万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

日本国の国民統合の構図の変化の必要性ー天皇の地位問題

2017年06月15日 15時19分12秒 | 日本政治
 現行の日本国憲法の第1条では、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって…」と記されており、日本国の国民統合の構図においては頂点の位置に置かれています。図として描けば、全ての国民から等距離にある超越的な上部に天皇が置かれ、下部の国民を求心力を以って纏める三角錐の構図となります。

 頂点求心型のこの統合の構図は、古来、太陽神信仰や一神教にも見られますし、世俗のカリスマ支配や独裁体制もこのタイプに分類されます。現行の日本国憲法では、明治憲法を踏襲して三角錐の構図を維持しつつも、求心力、即ち、統合力の具体的な内容について記していないため、憲法上の構図と現実との間に齟齬が生じています。宮内庁幹部の”一人一人の国民と向き合っていることが、国民の安寧と平穏を祈ることの血肉となっている”とするカルトじみた先般の発言も、統合力の憲法上の”白紙状態”に起因しているとも言えます。それでは、日本国の未来を構想した場合、天皇は、どのような構図にあってどの位置に存するべきなのでしょうか。

 大日本国帝国憲法体制への回帰を支持する人々は、天皇を頂点とする三角錐の構図を維持するために、明治憲法第3条の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」を復活させ、神代より連なる皇統の正統性を以って超越的な地位への復帰を望むことでしょう。自民党の憲法改正案における”天皇元首化”の思惑にも、この方向性が潜んでいると推測されます。もっとも、これらの明治体制回帰派の人々には韓国併合時代と重なるために北朝鮮派も混入していますので、神聖性なき天皇親政、即ち、金王朝と同様の独裁体制の成立を画策するかもしれません。

 しかしながら、皇室の現状をつぶさに見つめますと、最早、三角錐の構図への回帰は不可能としか言いようがありません。第一の理由は、昭和天皇による人間宣言、並びに、婚姻の自由等によって、天皇は、既に神聖性において国民に超越する存在ではなくなっていることです。今になりまして、”現人神宣言”をいたしましても、既にマスメディアやネット等を通して皇族の俗物的な行動が国民に伝わっており、国民の大半は、この宣言を信じることはないでしょう。犯罪への関与が噂されるようでは、なおさらのことです。それでは、天皇一身が帯びる皇孫としての神聖性に代わる求心力を、今日、他に求めることはできないのではないでしょうか。第二の理由は、天皇位を世襲制とする限り、個人的なカリスマ性による求心力も期待できないことです。昭和天皇のカリスマ性が現行憲法においも暫くの間は、辛くも三角錐の構図を維持し得た理由でもありますが、現皇室にはカリスマ性が備わっていませんし、否、マスメディアやカルト集団が動員によって天皇の”偶像(アイドル)化”を試みましても、それは、パーソナル・カルトとならざるを得ません。

 以上から、将来に亘って日本国の統合の形態が天皇を頂点とする三角錐の構図を維持することができないとしますと、今後、天皇は、新たな構図において位置付ける必要性が生じてきます。三角錐の構図における頂点とは、基本的には”神”や”法”といった超越的存在が置かれる位置ですので、生身の人間にその役割を求めることには本質的には無理があるのです。しかも、今日の現皇室には多様性を背景に様々な勢力が入り込んでおり、国民統合どころか、国民分裂を引き起こしかねない状況にあります。天皇の位を完全に廃止せよ、との意見もありましょうが、日本国の二千年以上に及ぶ歴史と伝統を考慮しますと、憲法において天皇位を国家祭祀の伝統を継承する祭祀長として位置付けるのが、最も穏当なる方法なのではないでしょうか(ただし、厳正なる調査の結果、皇統が断絶していた場合には現皇室の廃し、正統なる皇統保持者によって天皇位は継承されるべき…)。

 国民統合の構図としては天皇を頂点とする三角錐型ではなくなりますが(縦型から横型統合へ…)、現代国家にあっては、伝統文化の継承や保護という観点から天皇位を公職の一つとする方が、余程、天皇の地位は安定しますし、日本国民が被る”皇室リスク”も軽減できるのではないかと思うのです。

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自らの墓穴を掘る韓国ー慰安婦個人請求権の主張

2017年06月14日 14時07分14秒 | 国際政治
「個人請求権は存在」=慰安婦合意で韓国政府
 報道によりますと、韓国政府は、日韓慰安婦合意後にあっても”同問題は人道問題であるため、1965年の日韓請求権協定の対象には含まれず、元慰安婦の対日個人請求権は消滅していない”とする従来の見解を維持しているそうです。この見解は、慰安婦合意で生じた心的被害の賠償を求めて元慰安婦が韓国政府を訴えた訴訟に過程で、被告となった韓国政府から地方裁判所に書面で伝えられたものです。

