本日も写真は、菅原院天満宮神社です。
京都市内に「○○天満宮」というのが多くあります。
・北野天満宮
右大臣菅原道真が左大臣藤原時平の讒言にあって左遷され、延喜3年(903年)に大宰府で没した後、都では落雷などの災害が相次いだ。これが道真の祟りだとする噂が広まり、御霊信仰と結びついて恐れられた。そこで、没後20年目、朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈った。
・錦天満宮
長保5年(1003年)、菅原道真の父親である菅原是善の旧邸菅原院跡地にあった歓喜寺を源融の旧邸・六条河原院の跡地に移築し、その鎮守社として天満天神を祀った天満宮として創建されたのに始まる。
・菅原院天満宮神社
菅原道真公がお生まれになった霊地であります。
また、道真公の先祖三代がお住まいになった地でもあり、菅原道真公とその父是善卿、祖父清公卿を祀っております。
烏丸の天神さんとも呼ばれて、人々に親しまれながらも厚い信仰がよせられています。
・吉祥院天満宮
菅原道真公がおなくなりになって31年目に当たる承平四年(934)に菅原家ゆかりの道真公御誕生の地に朱雀天皇の勅命により創建された最初の天満宮である。
これより先、平安遷都とともに文章博士として恒武天皇に随行された道真公の祖父清公卿は遣唐使の命を受けて唐へ渡航中暴風に遭遇、船上にて吉祥天女の霊験を得て入唐、無事任務を終えて帰国後、自邸内にお堂を建て吉祥天女の尊像をまつった。
これが吉祥院の由来で地名の起源となっている。境内には道真公のへその緒を埋めたと伝えられる「胞衣(えな)塚」をはじめ、少年時代に習字に使用したという「硯の水」や顔を写したと伝える「鑑(かがみ)の井」などがある。
・水火天満宮
923年(延長元年)、醍醐天皇の勅願により水難火難除けの守護神として延暦寺の尊意僧正に勅命があり、菅原道真の神霊を勧請し建立された。以前は同じ上京区の上天神町にあったが、堀川通の拡張に伴って1952年に現在の場所に移転した。
・文子天満宮
社伝によれば、大宰府(福岡県)に左遷された道真は、903年(延喜3年)に59歳で没したが、没後、道真の乳母であった多治比文子は、「われを右近の馬場に祀れ」との道真の託宣を受けたという。しかし、文子は貧しく、社殿を建立することができず、右京七条二坊の自宅に小さな祠を建て、道真を祀ったといわれている。これが当社の起こりで、天神信仰発祥の神社、また北野天満宮の前身とも伝えられている。
「天満」の名は、道真が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から来たといわれ、『日本書紀』の「虚空見(そらみつ)」から、あるいは「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことがその由来という。怨霊の記憶が薄れていくとともに、また太平の世になるにつれ、道真が優れた学者であったことから天神は「学問の神様」ともされ、多くの受験生が合格祈願に詣でるようになったそうです。
こうやって見ると昔の悪人は、純真だったようですね。
いまの政治家は、それだけ純真でないのかも。
讒言で左遷なんて、そんなに珍しいことじゃないものね。
↑聖アグネス教会の塔、天満宮の隣にあります。神社のすぐ隣に聖アグネス教会。日本では神様同士はあまりケンカしないのです。日本っていい国ですよね。
↑これがタイトルの住所。
京都市内の古い町内には、こんな表示があります。
この住所って、京都らしい長さです。
こういう長ったらしい住所に住民は泣かされます。
郵便番号で住所を簡略にできないのです。
とっさに漢字がかけなかったりします。
住所の短い場所に憧れているのです。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)000(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)
Twitter→@kyo_otoko
京都市内に「○○天満宮」というのが多くあります。
・北野天満宮
右大臣菅原道真が左大臣藤原時平の讒言にあって左遷され、延喜3年(903年)に大宰府で没した後、都では落雷などの災害が相次いだ。これが道真の祟りだとする噂が広まり、御霊信仰と結びついて恐れられた。そこで、没後20年目、朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈った。
・錦天満宮
長保5年(1003年)、菅原道真の父親である菅原是善の旧邸菅原院跡地にあった歓喜寺を源融の旧邸・六条河原院の跡地に移築し、その鎮守社として天満天神を祀った天満宮として創建されたのに始まる。
・菅原院天満宮神社
菅原道真公がお生まれになった霊地であります。
また、道真公の先祖三代がお住まいになった地でもあり、菅原道真公とその父是善卿、祖父清公卿を祀っております。
烏丸の天神さんとも呼ばれて、人々に親しまれながらも厚い信仰がよせられています。
・吉祥院天満宮
菅原道真公がおなくなりになって31年目に当たる承平四年(934)に菅原家ゆかりの道真公御誕生の地に朱雀天皇の勅命により創建された最初の天満宮である。
これより先、平安遷都とともに文章博士として恒武天皇に随行された道真公の祖父清公卿は遣唐使の命を受けて唐へ渡航中暴風に遭遇、船上にて吉祥天女の霊験を得て入唐、無事任務を終えて帰国後、自邸内にお堂を建て吉祥天女の尊像をまつった。
これが吉祥院の由来で地名の起源となっている。境内には道真公のへその緒を埋めたと伝えられる「胞衣(えな)塚」をはじめ、少年時代に習字に使用したという「硯の水」や顔を写したと伝える「鑑(かがみ)の井」などがある。
・水火天満宮
923年(延長元年)、醍醐天皇の勅願により水難火難除けの守護神として延暦寺の尊意僧正に勅命があり、菅原道真の神霊を勧請し建立された。以前は同じ上京区の上天神町にあったが、堀川通の拡張に伴って1952年に現在の場所に移転した。
・文子天満宮
社伝によれば、大宰府(福岡県)に左遷された道真は、903年(延喜3年)に59歳で没したが、没後、道真の乳母であった多治比文子は、「われを右近の馬場に祀れ」との道真の託宣を受けたという。しかし、文子は貧しく、社殿を建立することができず、右京七条二坊の自宅に小さな祠を建て、道真を祀ったといわれている。これが当社の起こりで、天神信仰発祥の神社、また北野天満宮の前身とも伝えられている。
「天満」の名は、道真が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から来たといわれ、『日本書紀』の「虚空見(そらみつ)」から、あるいは「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことがその由来という。怨霊の記憶が薄れていくとともに、また太平の世になるにつれ、道真が優れた学者であったことから天神は「学問の神様」ともされ、多くの受験生が合格祈願に詣でるようになったそうです。
こうやって見ると昔の悪人は、純真だったようですね。
いまの政治家は、それだけ純真でないのかも。
讒言で左遷なんて、そんなに珍しいことじゃないものね。
↑聖アグネス教会の塔、天満宮の隣にあります。神社のすぐ隣に聖アグネス教会。日本では神様同士はあまりケンカしないのです。日本っていい国ですよね。
↑これがタイトルの住所。
京都市内の古い町内には、こんな表示があります。
この住所って、京都らしい長さです。
こういう長ったらしい住所に住民は泣かされます。
郵便番号で住所を簡略にできないのです。
とっさに漢字がかけなかったりします。
住所の短い場所に憧れているのです。
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↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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商品の包み紙に「上がる、下がる」なんて素晴らしい。地元の人は嫌かしら??
郵便番号もあまり役に立ってない。通版の時、自分の住所を言うのが辛いです。