万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

トライベイ・キャピタルに見る‘焼き畑’的な太陽光発電バブルの巨悪

2023年03月10日 12時53分25秒 | その他
 今般、三浦清志容疑者の逮捕により明るみに出た太陽光発電事業は、地球温暖化問題というグローバルな大舞台の上で繰り広げられてきた投資会社投資ファンド等の悪徳ビジネスの実態をも明らかにしているように思えます。

 報道内容が正しければ、三浦氏が手がけるトライベイ・キャピタルは、‘土地転がし’まがいのビジネスで利益を挙げていたそうです。例えば、固定価格買取制度を追い風として太陽光発電事業への参入を計画し、用地を準備した事業者がいたとします。この情報を入手した同社は、すぐさま同用地に隣接する土地を安値で買い占め、その後、同時業者に隣接地を買い取るように持ちかけるのです(土地の買取に応じない場合は、多額の通過料を請求・・・)。発電した電力を送るための送電線を引くためには、隣接する土地も必要として。そして、提案した土地の価格、驚くべきことに取得価格の10倍というのです。購入価格が1億円であれば売却時の価格は10億円となり、土地を転売するだけで、同社には9億円の利益が転がり込むのです。

 また、最初の容疑が投資詐欺であったように、同社には、詐欺罪の嫌疑もありました。住民の合意を示す書類を偽造して事業委託を受けながら、実際には、住民の反対で計画は頓挫しており、現地は更地のままであったというものです。しかも、出資金10億円の内、横領が疑われている2億5千万円は人件費とも述べていますので(トライベイ・キャピタルの社員は10名程度らしい・・・)、仮に同供述が事実であったとしても、法外な報酬も当然視していたことになります。

 三浦夫妻は揃って東京大学を卒業した学歴をもち、清志容疑者は元外務官僚であり、かつ、外資系大手コンサルティング会社であるマッキンゼーにも勤めた華々しいキャリアがあります。また、国際政治学者の三浦瑠麗氏もマスメディアへの登場により知名度が高く、かつ、政界や官界にも広い人脈がありました。しかも、同社が取得した事業は、低圧事業用太陽光発電所として固定価格買取制度の認定を受けていたそうです。多くの人々が同夫妻を信用し、投資話に引き込まれてしまうのも理解に難くはありません。そして、一件で数億円の利益が上がるのですから(2023年の目標は1000件・・・)、SNS等でも発信されてきた三浦夫妻のリッチな生活も頷けるのです(‘セレブ生活’の公開も、投資を呼び込むために太陽光発電事業の収益性の高さや有望性をアピールするための宣伝活動であったのかもしれない・・・)。

 しかしながら、この悪徳商法、結局は、行き詰まることとなったようです。トライベイの経営は‘自転車操業’であったとされているように、計画が行き詰まった事業も多く、多額の債務も抱えていたようです。その理由としては、太陽光発電所に吹きはじめた逆風によって住民の合意が得るのが難しくなったこと、固定価格買取制度において買い取り価格が下がったこと、そして、同社をはじめとした投資会社の強欲な体質、並びに、経営手法が、一般投資家や新規参入事業者にリスクとして認識されてきたこと、などを挙げることができましょう。実際に、今日では、太陽光発電事業から撤退する事業者や投資家も現れており、トライベイ・キャピタルの大手同業者も倒産しています。

 かくして、いよいよ太陽光バブルは終焉を迎えそうなのですが、同様のバブル崩壊は、実のところ、既に海外においては経験済みです。否、日本国が固定価格買取制度を開始した凡そ10年前の時点にあって、いち早く同制度を導入したスペインでは、太陽光発電事業におけるバブル崩壊が起きていたのです。このことは、日本国政府は、固定価格買取制度を導入すればバブルが発生するリスクを知りながら、敢えて同制度を取り入れたことを意味しています。コロナワクチンにつきましても、海外で健康被害の報告がありながら、日本国政府は、同ワクチンの接種を国を挙げて推進しており、リスク無視で海外の制度や政策を後追いする事例が後を絶ちません。

 日本国政府は、常々海外の政策をグローバル時代の先端的なモデルとして模倣してきましたが、既に失敗した事例まで模倣するのは、あまりにも愚かしいことです。制度的な欠陥が明白なのですから、せめてそれらを是正してから導入すべきです。しかしながら、こともあろうか、当時の民主党政権は、固定価格をドイツの2倍に設定し、欠陥、すなわち、バブル・リスクをさらに増強させる形で同制度をスタートさせているのです。

 ‘愚か’と言ってしまいますとそれまでなのですが、本当に、日本国政府は、欠陥に気がつかない愚かな政府であったのでしょうか。仮に、思慮に欠けた単なる判断ミスではないとしますと、これは、固定価格買取制度のバブル効果を十分に理解した上での計画的な導入であった可能性も捨て切れません。投資額が膨らむバブリングの時に十分な利益を吸い上げ、それが崩壊する前に逃げてしまうという作戦です(トライベイも香港、シンガポール、フィリピンに事業拠点を設けているので、既に海外に資産を移している可能性も・・・)。A国で制度を導入させてバブルを崩壊させた後、B国に移り、B国でも同制度を導入させることに成功すれば、同様の手法で莫大な利益を得ることができます。もちろん、所謂‘太陽光ビジネス’の計画者は、同制度に“政治家の利権”を組み込むことも忘れてはいなかったようです。つまり、太陽光発電事業は、グローバルな視点からすれば‘焼き畑’ビジネスであると見立てれば、日本国政府が制度導入を急いだ理由にも説明が付くのです。