 日韓慰安婦合意を以って最終解決と見なす日本国では、慰安婦問題の”蒸し返し”として反発が強まっておりますが、今般の韓国政府の行動は、自らの墓穴を掘るに等しいとしか言いようがありません。何故ならば、日韓請求権協定の解釈を問うたことは、自ら司法解決の土俵に上ることを意味するからです。国際社会では、条約等に関する解釈において政府間に争いが生じた場合には、ICJや常設仲裁裁判所等の国際司法機関に判断を委ねるのが最も正当な解決手段です。韓国政府は、日韓請求権協定の対象範囲について日本側とは異なる主張を行っているのですから、当然に、この問題は司法解決に付すべきです。今般の韓国政府の見解は、元慰安婦による損害賠償請求訴訟において付随的に示されたものの、仮に、韓国政府が本問題は未解決であり、元慰安婦には個人請求権が残っていると主張するならば、国内裁判所ではなく国際司法機関に対して訴えるのが筋というものです。

 そして、それが”墓穴”である理由は、裁判の過程においては、証拠に基づき、客観的、かつ、中立的な立場から事実関係が確認されるからです。例えば、(1)日本軍による強制連行や性奴隷説等が否定される、(2)慰安婦被害の実態とは、民間事業者による犯罪であることが明らかになる(犯罪被害者に対する公的救済措置の法制化は、日本国でも近年に過ぎない…)、(3)日韓請求権協定は、日本国、並びに、日本国民側の一方的な請求権放棄を定め、韓国側に極めて有利な内容であったことが知れ渡る…などは、韓国側が対日請求の根拠を失うことを意味します。また、仮に、人道問題を理由に個人請求権が残されているとするならば、敗戦の混乱期にあって朝鮮半島の人々が内外の日本人に加えた非人道的な行為に対しても、対韓個人請求権は生きていることとなりましょう。

 韓国政府が司法の場に解決を求めることは、日本国政府にとりましては願ってもないチャンスです。韓国政府のプロパガンダによって著しく傷つけられた名誉が回復され、さらには、日本国民側の個人的な被害も、人道問題として償われる可能性があるのですから。日韓慰安婦合意の再交渉に応じる必要はありませんが、日本国政府は、司法解決については大いに歓迎すべきと思うのです。

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マクロン大統領のEU路線では仏国民負担増では?

2017年06月13日 16時53分11秒 | ヨーロッパ
仏野党、「一党支配」阻止に全力へ=大統領新党が圧勝の勢い―下院選
 フランス下院選挙では、共和党、並びに、社会党の左右両党から有力幹部を引き抜いて閣僚に据えたことから、”マクロン新党”である「共和国前進」が圧勝するシナリオも現実味を帯びてきました。7割を越える議席を獲得するとの予想もあり、既存政党は、一党支配の阻止に全力を挙げているとも報じられています。

 ところで、7割という数字からすれば、”マクロン新党”は圧勝と言えるのですが、フランス国民は、マクロン大統領の政策を積極的に支持しているのでしょうか。第一回投票の投票率が最低であることも然ることながら、マクロン大統領の掲げるEU政策は、フランス国民にとりましては財政面では負担増となる可能性があります。

 同大統領は、大統領選挙時よりEU深化を基本方針として掲げており、特にユーロ圏共通予算の設立や経済財務相ポストの新設が、財政統合路線として注目されてきました。共通予算の下でEUの財政基盤が強化され、財政権限も拡大すれば、南欧諸国等の債務危機に陥った加盟国を救済したり、加盟国への投資も増やすことができるとする主張です。財政統合は、ソブリン危機を思い起こせば、EUの安定化に貢献するのでしょうが、それは同時にEU内における加盟国間の財政移転の強化を意味します。言い換えますと、豊かな加盟国のEUに対する財政支出が増加する一方で、財政的に苦境にある諸国は、EU予算から支援を受けることができるようになるのです。

 マクロン大統領の主張は、豊かなドイツからのフランスへの財政移転を念頭に置いているとする説もありますが、EUの財政の現状を見ますと、フランスは、財政的にはEUに対して出超国です。しかも、同様にEU予算を支えてきたイギリスが離脱するとなりますと、地域政策等の下で現在実施されている南欧や中東欧諸国への財政移転も、他の国が肩代わりする必要があります。となりますと、フランスは、EUから財政支援を受ける側ではなく支援を行う側となる公算が高く、それはとりもなおさず、フランス国民の肩に財政負担が重くのしかかることを意味するのです。

