万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

横綱白鵬問題と国際情勢

2018年01月29日 15時20分09秒 | 国際政治
元横綱日馬富士関が貴ノ岩関を暴行した事件に関連し、横綱白鵬関の行動にも疑問が寄せられるようになりました。角界で発生したこの問題、今日の国際情勢との間に共通点が見受けられます。

 それは、“ルール破りは強い”という、当然でありながら目を逸らされがちな事実です。白鵬関は、貴ノ岩関暴行事件のみならず、お相撲の取り口についても批判を浴びています。八百長の噂も絶えないのですが、白鵬関が多用する張り手やかち上げの技は、“横綱たるものが使ってはならない”とする伝統的な慣習があるからです。

しかも、近年の力士の巨体化に伴い、これらの技は、相手方に傷害を与えかねない危険性も指摘されております。ボクシングやアメフト等の頭部への打撃リスクを伴うスポーツでは、選手は頭を衝撃から守るための保護ヘルメットを装着していますが、土俵上の力士には、こうしたプロテクターはありません。張り手やかち上げは、一時的な脳震盪のみならず、相手力士に長期的な後遺症を残しかねないのです。

危険な技を禁じる横綱相撲の仕来りは、横綱ほどの力自慢が、自らより弱い相手に使えば、相手を負傷させる恐れがあることを、多くの人々が深く認識していたからなのでしょう。“強きは弱きを無闇に打ちのめしてはならない”とする強者に求められる自己抑制の慣習は、日本人、並びに、日本国の美徳であり、正々堂々と戦うことを誓うスポーツマンシップの精神とも共通します。

週刊誌などは、白鵬関が特注したサポーターは半ば凶器であるとも指摘しており、掟破りに加えて、素手で戦う力士の中で‘武器もどき’まで持ち込むのでは、白鳳関の40回の優勝という前人未到の偉業にも首を傾げざるを得ません。モンゴルでは、おそらく、“強きは弱きに何をしても構わない”、あるいは、“手段を選ばず勝てばよし”とする価値観があるのでしょう。白鳳関は、横綱の地位にあるからこそ、不当な手段も特権的に使えると考えたのかもしれません。白鳳問題は異文化間の衝突とされるのも、両国の間には、埋めがたい価値観の違いがあるからです。

翻って国際社会を見ますと、白鵬関は、国際ルールを無視して軍事的拡張主義を邁進する中国の姿と重なります。仮に、中国が、紳士協定をも含めて国際ルールを誠実に守り、姑息な手段を用いていなければ、同国が、南シナ海を軍事拠点化することもなければ、周辺諸国のみならず、全世界を軍事力で脅すこともなかったことでしょう。中国は、国際社会におけるルール破りによって軍事強国として伸し上がってきたと言っても過言ではないのです。

張り手やかち上げが封じられた途端、白鵬関は、平幕の力士にも負けるほど弱体化してしまいました。国際社会は、中国に対しても、ルール破りを封じる一手を考案するべきではないかと思うのです。

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コメント (2)
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