 地球温暖化問題につきましては、科学的な見地からの懐疑論がありながらも二酸化炭素犯人説が定説化し、何れの政府も強引に太陽光発電促進政策を推し進めてきました。しかしながら、本当のところは、この政策、一体、‘誰の利益’のためなのでしょうか。リベラルなグローバル・エリートも保守的なエリートも偽善者か‘偽旗者’であり、政治家やマスコミ、並びに、内外の宗教団体とも結託した巨悪の一味(金融・経済財閥系の世界権力・・・)であるのかもしれません。このままでは、未来永劫にわたって国民は重い負担や損失に耐えねばならなくなりますので、再生エネ事業に組み込まれた反社会的なビジネスや仕組みは、何としても取り除かなければならないのではないかと思うのです。

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「元徴用工問題」の次善の策は日本国政府の無反応

2023年03月09日 11時01分36秒 | 国際政治
 今月3月6日に、韓国側から唐突に公表された「元徴用工問題」の解決案については、韓国メディアを中心に‘日本国側にボールは渡された’とする見解が報じられたことから、日本国政府への提案として受け止められました。同解決案では、‘日本政府の包括的謝罪並びに日本企業の自発的貢献’への期待が記され、記者会見の席にあって朴振外交部長官は、「・・・日本側が呼応してくることを期待する」とも述べたからです。韓国側の提案⇒日本国側の合意⇒両国による同案の実施という今後の流れがイメージされたため、日本国内にあっても同解決案が報じられた途端、ネット上では批判や反対の声が一斉に上がることとなったのです。

 同案に反応したネット上の意見やコメントには、同問題は、‘既に解決済みであるから韓国の国内問題である’とする主張が多々見られました。この見解をより詳細に述べますと、‘日本国政府の現在の公式見解は、「元徴用工問題」は「日韓請求権協定」によって解決済みというものである以上、同立場を貫くならば、今般の韓国の解決案は、韓国国内に置いてのみ法的効力を持つべき‘となりましょう。その後、韓国政府が公表したのは「強制徴用最高裁判決関連解決法」、即ち、日本国政府に向けた提案という形式ではなく、国内に向けた‘解決法’の公表となっている点に注目すべきとする専門家からの指摘もあり、日本国内での批判はトーンダウンしてゆくのです。

 しかしながら、韓国側は、上述したように日本国側に対して‘日本政府の包括的謝罪並びに日本企業の自発的貢献’を期待しています。仮に、日本国政府が、この韓国からの一方的な‘期待’に応え、解決策として提案された「第3者返済方式」を認めた上で、韓国側の意に沿って「日本政府が強制徴用を含む植民地支配全体に対する痛切な反省と、また心からの謝罪を表明した「金大中-小渕共同宣言」の精神」を継承するとしますと、もはや韓国の国内問題に留まらず、結局、上述したように韓国司法機関による条約解釈の効果が日本国内にも及ぶこととなりましょう。

 しかも、韓国政府の口ぶりからしますと、同解決法の公表に際して日本国政府内への‘根回し’があったような気配もあります。例えば、朴振外交部長官は、敢えて村山談話や河野談話といった論争的な談話を避けて「金大中―小渕共同宣言」を選んでいますし、「日本政府も、民間企業の自発的な(基金作り)参加には反対しないという立場だと聞いている」とも述べています。岸田首相も、韓国の提案に呼応するかのように、参議院の予算委員会で歴代内閣の歴史認識を踏襲する方針を示しており、水面下における両国政府、あるいは、アメリカのバイデン政権も絡んだ筋書きの存在が伺われるのです。そして、素早い岸田首相の反応こそ、日本国政府による韓国案の受け入れを予測した日本国内の世論の強い反発を招いたのです。

 遂に岸田首相の退陣を求める声も聞かれるようになり、日本国政府は、路線の変更を余儀なくされたようにも思えます。日本国内の世論を考慮すれば、歴代内閣が示してきた歴史認識の踏襲は封印すべきでしょうし、韓国の最高裁判所から賠償命令を受けた日本企業に対しても、救済基金への拠出には応じないように要請すべきと言えましょう。

 「元徴用工問題」については、日韓請求権協定に規定された紛争解決の手続きである仲裁、あるいは、国際司法機関に解決を委ねるのが本来の筋となるのですが、次善の策として、‘無反応’という対応もあり得るように思えます。ネット上に散見される意見のように、韓国の国内問題に留めてしまうのです。今般の韓国側の解決策にあっては、日本側の対応は‘期待’に過ぎず、たとえ無反応であったとしても、韓国は、法的な措置に訴えることはできないはずです。そして、厳しい反日世論の後押しを受け、日本側の無対応を不服として韓国側がさらなる措置を求めるに至ったときに(韓国側が’肩代わり’の求償権を日本国に対して行使する可能性もあるという・・・)、日本国政府は、あらためて国際法秩序に乗っ取った紛争の解決を提案すべきではないかと思うのです。