 財政統合については、ドイツ国内でも財政負担増から反対の声が根強いのですが、フランス国民は、この問題をどのように考えているのでしょうか。そして、仮に財政統合を実現させたとしても、予算や負担をめぐって、加盟国のみならず、EUレベルの各種利益団体や業界が入り乱れる熾烈な争いも起きないとも限りません。マクロン大統領のEU路線は、フランス国内においても、また、EUにとりましても、波乱含みではないかと思うのです。

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”象徴天皇”は国民の内面に踏み込む

2017年06月12日 15時22分09秒 | 日本政治
 マスメディア等の主たる論調は、戦後、日本国憲法の制定と共に誕生した”象徴天皇”は現代という時代に相応しく、国民からも歓迎されているというものです。しかしながら、”象徴天皇”には国民の内面に踏み込むという、深刻な問題が潜んでいることに気が付いている人はそう多くはないかもしれません。

 明治憲法の第一条は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあり、その実態は別としても、憲法上の天皇は統治者と位置付けられていました。しかも、単なる世俗の統治者ではなく、”万世一系”と敢えて記すことで皇祖神に連なる神性が強調され、この超越的な神性こそが、全ての国民に対して統合の作用を及ぼしていたのです。言い換えますと、明治憲法における天皇は、統治者であり、かつ、統合の要という二重の役割を担っていたのです。

 一方、現行の日本国憲法は、天皇の統治への関与は国事行為において形ばかりを残し、統合については、求心力の源泉であった神性が否定される一方で、”統合の象徴天皇”という曖昧な立場へと転じることとなりました。天皇については、統治機構上の地位の変化にばかり関心が集まりがちですが、統合の分野における変化も見逃してはならない点です。そして、この転換に際して、憲法は”象徴天皇”の統合作用を何ら記さず、具体性を伴わない言葉のみの”統合の象徴”とされたことは、今日の皇室問題を、国民にとりましてより危険なものとしているように思えます。

 おそらく、昭和の時代には、たとえ天皇の人間宣言があったとしても、昭和天皇の個人的なカリスマ性や国民の側の皇室に対する根強い神性意識によって、天皇は統合の要であり続けることがきました。しかしながら、平成の今日、皇室の著しい世俗化と劇場化、即ち、神性さの欠如によって、歴史に基づく暗黙の了解としての天皇と国民との相互関係は成立し得なくなっています。

 こうした現状を鑑みれば、被災地訪問や各種行事等への臨席、さらには、慰霊や交際を含む海外活動を以って”象徴天皇の活動”とすることは、国民に対する表裏二面性の強要という、古くて新しい問題を提起することとなります。表面的な敬意と内面的な反感という…。俗人と化した皇族に対して心から”有難い”、”光栄である”、あるいは、”励まされる”と感じる人は、人間の理性や常識に照らせば殆ど存在しないことでしょう。一般の国民もまた、皇室劇場において”演技”を強いられ、さらには、天皇を以って日本国と同一視する人々からは、天皇個人に対する絶対的な忠誠をも迫られるかもしれません。

 果たして、統合作用を欠いた”象徴天皇”とは、新たな時代に相応しい天皇像なのでしょうか。国民に対して心理的な圧迫を与え、国民の自由な精神や良心、そして、理性や知性を歪めるならば、それは、国民の内面に踏み込んだ従来の悪しき抑圧的な国家体制と何ら変わりはありません。現行の日本国憲法において天皇の統合作用が”白紙”とされた問題は、今日、日本国民の内面の危機として表出しているように思えるのです。

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二階幹事長の撲滅願望の本音ー”依頼殺人”の発想

2017年06月11日 14時21分12秒 | 国際政治
訪韓中の二階氏「悪巧みする連中、見つけたら撲滅して」
 自民党の二階幹事長は、親中派の筆頭にその名が挙がる政治家ですが、親韓議員としても知られています。その二階幹事長が、韓国において「一握りの(日韓関係改善を妨げる)悪巧みをする連中は撲滅をしていくように。韓国の中にも一握りだけでもいるかも知れないが、見つけたら撲滅して」と述べたというのですから、驚きです。

 この発言、二階幹事長としては親韓派議員の立場から日韓関係改善に向けたメッセージのつもりであったのでしょうが、韓国国内では、相当の反発を買っているそうです。何故ならば、日韓関係改善を妨げる”悪巧みをする連中”とは、反日感情で団結している韓国人の大半を意味してしまうからです。言い換えますと、同氏は、韓国人に対して”自らを撲滅せよ”と述べたに等しいのです。

 韓国国内での反発は同氏の所謂”オウンゴール”ですが、日本国民にとりましても、この発言は聞き捨てなりません。何故ならば、発言の内容をよく読みますと、”韓国の中にも”と述べているからです。この表現からしますと、同氏の頭の中では、文頭に”日韓関係改善を妨げる悪巧みをする連中は日本国の中にも存在するが…”が付いていたはずです。つまり、二階幹事長は、日本国内にあっても、”悪巧みをする連中”を見つけたら撲滅したいと考えていると推測されるのです。

