕において牛は重要な働き手であることから、天満宮では神の使いとして信仰の対象となった。
8.天神様の正式な神号「天満大自在天神」の由来とされる仏教の守護神「大自在天」は白牛に乗っている。
以上は、ウィキペディアからの引用です。
こうやって見ると、決定的な牛ではないような気もしますね。
京の都の偉い人たちは、菅原道真さんの恨みがよほど怖かったのでしょう。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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Twitter→@kyo_otoko
ランチだったので白扇で食べることにした。
週末だったので日替の定食がなかった。
カレーライスという手もあったけど、カレーの気分でなかった。
ひょっとして洋食屋さんのカレーは苦手なのかも。
昔ながらのルーを作る方式だからです。
↑白扇「Bランチ定食」
ということで本日は「Bランチ定食」にした。
この上にハクセンランチというのもあるのですが、フライが大きくなったり、エビフライが2本だったりするだけのようです。
懐かしい雰囲気でしょ。昔なら洋食弁当で出前してもらう感じですね。
残業して食べる雰囲気ね。
1日17時間ぐらい働いていた時代を思い出す。
二十歳代だったから出来たのでしょう。
いまならかなりブラック・・・と言われそう。
でも当時は、当たり前に働いていた。仕事を憶えるためだったからかな・・・。
イヤイヤでなく自主的に働いていたから続いていたのかも。
食べてから、この日のイベントの場所に歩いて行く。
途中に菅原院天満宮神社があった。
ここは、菅原道真さんが生まれた場所。
産湯につかった井戸があります。
この場所は、昔の御所からすると東の方になるのかな?
↑菅原院天満宮神社
↑ここは、産湯の井戸ではなりません。
菅原道真と牛の関係って?
1.菅原道真公は承和12年(845年)乙丑6月25日丑の日に生まれた。
2.丑年生まれであったため、牛をかわいがっていた。
3.左遷により大宰府に赴く途中、牛の鳴き声で刺客から逃れることができた。
4.道真公は延喜3年(903年)2月25日丑の日に亡くなった。
5.道真公の「遺骸を牛車にのせて人にひかせず、牛の赴くところにとどめよ」という遺言により、遺体は道真の住んでいた榎社から牛車で運ばれたが、四堂という場所で牛が動かなくなったため、その地を墓地として埋葬した。
6.延喜5年(905年)の乙丑8月19日、門弟である味酒安行は道真を埋葬した場所に神廟を建てた。それが安楽寺であり、のちの太宰府天満宮の本殿である。
7.「北野天神縁起絵巻」では牛車で道真公の亡骸を運び、牛がうずくまる横で埋葬するための穴を掘る場面が描かれている。御神牛の多くが臥牛像であるのはここからきている。
8.のちに道真が神として祀られると、雷神であると同時に農業の守り神としても信仰されてきたが、農耕において牛は重要な働き手であることから、天満宮では神の使いとして信仰の対象となった。
8.天神様の正式な神号「天満大自在天神」の由来とされる仏教の守護神「大自在天」は白牛に乗っている。
以上は、ウィキペディアからの引用です。
こうやって見ると、決定的な牛ではないような気もしますね。
京の都の偉い人たちは、菅原道真さんの恨みがよほど怖かったのでしょう。
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風邪などひかない様に、ご自愛ください。
アホやから風邪はひかないかも。