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再生エネ固定価格買取制度は国民を搾取する-三浦夫妻問題

2023年03月08日 11時13分02秒 | 日本政治
 昨日、太陽光発電を中心に多角的な事業を展開してきたトライベイの三浦清志氏が業務上横領罪の容疑で逮捕されたとの報道がありました。同氏の逮捕だけでは然程の関心を呼ばなかったのでしょうが、同氏が国際政治学者として頻繁にマスメディアに登場していた三浦瑠麗氏の配偶者であったことから、様々な憶測が飛び交うことともなりました。そして、この一件ほど、太陽光発電の問題の深刻さを示す事件はないように思えます。本日の記事では、僅かな情報を手がかりにして、同事件が示唆する再生エネ固定価格買取制度の問題について考えてみたいと思います。

 地球温暖化問題、並びに、それに伴う再生エネルギー導入拡大政策につきましては、当初から政治的利権との繋がりが噂されてきました。日本国内でも、東日本大震災を機に民主党の管政権によって導入された固定価格買取制度(FIT)の裏では、ソフトバンクの孫正義氏の積極的な働きかけがあったそうです。‘地球を救おう’という大義名分が掲げられ、国民は、電力料金の値上がりを受け入れざるを得なくなったのです。しかも、再生エネの普及及び拡大が優先されたため、発足当初にはドイツの2倍の買い取り価格が設定されています。発電施設さえ建設できれば、安定した利益が保障されるのですから、事業者にとりましては、これほど有利な条件は他になかったことでしょう。

 かくして、日本国内各地に大規模なメガソーラを始め、中小の太陽光発電施設が雨後の竹の子のように建設されたことは、いかに大勢の起業家や事業者が太陽光発電市場に参入したのかを物語っています。この流れにあって、再生エネルギー市場を有望な投資先とみなす投資家や金融機関も目白押しであったことでしょう。その一方で、誕生したばかりの事業分野ですので、全ての参入希望者がノウハウを備えていたわけではなかったはずです。建設用地の取得、資金の調達、住民の合意獲得、地方自治体との折衝、管轄官庁への事業許認可の申請、FITの活用方法などなど、事業を始めるには専門的な知識や煩雑な手続きを要することでしょう。ここに、太陽光発電事業をビジネスチャンスとみた人々を顧客とする事業コンサルタントや投資相談の需要が生まれたものと推測されます。トライベイは、自ら事業を手がけると共に、コンサルタント業や投資管理業などにも手を広げていました。

 一種のバブル状態が発生したとも考えられるのですが、今般の事件は、太陽光事業というものが、事業受託事業者(トライベイ)に10億円を支払ってもなおも利益が期待できる事業である実態を明らかにしています。現在、トライベイは、1から2割程度の自社開発を含め、凡そ200件の固定価格買取制度の認定を受けた低圧事業用太陽光発電所を所有しています。2023年まで1000件に増やす計画なそうですので、今般の一件も、そのうちの一つであったのでしょう。

 しかしながら、太陽光発電の普及に際して生じるコストは、最終的には国民の電力料金に上乗せされます。しかも、自然破壊や災害の原因ともなりかねないのですから、太陽光発電事業に対する国民の眼差しは必ずしも暖かいわけではありません。しかも、中には、三浦夫妻のようにコンサルタントや投資管理等で巨額の利益を得てセレブ生活を満喫している人々もおります。否、公的制度を利用しつつ、国民の負担など素知らぬ顔での豪遊ぶりこそ、同夫妻に対して激しいバッシングが引き起きた主たる原因なのでしょう(もっとも、三浦夫妻につきましては、その他の無神経な発言や人格面、さらには元統一教会との関係からの批判も強いのですが・・・)。国民の多くは、相次ぐ電力料金の値上がりで生活水準を落とさざるを得ない状況にあります(なお、たとえ不起訴となっても、太陽光発電事業から巨額の利得得た三浦夫妻が豪遊していた事実は消えない・・・)。

 そして、ここに一つの重要な疑問が生じます。それは、何故、トライベイに10億円という高額が支払われたのか、という疑問です。東京地検特捜部から家宅捜査を受けた際の最初の容疑は、兵庫県福崎町における太陽光発電所の建設に関して、住民の反対により建設見込みがないにもかかわらず10億円を出資させ、その出資金をだまし取ったとする詐欺罪でした。その後、同氏の容疑は、同発電所の建設を目的として設立された合同会社に振り込まれた10億円の資金の内、残りの4億2千万円を横領したとする業務上横領罪に変わっています。容疑変更の時点で、同4億2千万円は債務返済に充てられたとも報じられていましたが、直近の報道では、三浦清志氏は、‘業務委託の報酬’として支払われたもので、同社の裁量により他のプロジェクトに使ったので問題はない‘とする旨の供述を、無罪を訴えているそうです。

 それでは、この4億2千万円、一体、どこに消えたのでしょうか。債務の返済(みずほ銀行が14億円を融資していたとする報道も・・・)、他のプロジェクトでの使用(本人の供述)、そして、三浦氏の私的流用(客観的な事実としてのセレブ生活)などが考えられますが、太陽光発電所の建設には、地方自治体や経済産業省や国土交通省などの管轄官庁の許認可を要する点にも注意を要しましょう。三浦瑠麗氏は、自民党との繋がりもあり、元首相をはじめとして政界にも人脈を広げているとされます。東京地検特捜部が動いたとなりますと、同件は政治家案件であるとする見方もあります。つまり、管轄官庁に影響力を持つ政治家への口利き料、あるいは、斡旋料が支払われている可能性はゼロではないように思えるのです。そしてそれは、トライベイ一社のみではないのでしょう。