 韓国は、国を挙げて反日政策を推進しており、慰安婦等の歴史問題でも未だに火種が燻っております。関係改善を”絶対善”と見なす同氏は、日本国側の韓国に対する正当なる要求や批判も”日韓関係を妨げる行為”と見なし、韓国に対して批判的な一般の日本国民に対しても”悪巧みをする連中”のレッテルを張ることでしょう。同氏の善悪の判断も、倒錯しているとしか言いようがないのです。もっとも、本発言で日韓関係が悪化したとしますと、撲滅すべきは二階幹事長自身となりますので、何とも皮肉なことです。

 撲滅依頼の発想は”依頼殺人”を想起させますし、政治家が人を対象として撲滅という言葉を使いますと、弾圧や粛清を容易に連想させます。従来であれば、致命的な失言として辞任に追い込むぐらいにマスコミが騒ぎ立てるはずなのですが、親中派のためか、マスコミの態度は至って静かです。とは申しますものの、今般の発言は、二階幹事長が、中国や北朝鮮と同様に弾圧を容認する政治家であることを露わにしましたので、日本国民は、今後とも同氏の動向には警戒すべきと思うのです。

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皇室支持の”善悪倒錯現象”ー辻本議員の”転向”の意味

2017年06月10日 15時41分27秒 | 日本政治
陛下、18年末にも退位=光格天皇以来200年ぶり―新元号、準備本格化
 日本国のマスメディアは、昨日の天皇退位特例法の成立に関しては、何故か祝賀ムード一色に染まっております。”象徴天皇”の継続を言祝ぐ言説が目立ちますが、かつて痛烈に”天皇制”を批判した民進党の辻本清美議員も、今般の法案を機に”転向”を表明しております。

 辻本議員は、昭和の時代に出版した書籍において、天皇や皇室に対して”生理的にいや”とか、「人生訓とか道徳を押し付けたがる。天皇とあの一族の気持ち悪さに直結している」として”悪の根源”とまで言い放っていました。しかしながら、昨今、同議員は、過去の見解を取消し、皇室支持の立場へと転じたのです。その理由としては、憲法尊重擁護義務や過去の考え方の一面性が挙げられております。

 憲法尊重擁護義務については、憲法第99条が改憲、即ち、国制改革の議論まで封じているとは考えられず、おそらく、第9条を含む護憲の立場と関連しているのでしょう。現皇室と護憲派とは、現体制の固定化という面において共闘関係にあるのかもしれません。そして、もう一つの理由である”一面性”については、その具体的な内容は詳しく報じられておらず、様々な憶測が飛び交っております。

 メディア等における好意的な解釈は、現皇室が国民から崇敬されており、国民多数の支持の下で”象徴天皇制”が根付いているから、というものです。しかしながら、別の理由があるようにも思えます。何故ならば、辻本議員は、近年、東宮家と親交を深めているとする情報があるからです。この情報の真偽は不明ですが、同議員の転向には東宮家との面会や交流があったことは想像に難くありません。そして、東宮家にまつわるマイナス情報を思い起こしますと、同議員の”転向”の理由がより明確に見えてくるように思えるのです。東宮家の姻戚である小和田家の出自は同議員と同様に北朝鮮系とする説がある事に加えて、小和田氏には、公金横領やスイスでの軟禁等、犯罪の影が常に付き纏っています。東宮家自身も、ヤフーオークション事件等を起こしたり、愛子さん替え玉疑惑が浮上するなど、必ずしも清廉潔白ではないのです。

 特例法の成立により、3年以内には東宮が天皇位に登極することとなりますが、ここで上述した「人生訓とか道徳を押し付けたがる…」という辻本議員の言葉が意味を持ってきます。即ち、天皇が国民の模範でもなく、不道徳で不品行な存在ならば、同議員には反対理由がなくなるのです。人生訓や道徳を”悪の根源”と断じる辻本議員の道徳観は善悪が倒錯しておりますが、来るべき”次期天皇”も同議員と同様に善悪が倒錯しているかもしれないのです。

 現皇室が犯罪に手を染め、腐敗しているとしますと、かつて辻本議員が天皇を批判した理由とは全く逆の立場において皇室に対して批判を行うのは、今度は良識と理性を備えた国民となりましょう。”悪”を崇敬することは、精神的な苦痛でしかないのですから。そして、仮に、天皇批判を行う健全な善悪の判断能力を備えた良心的な国民が、辻本氏のような輩から”逆賊”と呼ばれるようになるのならば、日本国の将来を憂いざるを得ないのです。

