京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

箱庭的定食?

2021年12月06日 05時18分30秒 | 
先日、またまた丸太町通室町あたりに行く。
ランチだったので白扇で食べることにした。
週末だったので日替の定食がなかった。
カレーライスという手もあったけど、カレーの気分でなかった。
ひょっとして洋食屋さんのカレーは苦手なのかも。
昔ながらのルーを作る方式だからです。


↑白扇「Bランチ定食」

ということで本日は「Bランチ定食」にした。
この上にハクセンランチというのもあるのですが、フライが大きくなったり、エビフライが2本だったりするだけのようです。



懐かしい雰囲気でしょ。昔なら洋食弁当で出前してもらう感じですね。
残業して食べる雰囲気ね。
1日17時間ぐらい働いていた時代を思い出す。
二十歳代だったから出来たのでしょう。
いまならかなりブラック・・・と言われそう。
でも当時は、当たり前に働いていた。仕事を憶えるためだったからかな・・・。
イヤイヤでなく自主的に働いていたから続いていたのかも。





食べてから、この日のイベントの場所に歩いて行く。
途中に菅原院天満宮神社があった。
ここは、菅原道真さんが生まれた場所。
産湯につかった井戸があります。
この場所は、昔の御所からすると東の方になるのかな?


↑菅原院天満宮神社


↑ここは、産湯の井戸ではなりません。

菅原道真と牛の関係って?
1.菅原道真公は承和12年(845年)乙丑6月25日丑の日に生まれた。
2.丑年生まれであったため、牛をかわいがっていた。
3.左遷により大宰府に赴く途中、牛の鳴き声で刺客から逃れることができた。
4.道真公は延喜3年(903年)2月25日丑の日に亡くなった。
5.道真公の「遺骸を牛車にのせて人にひかせず、牛の赴くところにとどめよ」という遺言により、遺体は道真の住んでいた榎社から牛車で運ばれたが、四堂という場所で牛が動かなくなったため、その地を墓地として埋葬した。
6.延喜5年(905年)の乙丑8月19日、門弟である味酒安行は道真を埋葬した場所に神廟を建てた。それが安楽寺であり、のちの太宰府天満宮の本殿である。
7.「北野天神縁起絵巻」では牛車で道真公の亡骸を運び、牛がうずくまる横で埋葬するための穴を掘る場面が描かれている。御神牛の多くが臥牛像であるのはここからきている。
8.のちに道真が神として祀られると、雷神であると同時に農業の守り神としても信仰されてきたが、農耕において牛は重要な働き手であることから、天満宮では神の使いとして信仰の対象となった。
8.天神様の正式な神号「天満大自在天神」の由来とされる仏教の守護神「大自在天」は白牛に乗っている。
以上は、ウィキペディアからの引用です。





こうやって見ると、決定的な牛ではないような気もしますね。
京の都の偉い人たちは、菅原道真さんの恨みがよほど怖かったのでしょう。

和菓子
クリエーター情報なし
河出書房新社

↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)000(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

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4 コメント

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おはようございます (常盤万作)
2021-12-06 07:41:25
年末です。
風邪などひかない様に、ご自愛ください。
返信する
>常磐万作さん、おはようございます (京男)
2021-12-06 07:46:29
年末ですね。
アホやから風邪はひかないかも。
返信する
こんにちは (す-)
2021-12-06 13:06:40
そういえば、菅原院天満宮神社の前は時々通りますが、入ったことが有りません。
返信する
>すーさん、こんにちは。 (京男)
2021-12-06 15:00:36
そうでしょ。意外と入りません。一度どうぞ。
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