 地球温暖化対策の美名の元で、政治家たちは、海外の金融・経済勢力(世界権力)の指南の元でしっかりと自らの懐にも利益が転がり込む仕組みを造っていたのかもしれません。マスコミを通しての世論誘導には、三浦瑠麗氏がその役割を担うと共に、同夫妻は、トライベイ、政治家、官僚、事業者、内外の投資家や金融機関、並びに一大太陽光パネル輸出国である中国の関連事業者をマッチングする要の存在であったとも推測されます。そして、三浦清志氏逮捕は、太陽光発電市場において密かに構築されてきた政治利権のからくりの一端が図らずも露呈した瞬間であったのかもしれないのです。太陽光発電事業には、反社会勢力も入り込んでいるともされます。東京地検特捜部に対する政治介入が懸念されるところですが(検察の独立性は何としても護られるべき・・・)、負担を強いられている国民のために、太陽光発電をめぐる闇を、是非、明らかにしていただきたいと思うのです。

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日本国政府が韓国の「元徴用工問題」解決案を拒否すべき理由

2023年03月07日 12時10分31秒 | 国際政治
 昨日、韓国政府は、日韓両国の間で燻ってきた「元徴用工問題」の解決策として、「民間企業による第3者返済方式」を発表しました。「元徴用工問題」とは、第二次世界大戦末期において戦時動員された朝鮮籍であった元日本国民による賠償請求問題です。同賠償訴訟に対して同国の国内裁判所は、被告とされた日本企業に対して賠償金の支払いを命じたものの、日本国政府が後ろ盾となって日本企業側が拒絶したため、膠着状態が続いていました。

 1965年に締結された「日韓請求権協定」には、国並びに法人を含む国民の請求権問題は、‘完全かつ最終的に解決された’と明記されています。そもそも、「日韓請求権協定」は、日本国側にとりまして著しく不利であったとされます。当事の大蔵省による正確な計算に依りますと、日本側が放棄した官民の対韓請求額の総額よりも、韓国側が受け取った経済協力の総額の方が遥かに上回るからです。サンフランシスコ講和条約では、その第21条において朝鮮に賠償請求権を認めておらず、インフラや不動産等の残置財産を含む請求権問題は、第4条において当事国間の交渉に委ねています。また、凡そ35年に及ぶ日本統治時代、日本国は、国内に優先して外地に莫大な公共投資を行い、財政移転も実施していました(併合時には、李氏朝鮮国の莫大な対外債務をも肩代わりしている・・・)。しかしながら、アメリカによる韓国寄りの介入もあり、日本国は、韓国側からの‘植民地支配’を糾弾する声もあって、実損額を大幅に上回る‘事実上の賠償支払’に応じたのです。なお、日本国政府は、1990年代後半まで個人の請求権は消滅していないとする見解を示していましたが、これは、自国民が朝鮮半島に残した財産等に関する請求権を維持したいとする立場によるものでした(仮に、今般、韓国において個人の請求権が認められるならば、日本国側も韓国に対する個人的な請求は可能なはず・・・)。

 それでは、「日韓請求権協定」に対する両国の解釈が異なる場合、どのように解決されるべきなのでしょうか。個人の請求権については両国とも迷走がありましたし、韓国側は、協定上の国や国民の範囲を日本国よりも狭く捉えているかもしれません(「元慰安婦問題」の論法・・・)。また、‘完全かつ最終的な解決’という文言も同国固有の‘超解釈’があり得ます。こうした事態を予測してか、同協定には、両国間において紛争が発生した場合を想定した規程が設けられています。協定の第3条には、まずは(1)外交上の経路を通して解決を模索し、それでも解決できない場合には、(2)仲裁に付すべし、という紛争解決に関する手続きを定めているのです。

 同協定に従えば、今般の問題は、先ずもって外交交渉の協議の議題として韓国側から日本国側に提案され、両国が合意に達しない場合、国際司法の手続きの一つである仲裁に解決を委ねるべきとなります。あるいは、仲裁を選択せず、より一般的な裁判に近い常設仲裁裁判所や国際司法裁判に解決を付託する方法もあります。「元徴用工問題」とは、国内問題ではなく、協定の解釈をめぐる国際紛争なのですから。実際に、2019年12月の安倍晋三首相と韓国の文在寅大統領による会談以前においては、日本国政府は、仲裁による解決を韓国側に提案しており、国際司法裁判所への提訴も検討されていました。日本国政府は、常々、国際社会における法の支配の確立を訴え、国際法秩序の維持に取り組んできたのですから、司法解決の原則を貫き、「元徴用工問題」は、国際法上の正式な手続きを以て解決すべきと言えましょう。

 しかも、さらに悪いことに、今般の韓国側の動きは、政府レベルではなく同国内の司法機関に端を発しています(協定上の外交協議や仲裁を回避するため?)。言い換えますと、今般の韓国案を日本国が認めるとしますと、日本国は、事実上、韓国の司法権に服するという独立国家としてあり得ない事態を招くのです。日本国による朝鮮統治を植民地支配と見なす韓国側からしますと、自国の司法権が日本国に及ぶ今般の韓国案に韓国国民は溜飲を下げるところでしょう。しかしながら、日本国民側からしますと、国際司法機関ならばいざ知らず、韓国の司法権への服従は、日本国を韓国の統治権が及ぶ下位的な地位に貶めるようなものなのです。