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天皇元首化は日本国の危機

2017年06月09日 09時21分01秒 | 日本政治
退位特例法案きょう成立へ 退位の期日など検討本格化の方針
 本日、参議院本会議における可決を以って、天皇退位特例法案が成立する見通しです。”国民の共感”が強調されつつも、その実、国民的議論もなく、国民不在のまま”お気持ち表明”から僅か10か月あまりで法案成立となり、何とも後味の悪い結果となりました。

 その一方で、衆議院憲法審査会では、天皇の地位等に関しても議題に上ったと報じられております。自民党の憲法改正案では天皇を元首と位置付けており、自民党の議員からはこの案に沿った発言もあったそうです。極めて不自然なことに、出席した各党議員の意見にも伝統的な国家祭祀の役割に関する言及が見られず、”忖度”であれ、先の天皇発言が政界全体に影響を与えているとしますと、空恐ろしさを覚えます。

 天皇退位問題は、日本国の民主主義の危機という予期せぬ事態をもたらしましたが、自民党の天皇元首化案は、この危機をさらに深めるように思えます。何故ならば、元首という職名は(the Head of State)、西欧の統治機構に起源を遡る、極めて政治的な名称であるからです。おそらく、自民党は、大日本帝国憲法制定時を前例として、今般も西欧諸国の立憲君主制を模したのでしょうが、日本国の歴史における天皇の役割とは、西欧の君主制とは全く異質のものです(立憲君主制の諸国でも君主を元首と明記していない憲法もある…)。百歩譲って、天皇を封建制度における軍事的役割に由来する西欧型の”元首”となるならば、護国の責務を第一とし、戦前と同様に、皇族も軍服を着用して軍務に就くべきともなります(一方、国家祭祀を司る天皇は、祭祀長として護国を祈る…)。あらゆる制度は、定められた職務において権利と義務がバランスしていませんと、安定性を欠くものです。

 加えて、国民主権、並びに、民主主義の時代にあって、今日の日本国憲法に見られるような”準立憲君主制”が相応しいのか、と申しますと、この点にも疑問があります。皇位継承については、男系男子継承の原則は論理的必然性はないとする意見も聞かれますが、世襲の君主制の方が、余程、論理的な必然性を欠いています。共和制において国家運営がなされいる国が多数を占める中、誰が、日本国憲法における天皇の国事行為の必然性を合理的に説明できるというのでしょうか。制度的な進化によって、現代にあっては、天皇であれ、君主であれ、統治における存在意義を失っており、そうであるからこそ、統合という統治とは別の場に敢えて位置付けたのではないでしょうか。

 婚姻の自由によって皇室の権威は著しく失墜し、伝統的な国家祭祀も疎かにされています。一部のカルト教団(創価学会・統一教会…)、外国(北朝鮮・中国・韓国・ロシア…)、国際組織(ユダヤ系組織)、そしてこれらの下部組織としての左翼勢力に支えられている現皇室が元首一族となることは、国民にとりましては悪夢としか言いようがありません。すなわち、’天皇’を通して、一般の日本国民は、一部のカルト教団、外国、国際組織、左翼勢力によって支配されることになるからです。

 このように考えますと、天皇元首化は、日本国の民主的な統治体制の発展という側面から見ても退化でしかなく、憲法改正の国民投票において過半数の賛成を獲得できるとも思えないのです。今や保守=皇室支持という構図は崩れ、これまで、皇室制度に対する批判を専売特許としていた共産党も、異質なる’天皇’を支える側となっており、また、北朝鮮系を含む大日本国帝国憲法復活派こそ、日本国の支配を目論む外国勢力であると言うことができます。こうした危機的状況にあって、伝統的保守、否、一般の常識的国民こそ、異形化した現皇室のあり方に異を唱えるべきではないかと思うのです。


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”万帯万路”ではなく”一帯一路”とする中国の本音

2017年06月08日 13時48分08秒 | 国際経済
一帯一路、条件付き協力=「潜在力持つ」と評価―安倍首相
 先日、日本国の安倍首相が、中国が提唱する一帯一路構想について条件付きで日本企業の参加を容認する立場を示したことから、中国の国内ネットでは、”中華帝国の復活”を礼賛したり、”日本が遂に中国に屈した”とする内容の書き込みで溢れているそうです。その一方で、この件に関する日本国内でのネットの反応は、至って冷ややかです。

 その理由は、日本国民の間に、中国が主導する一帯一路構想に対してぬぐい難い警戒感があるからに他なりません。それは、国際プロジェクトの名の下で、中国が自国のみに利益を誘導し、周辺諸国を隷属させる広域的中華経済圏を構築しようとしているのではないか、とする根強い警戒感です。この文脈からしますと、首相が付した”参加条件”、即ち、”自由で公正な経済圏の実現”とは、一帯一路構想から中国の覇権主義的要素を払拭せよ、とする対中要求として理解されるのです。

