2023年3月6日付けてJBpressのウェブ記事として掲載された青柳陽一郎氏の「「コオロギ食」への差別行為が横行、嫌なら食べなきゃいいだけなのになぜ」と題する記事が、読者からの批判を浴びて炎上する事態に至ったそうです。同記事に対する批判の大半は、コオロギ食推進を擁護する姿勢に向けられているのですが、自らの記事へのバッシングには青柳氏も黙っていなかったようです。本日は、「私の「コオロギ食」記事を炎上させた人に問う「本当に記事を読んでいるか?」」という記事で反撃を開始しています。
本日の反論記事を読みますと、名誉毀損罪に訴える構えを見せており、怒り心頭に発している同氏の様子が伺えます。‘いい加減に私の記事を斜め読みし、事実も確認せずに批判するのは許せない。私の評価と名誉を傷つけている!’と・・・。確かに、同記事に寄せられた批判の中には、暴言や誹謗中傷の類もあるのでしょう。いなごを食する長野が出身でもある同氏が抱く不快感は理解できないわけではないのですが、この反論、どこか論点が‘づれ’ており、火に油となりかねないようにも思えます。
まずもって同氏は、自らの批判の多くは、虚偽やでっち上げの情報に基づいているとして、その誤りを指摘しております。例えば、コオロギ食に6兆円もの公的資金が投入されており、昆虫食ビジネスに補助金が支給されているとする情報については、農林水産省への問い合わせによって否定しております。対応した担当部署の「新事業・食品産業部 フードテック官民協議会事務局担当」の返答は、「昆虫食に限った補助金は特にない」であったそうです(補助金が存在しないなら、牛乳廃棄問題とも関係はないとする論法・・・)。しかしながら、この表現では、昆虫食も補助金の対象に含まれていることを暗示しています。担当者の返答は、「昆虫食は補助金の対象ではない」ではないからです。しかも、今年度から、飼料用の昆虫飼育事業に補助金が支給されているのは事実なそうですので、批判の根拠とされた同情報は、‘当たらずとも遠からず’ということになりましょう。
また、青柳氏の問い合わせ先が農林水産省、しかも、一つの部署のみであったことにも、反論の根拠としての‘緩さ’があります。何故ならば、昆虫食ビジネスについては農水省が主たる管轄官庁なのでしょうが、大学や研究機関が昆虫食について研究する場合には、文部科学省の管轄となるからです。このため、昆虫食研究に対して科研費が支給されている可能性もあります。文科省の他にも経産省等も関わっているかもしれず、関連が推測される全ての省庁、並びに、地方自治体に問い合わせを行なわなければ、同情報の真偽を判断することはできないのです。
加えて、同氏は、徳島県におけるコオロギ食の給食提供情報についても、事実とは異なるとして憤慨しています。給食としてコオロギ食が全員に供されたのではなく、同氏が説明するように、実際には希望者のみの試食であったのでしょう。この点は、同氏の指摘を認めるべきなのでしょうが、コオロギ食に反対する人々が、何故、給食に強く拒否反応を示したのか、この点については、理解すべきであったかもしれません。コオロギといった昆虫が食材として認められますと、給食の食材としても使われ、およそ強制的に食さざるを得なくなるからです。‘昆虫食先進地域’であるEUでは、2021年5月3日に、新規食品として乾燥イエロー・ミールワーム(チャイロコメノゴミムシダマシの幼虫)の販売を許可しています(日本語名にすると余計に気持ち悪さが増してしまう・・・)。今後、日本国内でもコオロギであれ、何であれ、食材として昆虫が承認されれば、SDGsの美名の元で、積極的に学校給食に採用されるものと予測されます。今般の給食騒ぎは、未来を先取りした批判であったとも言えましょう。給食ともなりますと、‘嫌なら食べなきゃいいだけ’とも言えなくなってきます(食糧難や飢餓状態も同様・・・)。
日本国政府がムーショット計画の一環として『地球規模の食料問題の解決と人類の宇宙進出に向けた昆虫が支える循環型食料生産システムの開発』を進めていることは青柳氏も認める事実ですし、河野太郎デジタル相がコオロギを試食して昆虫食の宣伝塔となったことも事実です。こうした政治サイドからの不自然な‘昆虫食推し’は、ダボス会議にも象徴される世界権力の意向を抜きにしての説明は困難です。そして、青柳氏が名誉毀損を声高に訴える時、そこには、コオロギ食批判を自身への個人的な批判、すなわち、個人の問題に矮小化させてしまおうとする意図も読み取れるのです。真剣に議論すべきは、昆虫食の是非にあるにも拘わらず・・・。
かつて、フランス革命にあって断頭台の露と消えたフランス王妃マリー・アントワネットは、「パンがなければお菓子を食べれば良い」と述べたことから、民衆の怒りを買ったとされますが(史実は別の人物の発言であったらしい・・・)、今般の昆虫食は、高みからまるで「パンがなければ虫を食べれば良い」と言われているようにも聞こえます。前者は閉じられた狭い世界に生きていたがゆえの無神経さからの発言かもしれませんが、昆虫食の普及を推進している勢力には、善意を装った悪意があるように思えます。善意からであれば、パンがなければ、現代の先端的なテクノロジーを駆使してでも、より安全でおいしいものを食べられるように提言したはずなのではないかと思うのです。