 何れにしましても、既に多くの方々が指摘しておりますように、「民間企業による第3者返済方式」は、日本国側が韓国側の請求権の存在を承認してこそ成り立ちます。この方式は、日本企業には法的な賠償責任がある⇒賠償金の強制徴収は困難⇒「日韓請求権協定」により経済協力の恩恵に浴した韓国企業が賠償の支払いを肩代わりする、という論法による基金の設立であるからです。そして、この論法には、日本国は過去に強制労働や苛斂誅求を伴う過酷な植民地支配を行なったとする韓国側の歴史認識が‘大前提’としてありますので、被告企業を含む日本国企業に‘自発的’な基金への拠出を期待すると共に、韓国側の‘歴史認識’の継承が求められたのです。実際に、岸田文雄首相は、同解決案の発表を受けて歴代の日本国首相による談話という名の‘歴史認識’の継承について言及しています。

 どのような形であれ、一端、日本国側が韓国側の請求権を認めますと、その後の展開はおよそ予測できます。不可逆的に解決されたはずの「元慰安婦問題」も蒸し返されたように、あらゆる口実の元で、韓国側は、それがたとえ自発的な拠出であったとしても、日本国に対して賠償請求攻勢をかけてくるかもしれません。今般の「元徴用工問題」は、氷山の一角に過ぎないかもしれないのです。

 岸田首相の反応を見ましても、日本国政府は、韓国側の提案に対して好意的な姿勢を示しています。しかしながら、日本国にとりましては独立性の危機をも意味しますので、同案を拒絶すべき正当な理由があります。それでも、日本国政府が韓国案を飲むとしますと、自民党は、今なおも元統一教会(世界平和統一家庭連合)の強い影響下にあるのでしょうか。それとも、背後において同解決案を以て日韓関係改善の圧力をかけたのは、アメリカであったのでしょうか。バイデン大統領は、早速、同案に対して歓迎の意向を示しています。あるいは、本来、別問題であるはずの対韓半導体規制の解除に関する報道もあり、同提案の裏側には中国や世界権力等の思惑も渦巻いているのかもしれません。日本国政府は、国際法秩序、並びに、自国の独立性を守り抜くためにも、‘罠’とも言える韓国案を受け入れてはならないと思うのです。

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高齢者集団自決論は若者をも絶望させる

2023年03月06日 10時55分48秒 | 社会
 内外に波紋を広げることとなった成田悠輔氏の高齢者集団自決論は、表向きは、若者層の代表というポジションからの発言です。自らを若者層のオピニオンリーダーを任じているのでしょうが、同氏の真の姿は、頼りになる若者の味方なのでしょうか。本当のところは、真逆である可能性も否定はできないように思えます。

 成田氏の発言が若者層の一般的な意見を集約したものであるならば、先ずもって憤慨すべきや若者層です。何故ならば、若者層とは、高齢者に集団自決を勧めるほど非情で利己的な存在であることを意味してしまうからです。高齢者の‘集団自決’によって世代交代が進み、若者層が世の中を動かす時代が仮に到来したとすれば、それは、労働能力を失って‘不要となった人々’を抹殺する社会となります。薄ら寒い光景が思い浮かぶのですが、高齢者が存在する社会の方が、余程、人を大切にするやさしい社会であると言えましょう(因みに、SFなどで描かれている未来都市のイメージ図では、高齢者の姿が見えないような・・・)。

 それとも、高齢者集団自決論は、オピニオンリーダーとして若者を同方向に扇動するために提唱されたのでしょか。‘君たちは、高齢者の犠牲になっている。高齢者がいなくなれば、君たちは、自分の思うとおりに豊かに暮らすことができる’として。成田氏としては、多くの若者が自らの意見に賛意を示すものと期待していたかもしれません。しかしながら、この提案は、若者層から涙ながらの抵抗を受けるかもしれません。何故ならば、日本人の多くには、祖父母や父母にかわいがられた経験や大切な思い出があるからです。言い換えますと、同発言は、‘君たちの祖父母や父母には消えてもらう’と言っているに等しいのです。同氏は、複雑な家庭環境から親子愛を知らずして育ったともされ、自らよりも上の世代に対する愛情や敬意はほとんどないのでしょう(むしろ、‘敵意’を抱いているのかもしれない・・・)。しかしながら、他の若者も自らと同じ感覚であると考えていたとすれば、それは大いなる誤算のように思えます。

 あるいは、‘自分たちは、成田氏とは違う!’として反論する若者が現れていないところからしますと、若者層は、本音ではやはり高齢者集団自決論を支持しているのでしょうか。同氏への反論の多くは、集団自決を薦められた高齢者からです。もっとも、若年層不遇説に基づけば、若者層にあって批判論はサイレント・マジョリティーであり、声を上げることができないのかもしれません。高齢者集団自決という極論、かつ、暴論が若者層からの要望と見なされる不条理やマスコミによる世論操作を嘆いているのは、同氏以外の一般の若者たちかもしれないのです。

 そして、もう一つ指摘し得るとすれば、高齢者集団自決論は、若者層を絶望させてしまう可能性です。同氏は、高齢者の集団自決を少子高齢化対策としていうよりも、恒久的な社会システムとして構想しているようです。となりますと、若者達は、‘75歳’ともされる‘死亡年齢’までしか生きられず(健康年齢と一致?)、同年齢に達すれば、否が応でも安楽死のための施設に自ら赴くか、強制的に連れて行かれます。‘死亡年齢’が一律に設定されるのであれば、安楽死とは名ばかりで、国家による強制死ということになりましょう。死に臨む国民の精神的苦痛は計り知れません。