 そもそも、”一帯一路”というネーミングには、中国の覇権主義が色濃く反映されています。何故、”一”なのか、という疑問を掘り下げてみますと、”全ての道はローマに通ず”の如く、中国を唯一の中心国とする思想が見えてきます。つまり、中国を中心点に置いたヴィジョンとしての”一帯一路”なのです。仮に、アメリカがこのネーミングで自国中心の経済圏構想を発表したとしましたら、全世界が身構えることでしょう。当構想に参加した諸国が中国のネーミングに不信感や不快感を持たなかったのは不思議な事でもあります。

 表向きの説明のように、仮に中国が、全ての諸国に開かれ、互恵的な経済圏構想を本心から望んでいるならば、そのネーミングは、”一”ではなく、”多帯多路”、あるいは、中国風に表現すれば”万帯万路”となるはずではないでしょうか。今日の通商関係は多角的ですし、市場もまた、グローバル市場もあれば、地域市場もあり、そして当然に人々の生活と密接に結びついている国内市場もあり、多層性を有しています。国際流通を担うインフラの建設は、中国を中心点とする必然性はないのです。このように考えますと、”一帯一路”というネーミングにこそ、中国の中華思想に起因する本音が現れているように思えるのです。

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米中ロ三つ巴の顛末は?-南シナ海は中国の鬼門

2017年06月07日 15時06分01秒 | 国際政治
中国が南シナ海の人工島に戦闘機部隊収容施設 米が警戒
 アメリカは、軍事的圧力をかけ続ける姿勢を崩さないものの、北朝鮮に対する慎重な態度が目立ってきております。その背景として推測されるのはロシアによる対北支援であり、この推測を裏付けるように、北朝鮮外務省の実務代表団がモスクワを訪問し、両国間の交流計画に関する文書を交換したとも報じられています。

 ロシア側の積極的な対北アプローチからしますと、北朝鮮による核・ミサイル実験を陰から支えていたのはロシアであり、ロシア製兵器の代理実験であったとする見方も強ち否定はできないようです。アメリカも、北朝鮮の背後にロシアの存在を感知したからこそ、対北強硬姿勢がトーンダウンしたのかもしれません。真の脅威は、北朝鮮ではなくロシアにあると…。

 一方、一連の出来事を通して注目すべき点は、北朝鮮に対する共闘の構図において米中協力が実現したことです。しかしながら、その結果として、中国と北朝鮮との間の距離は開き、同国をロシア側へと押しやることとなりました。見方を変えれば、対米協調路線の代償として中国は北朝鮮に対する影響力を失いましたので、戦略の巧みさにおいてロシアが優っていたとも言えます。

 それでは、対北朝鮮で見せた米中の結束は、米中蜜月と言えるほど強固となるのでしょうか。対北朝鮮では利害が一致したものの、経済分野を含めて他の分野では、中国は、ロシア以上にアメリカにとりまして脅威となる存在です。特に南シナ海問題においては、問題の本質が国際法秩序に関わるだけに、アメリカもこの問題については安易な妥協が許されないはずです。中国は、朝鮮半島での失地の回復を南シナ海に求めようとするかもしれませんが、南シナ海問題では、米中協力が成立する余地はないのです。

 以上の諸点を踏まえますと、北朝鮮問題では対ロにおいて米中が結束し、南シナ海問題では、米中が対立する構図となります。そして、アメリカに対して既に”旧東側陣営”として中ロは結束を示してきましたので、ここで仮にロシアが南シナ海問題で中国と対立し、アメリカ側に与しますと、米中ロによる三つ巴の状況に至ります(アメリカにおいて、マスメディアがトランプ政権をロシア問題でバッシングしている背景には、米ロ接近を怖れる親中勢力の思惑が潜んでいるかもしれない…)。国際社会における三つ巴状態の出現は、陣営の組合せが流動的であった第二次世界大戦前夜を彷彿とさせます。

 果たして、今日、この米中ロによる三つ巴状態は、如何なる顛末を迎えるのでしょうか。三国が相互に牽制し合い、お互いに身動きがとれない状況となる可能性もありましょう。しかしながら、中国が南シナ海において覇権主義を追求し続けるとすれば、東南アジア諸国のみならず、全世界を敵に回す結果を招きますので、三つ巴の均衡は崩れるかもしれません。南シナ海は、中国は自らの立場を不利な方向に傾ける鬼門なのです。そしてこの均衡の崩壊は、ロシアが積極的にアメリカを支持することによるよりも、主として外部の加勢、即ち、法の支配を尊ぶ諸国の結束に起因するのではないかと思うのです。

