万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

二つの独裁の区別を-怪しいポピュリズム批判

2018年01月16日 16時31分13秒 | 国際政治
アメリカにおけるトランプ大統領の登場以来、メディア等では盛んにポピュリズム批判が繰り広げられることとなりました。ヒトラー独裁の事例に擬え、国民の鬱積した不満が民主的選挙を通して危険な独裁体制を呼び覚ますとして…。

 ポピュリズム批判が嵩じると、国民の参政権に基づく普通選挙を危険視する民主主義否定論に行き着くのですが、この論理展開こそ、民主主義を否定したい勢力の狙いかもしれません。“最悪なもの”を隠すために、良きものに含まれる欠点を強調して叩くのは、よくある手法であるからです。

 ウィンストン・チャーチルも「民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば…」と評したように、民主主義には、様々な欠点が指摘されてきました。普通選挙の実施のみを以って国民に資する完璧なる統治制度が実現するはずもなく、民主主義とは、謂わば、永遠に改良を要する未完の制度なのです。ですから、独裁体制の成立の踏み台となるという、一つの欠点を論って民主主義そのものを否定することはできないのですが、民主主義を否定したい勢力に取りましては、格好の攻撃材料となるのです。また、仮に、ポピュリズムを理由として国民の政治的不満を選挙結果に反映させてはならないとしますと、民主主義の価値そのものを否定しているに等しくなります。

 それでは、この文脈において、“最悪なもの”とは、一体、何なのでしょうか。今日、全世界を見渡しますと、中国や北朝鮮など、国民と分離した形態の独裁体制が散見されます。特に経済大国にのし上がった中国では、共産党一党独裁から習近平国家主席による個人独裁体制へと移行しつつあります。何れの国でも、徹底した国民監視体制と情報統制の下で国民は管理され、独裁者やその政策に不満を抱く国民には過酷な弾圧の運命が待ち受けています。最も忌まわしい体制とは、国民に参政権が認められておらず、自己保身と私欲のために独裁者があらゆる権力を振るう体制に他ならないのです。

 こうした非民主的国家は、各国のメディアへの浸透を通してソフトパワーの発揮をも試みており、民主主義の欠点を殊更にアピールすることで民主主義を葬り去ろうとしています。独裁体制には、確かに民主的制度を介して成立する形態もありますが、革命や反乱といった暴力によって成立する形態もあるのです。そして、後者のタイプの方が、国民との繋がりを欠き、その意思を反映する経路が欠如している点において、過酷な支配体制となり易いと言うこともできます。独裁については、両者を明確に峻別しませんと、巧妙なレトリックによって独裁批判が民主主義批判と一体化してしまうリスクがあるのではないかと思うのです。

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コメント (2)
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