 昨今まで人生百年の時代と謳われてきましたが、労働人口の減少により、高齢者も労働力として期待されている時代ですので、75歳まで一生働き続けなければならない人も現れることでしょう(現在不遇な若者達の未来はもっと不遇)。若者は、集団自決論によって、見たくもないディストピアを見せられているのです。未来社会がディストピアであれば、子供を産み育てようとする若者も減少することでしょう。先が見えてしまうのですから。

 こうした問題の他にも、国民年金や厚生年金が不要になるといった制度上の疑問点もありますが、若者層こそ、マスメディアに流されることなく、高齢者集団自決論について冷静かつ客観的な議論を試みるべきように思えます(現在年金を払っている若者層は、将来、年金を受け取る前に、安楽死?)。同問題には、少子高齢化のみならず、グローバルな金融・経済勢力の視点、マスコミの報道姿勢、学歴の悪しき権威化、政策と倫理・道徳、そして、未来社会のヴィジョンなど、ありとあらゆる問題が潜んでいるからです。そして、若者層も高齢者も共に(中年層も含めた全ての層という意味・・)、国民の一人一人が安心して自らの一生を生き切ることができる仕組みについて議論し、アイディアを出し合うとき、他の層を犠牲にすることなく、人道に叶った善き未来が開かれるのではないかと思うのです。

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悪魔に魂を売らないためには

2023年03月03日 13時41分46秒 | その他
昨今、‘悪魔に魂を売る’という言葉が、目に付くようになりました。その理由は、政治家をはじめ、悪魔に魂を売ったとしか考えられないような人々の姿が、ここかしこに見られるからです。国民が物価高や増税に苦しむ中、権力を私物化し、公金で豪遊する政治家、公的制度を悪用して私服を肥やす実業家、果てには権威の衣をもらって悪魔に媚びた思想を吹聴する知識人など、例を挙げたら切がありません。国民を騙して戦争に誘導する人々も、自らの魂を悪魔に売っているのでしょう。‘良心はないの?’と言いたくもなるのですが、こうした‘悪魔に魂を売った人々’には、重大な見落としがあるように思えます。

悪魔に魂を売るお話は、ゲーテの『ファウスト』でも知られておりますが、一般的には、悪魔との交換契約を意味しています。その契約の内容とは、この世においてあらゆる欲望が満たされる代わりに、死後は、魂が消滅してしまう、あるいは、悪魔の奴隷になるというものです。いわば、この世の天国とあの世の地獄とが交換条件となる契約なのです。合理的に考えれば、あの世での永遠の地獄よりも、たとえ現世で一時的な地獄に会おうとも、悪魔に魂を売らない方が遥かに‘まし’なはずです。しかしながら、そもそも、神や悪魔、そして、魂の存在は不可知ですので、これらが存在しないと仮定すれば、この世での欲望の成就や享楽を選択する人がいてもおかしくはありません。特に無神論者が増えている現代にあっては、この世での‘天国’の方が合理的な選択となり得るのです。

そして、悪の本質が利己的他害性にある限り、悪魔との約束の具体的な意味は、他者を犠牲にした自らの利得や欲望の追求となります。言い換えますと、現代において悪魔に魂を売る行為とは、犯罪者や違反者であったり、自己利益のために他者を犠牲にしても構わない人と言うことになりましょう。そして、それは、得てしてマネー・パワーに負けて良心を売ってしまう背信行為となります。この点、人々を悪事へと誘う現代の悪魔とは、巨大なマナー・パワーを有する金融・経済財閥を中枢とする世界権力と言えるのかもしれません。富を独占した上で、人類全体を管理し、自らが奴隷であることに気がつかない‘無自覚な奴隷’の状態に置こうとしているのですから。

それでは、悪魔を‘ぎゃふん’と言わせる方法はあるのでしょうか。実は、これは、それ程難しいことではないように思えます。喜んで悪魔と契約したものの、この世で地獄を経験してしまった人が一人でも現れればよいのです。一つでも悪魔との契約が不履行となった事例がありますと、悪魔の甘言に対して疑いが生じ、人々は、悪魔は詐欺師ではないかと警戒するようになります。人々が悪魔の万能性が信じられなくなったとき、悪魔と契約しようとする人は激減してしまうのです(もっとも、真の悪魔は、人間との契約を誠実に護るとは思えませんので、悪魔に誠実な契約の履行を期待した時点で判断を間違えているのでは・・・)。

ゲーテの『ファウスト』での神と悪魔の勝負の勝者は、ファウスト博士をめぐる‘賭け’において、魂を売る契約を結ぶことに成功した悪魔(メフィスト)ではなく、グレートヒェンの純真な心をもって悪魔に売られた魂を救い出した神の勝利として描いています。今日の‘悪魔に魂を売った人々’も、同小説の筋書きと同じく、あるいは魂が救われる道が残されているかもしれないのですが、先ずもって、悪魔の万能神話が崩壊こそ、ファウスト博士個人のみならず、多くの人々の魂を救う道となりましょう。そして、現代の悪魔に魂を売った人々、即ち、腐敗した政治家や国民を犠牲に供して自己の野望を達成しようとする人々の目を覚まさせるのは、人々の良心や良識であり、かつ、警察や検察、そして、裁判所を含む現代国家の統治機構なのではないかと思うのです。