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「パリ協定」は科学的か?ー証明されていない地球温暖化の原因

2017年06月06日 17時00分26秒 | 国際政治
日カナダ首脳が電話会談、「パリ協定」の着実実施で一致
 アメリカのトランプ政権が「パリ協定」から離脱したことを受けて、各国首脳、並びに、マスメディアはトランプ批判一色の様相です。トランプ大統領は非科学的であり、かつ、アメリカの国益の為に全世界を温暖化の危険に晒していると…。

 しかしながら、「パリ協定」を絶対視する人々は、温暖化ガスによる地球温暖化とは、実のところ、科学的に証明されているわけではないことを忘れております。温暖化には、太陽の活動周期、地下マグマの動向、海流や気流の変化などの様々な自然現象も絡んでおり、二酸化炭素の排出量ばかりが原因とは言えません。しかも、二酸化炭素の排出量が増加するほどに植物の酸素供給量も比例的に増えますので、必ずしも、二酸化炭素の増加量がストレートに地球を温暖化させるわけでもないのです。また、長期的には、地球は氷河期や小氷期を繰り返し経験しており、気候変動は、自然要因のほうが遥かに強く影響します。

 加えて、「パリ協定」の手法には、必ずしもフェアとは言えない側面があります。この協定では、世界最大の温暖化ガス排出国である中国を枠組みに取り込んだとはいえ、2030年まで同国には削減の義務が課されていません。また、世界第二位の経済大国でありながら途上国として扱われているため、財政負担も免除されているのです。トランプ政権による協定離脱の主たる原因は、中国に対するアンフェアな優遇にありますが、「パリ協定」は、制度設計においても”科学的”、即ち、合理的ではないのです。また、温暖化ガスよりも、PM2.5といった有害な環境汚染物質の国際的取締を強化した方が、余程、確実に地球はきれいになりますし、人々の健康にも良い影響を与えることでしょう。こうした面でも、パリ協定は中国優遇協定と言え、トランプ政権のアンフェアであるとする主張には一理があるのです。

 少なくとも、地球温暖化の原因を温暖化ガスに求める説については異論もあるのですから、オープンな科学的議論と明確な証明こそ優先すべきです。「パリ協定」は、真に科学的な見地から作成されたというよりも、政治、並びに、経済的な思惑が渦巻いています。「パリ協定」を金科玉条の如くに祭り上げ、温暖化ガスばかりに全世界の関心を集める今日のあり方には、疑問を呈せざるを得ないのです。

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問われるイスラム系カーン市長の責任ーロンドンテロ事件

2017年06月05日 15時08分51秒 | ヨーロッパ
英、テロ容疑者の捜査本格化=ISが犯行主張―パキスタン出身27歳主犯格か
 イギリスでは、マンチェスターに次いで首都ロンドンでも、ワゴン車の暴走による凄惨なテロ事件が発生しました。主犯と目されるテロリストは、パキスタン出身の27歳の男性であり、ISが犯行声明を出したとも報じられております。

 首都ロンドンと言えば、EU離脱を問う国民投票を前にして、史上初めてのイスラム系市長が誕生しています。当選したサディク・カーン市長は、移民2世とはいえ、今般のテロ事件の主犯と同様にパキスタン出身者のイスラム教徒であり、その当選に際しては、多様性、あるいは、寛容の精神の勝利として報じられたものです。近年、テロ事件が相次ぐ中、労働党党員や有権者の中には、ロンドン市長にイスラム系の政治家を据えることで、イスラム過激派の動きを内部から抑えてもらうとする期待もあったのかもしれません(”イスラムを以ってイスラムを制する”とする発想…)。あるいは、敢えてイスラム教徒を多様性の一つとして受け入れる姿勢を示すことで、イスラムの攻撃性を和らげようとしたとも推測されます。

 ところが、これらの淡い期待は、今般のテロ事件で吹き飛んでしまったかのようです。当のカーン市長に至っては、”テロが起きても怖がるな”とするリベラル特有の欺瞞的なコメントを述べるにとどまり、大西洋を隔てたアメリカのトランプ大統領にまで無責任として批判されています。テロに対する恐怖心の有無は表面に現れているわけではありませんから、テロを抑止する効果があるとは思えず、また、恐怖心という人間の本質の放棄を人々に迫るのですから、非人間的な手法と言わざるを得ません。結局、カーン市長は、テロリストを厳しく断罪するよりも、同郷のテロリストを庇い、テロの責任をイギリス国内のイスラム教徒に対する一般イギリス人の偏見や差別に転化したいようなのです。

 今般のロンドンのテロ事件は、ロンドン市長という要職を任せても、イスラム教徒は満足しないことを示しております。そしてこの事件は、首都の治安を預かり、人々の安全を守る立場にあるカーン市長に対して、その立ち位置と責任を鋭く問うていると思うのです。

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皇族・王族・政治家の”上からの移民系化”は偶然か?