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昆虫食の謎を追ってみよう-陰謀の実在証明

2023年03月02日 12時42分45秒 | 国際政治
 ダボス会議に象徴されるグローバリズムの波は、遂に人類の食生活にまで及びつつあります。全世界の政府を巻き込む勢いであり、日本国内でも、俄に昆虫食なるものが流行りだしました。既に、店頭などでコオロギ粉末入りのおせんべいやパンなどが並んでいるのを目にされた方もおられるかもしれません。昆虫食は、今や、トレンディーな人類の未来食として大々的に売り出されているのです。

 地球温暖化問題やコロナ・パンデミック、あるいは、選挙不正の問題等については、疑問が提起されようものならば、即座に、陰謀論というレッテル張りで異論が封印される傾向にありました。しかしながら、昆虫食ほど、世界権力の中枢に座るグローバリストによる陰謀の実在性を証明しているものもないかもしれません。誰がどう見ましても不自然であり、かつ、明らかなる内政干渉に当たるからです。

 第1に、昆虫食は、日本人の発想からはかけ離れております。イナゴを佃煮にして食する地方もありますが、古来、昆虫は食材とは見なされていません。むしろ、イナゴの佃煮は、珍しい故の特産品です。昆虫食の起源は、明らかに海外にあります。

 第2に、昆虫食の推奨は、地球温暖化問題と密接に結びついています。牛や豚といった家畜は、呼吸等により二酸化炭素を排出します。二酸化炭素削減の対象は、製造業のみならず農業にも及びつつあるのです。しかしながら、家畜に代替するタンパク質源を探すならば、大豆や小豆、オートミールのようなタンパク質の含有量が多い植物タンパク質の方が一石二鳥となるはずです。光合成による二酸化炭素吸収効果も期待できるのですから。言い換えますと、家畜から昆虫への発想は非合理的であり、どこか、カルト風味の倒錯した精神性が伺えるのです。

 第3に、敢えて昆虫を選んでいる時点で、人類に対する悪意が読み取れます。何故ならば、大多数の人々は、昆虫を食べたいとは思わないからです。‘自らの欲せざることを人になすことなかれ’という道徳律は人類社会に普遍に見られますが、昆虫食を推進している人々は、他の人々が嫌がることを強要しようとしているのです(プロパガンダによる誘導のみならず、食糧不足となれば、否が応でも昆虫食となりますし、現在でも、給食での提供が批判を浴びている・・・)。それとも、これらの人々は、昆虫が大好物なのでしょうか?

 第4として挙げられるのは、コロナワクチンと同様に、昆虫食の安全性は、必ずしも確立されていない点です。陰謀とは、秘密裏、あるいは、詐術的手法で人々に害を与える行為なのですが、昆虫食のリスクについての情報は殆どありません。寄生虫や細菌、あるいは、ウイルス等による健康被害が発生しないとは言い切れず、未知のリスク含みなのです(ワクチンと同様に、一部の人は既に知っているかもしれない・・・)。因みに、古代ローマには、嘘か誠か、寄生した昆虫の卵が羽化したために、全身から白い羽の虫が這い出て飛んでゆくというホラーのようなお話があります。リスク情報の隠蔽は、陰謀性を強く示唆しています。

 第5に、昆虫食の普及が、今や、一種の‘国家プロジェクト’として推進されている感がある点です。国民から強く要望されたわけでもないにも拘わらず・・・。しかも、昆虫食のビジネス化や開発にチャレンジした企業や研究機関などには、国から補助金が支給されているとする指摘があります。

 そして第6に、こうした昆虫食ビジネスには、かのビル・ゲイツ氏も深く関わっております。コロナワクチン関連の投資で莫大な利益を上げましたが、同氏は、グローバリズムの寵児の一人でもあります。昆虫食は、グローバル・ビジネスであり、その普及は、世界政府の活動資金となるのでしょう。

 同氏に対しては、日本国がワクチン等の‘偽善事業’を評価してか叙勲しておりますが、各国政府との癒着も疑われます。昆虫食推進政策にも、政治家へのキックバックの経路を伴う利益誘導の仕組みが既に出来上がっているのかもしれません。第7点として指摘すべきは、各国の政府をコントロールすることで、グローバル・イシューを自己の利潤のために利用するグローバリスト達の実態です。

 以上述べてきましたように、昆虫食推進は、誰の目にも明らかな陰謀、否、自己利益の獲得を目的とした私的勢力によるれっきとした内政干渉、あるいは、主権侵害であり、汚職が隠されている可能性すらあります。となりますと、陰謀論という名の‘封印の術’を解くためには、昆虫食推進の政策決定過程を具に調べてみる必要がありましょう。一体、誰の発案に基づくのでしょうか。そして、この予算、どのような経緯で認められたのでしょうか。おそらくGX推進政策の予算に紛れているのでしょうが、同補助金制度の存在については、殆どの国民は知らなかったはずです。国会においてその是非が審議された様子もないのです。

 不透明なままでは、GX移行推進債の発効で調達する20兆円ともされる資金も、国民を昆虫食に追い込むために支出されかねません。昆虫食には国民の大多数が反対しているのですから、少なくとも、国家による補助金支給の制度や普及推進策は廃止すべきように思います。予算の無駄遣いどころか、国民に被害を与えるリスクさえあるのですから。なお、世界権力のメンバーは、転んでもただでは起きない人々ですので、昆虫食に手を染めてしまった企業は、大いに警戒すべきかもしれません。昆虫食事業の失敗による株価の下落により、安価で株式を買い占められ、最後は乗っ取られないとも限らないのですから。

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戦争犯罪の訴追はロシア・ウクライナ両国に対して公平に

2023年03月01日 10時40分40秒 | 統治制度論
 先日、2月23日、ニューヨークで開催されていた国連総会の緊急特別会合では、加盟141カ国の賛成票を得て、ロシアに対する戦争犯罪の訴追の必要性等を明記した決議案が採択されました。同決議案の背景には、アメリカのバイデン政権を後ろ盾とするウクライナのゼレンスキー大統領の強い働きかけがあったとされ、司法を手段としてロシアを追い詰めようとする同国の意向が伺えます。

 戦争犯罪訴追の司法手段として、国連総会での決議案の採択が試みられた理由としては、(1)ロシアの拒否権行使により、国連安保理における「特別法廷の設置」に関する決議案の成立は見込めないこと(過去のユーゴスラビア紛争やルワンダ虐殺では決議が成立)、並びに、(2)現在、捜査を行なっている国際刑事裁判所(ICC)についても、ロシアのみならずウクライナも国際刑事裁判所に関するローマ規程の締約国ではないこと、の凡そ2点が指摘されています。国連安保理でも、国際刑事裁判所でも、ロシアを訴追できないならば、せめてロシアに対して国際包囲網を形成し、圧力をかけるために国連総会を利用しよう、ということなのでしょう。

 しかしながら、司法を以て加勢を得ようとするゼレンスキー大統領の目論見は当たるのでしょうか。戦争犯罪とは、狭義には戦時国際法に反する行為を意味しますが、広義には平和に対する罪と人道に対する罪も含まれます。同決議における定義は定かではありませんが、ウクライナのブチャで起きたとされる民間人の殺戮など、ロシア軍による国際法に違反する行為が訴因となるのでしょう。中立・公平な機関による厳正なる捜査の結果、ロシア軍による犯行であることが判明し、何れかの国際司法機関にあって有罪が確定すれば、ロシアは戦争犯罪の廉で罰を受け、ウクライナに対して賠償責任をも負う立場となります。ウクライナ勝訴で結審すれば、同国は、司法の場での戦いを制するのです。

 もっとも、先にも触れたように、国連総会での上記決議では、具体的な刑事訴訟の手続きについては触れておらず、結局は、実現する可能性は極めて低いのですが、たとえウクライナが司法の場で勝訴したとしても、中立・公平を旨とする司法の場を利用する限り、一つの問題が取り残されるように思えます。それは、戦争犯罪とは、必ずしも当事国の一方の側にのみ行なわれるわけではない、という問題です。

 一般の民間において起きる殺人事件では、犯人側が殺傷力のある凶器を所持する一方で、被害者側は無防備なケースが大半を占めます。このため、被害者側は、抵抗する術もなく命を落とす場合が多く、加害者と被害者の特定は難しくはありません。一方、戦争では、民間人も民兵化されたり、レジスタントとして闘っている場合がある上に、国家間の戦いですから、敵対関係にある双方の軍隊が共に武器を手にして常時戦っています。一般の殺人事件よりも、犯罪の立証が難しく、かつ、当事者の双方に戦争犯罪に及びやすい状況があると言えましょう。

 ましてや、ロシアによる‘特別軍事作戦’に先立って、ウクライナは内戦状態にありました。同作戦を遂行するに際して、プーチン大統領は、ウクライナ東部で迫害を受けていたロシア系住民の保護を口実としたのですから、アゾフ連隊を正規軍に昇格されたウクライナ側にも、戦争犯罪の疑いがあります。そして、何故、ウクライナが、ローマ規程に参加しなかったのか(未批准国)、その理由を考えますと、ウクライナ側における戦争犯罪の疑惑はなおさらに深まるのです。ウクライナは、ユーロマイダン革命が始まる2013年11月以降については、ローマ規程の第12条(3)に基づいて同裁判所の管轄権を受け入れる宣言を行なっていますが、今なお未加盟の状態にあります(ロシア、中国、北朝鮮、イスラエル、そしてアメリカなど、訴追される怖れのある国ほど、同規定への加盟には二の足を踏んでいる・・・)。

 仮に、司法の場においてウクライナ紛争における戦争犯罪を問うならば、ロシア並びにウクライナの両国に対して公平であるべきであったように思えます。公平に双方の戦争犯罪を対象とするならば、ロシアも国連総会において決議の採択に反対する根拠を失いますし、同決議案も、棄権した国を含め、より多くの諸国の賛成を票を得ることができたことでしょう。

 第二次世界大戦後に連合国が設けた国際軍事法廷では、敗戦国の戦争犯罪のみが糾弾され、戦勝国側による戦争犯罪は不問に付されています。このため、‘勝者による裁判’、即ち、敗戦国に対する報復の手段ともなり得る政治裁判の様相を呈したのですが、戦後、70年を越えた今日、国際裁判制度もまた、国内の制度と同様に、中立・公平性の強化、並びに、制度的な権力分立を目指すべきではないでしょうか。この観点からしますと、ウクライナ紛争において浮上した戦争犯罪の訴追問題は、国際司法制度を整備するチャンスともなるのではないかと思うのです。

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