2017年06月04日 13時17分43秒 | 国際政治
「女性宮家」削除を懸念=旧宮家復帰に疑問―民進幹事長
 報道に因りますと、与党である中道右派の統一アイルランド党は、新たな党首としてレオ・バラッカー氏を選出したと報じられております。同性愛者であることを公表したことで注目を集めていましたが、氏は、インド系移民である父とアイルランド人の母との間に生まれており、アイルランドでは、インド系移民の首相が誕生したこととなります。

 ロンドンではパキスタン系移民の子であるサディク・カーン氏が市長を務めており、近年、移民系の政治家が要職に就任する事例は枚挙に遑がありません。ドイツのメルケル首相もポーランド系移民の子孫ですし、前フランス大統領のオランド氏も、その名が示すようにオランダ系移民の子孫です。皇族や王族も例外ではなく、近年の配偶者の選択を見ましても、ベルギー王室を除いては移民系、あるいは、マイノリティー系、かつ、民間人が大多数を占めています。ヨーロッパの王族間では政略結婚による国際結婚の事例はあるものの、政治家に留まらず、皇族や王族が移民系となる今日の世界的な傾向は、単なる偶然なのでしょうか。

 日本国でも、仮に民進党が政権与党となりますと、蓮舫氏が首相となる可能性もあり、日本史上、初めて中国系の首相が誕生するかもしれません。政治家を見ましても、帰化系の国民は人口比にして1%以下でありながら国会議員における比率は10%を越えており、公明党や民進党に限定すればその率はさらに高まることでしょう。アメリカでも、ユダヤ系の政治家の数は人口比に照らしますと過剰であり、イスラエルとの関係やユダヤ・ロビーの絶大なる影響力の強さに対する懸念も指摘されています。こうした移民系、あるいは、マイノリティー系の過剰代表は、多数決を決定原則とする民主主義の観点から見ますと不自然であり、何らかの外部的な力が働いていると考えざるを得ないのです。

 日本国の場合には、しばしば民団や総連の支援活動やパチンコマネーの存在が指摘されていますが、それだけでは、移民系の政治家をかくも大量に国会に送出すことは不可能なはずです。となりますと、その背後には、”国際勢力”からの隠れた支援があるのかもしれません。おそらく、この”国際勢力”の基本方針は、国家の要職を移民系で占めさせることで、国民国家体系を崩壊させ、これらの人々を操ることで世界支配を実現するということなのでしょう。今日の国民国家体系では、マイノリティーを保護しつつも、民族自決主義の下で民族的な枠組みが国民の枠組みを凡そ形成しています。このため、民主主義の制度の元では、本来は、政治家はその国のマジョリティーからの出身者となり、国民との間に強い連帯感が生じるはずです。しかしながら、政治家と国民が連帯意識で結ばれている状態では、”国際勢力”は、自らの利益の為に全世界の諸国を操ることはできません。そこで、積極的にマイノリティーを支援し、情報隠蔽、マスコミの動員、不正選挙によってその国の国民を騙してでもこれらの人々を政治家の地位に就けることができれば、自らの手駒とすることができます。否、マイノリティーのマジョリティーに対する反感や敵意が強ければ強い程、その国の既存の社会秩序に対する強力な破壊力となるのです。皇室や王室もまた同様であり、これらの人々を中心に国民が結束することは、世界支配にとりましては極めて不都合なのであり、移民系に替えてしまえば、もはや、統合の役割は果たせなくなります。

 このように推理しますと、今般の世界的な”上からの移民化”の動きの意図が浮かび上がってきます。各国の政治家は、国民ではなく、実質的に”国際勢力”が自らの基準にあった人物を予め選んでいるのであり、皇族や王族の配偶者も、本人によって選ばれたのではなく、やはり同勢力が事前に適任者を人選をしている可能性があります。今日、世界各国において共通現象が見られるのも、世界支配に向けての”工程表”に基づいて、その配下の諸組織が連携して動いているからではないでしょうか。

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皇室問題ー権威の維持と婚姻の自由は両立しない

2017年06月03日 15時17分10秒 | 日本政治
「皇室」のニュース
 秋篠宮家の”慶事報道”を機に女性宮家の創設問題も持ち上がり、皇室問題はさらに混迷を深めています。特に婚約の”お相手”とされる小室氏については、情報が徹底的に統制されるという異常事態が続いています。

 この問題、出自、門地、信教等をめぐる極めてセンシティブな問題を孕むだけに対応が困難です。何故ならば、小室圭氏についてはネット上で検索しても殆ど情報がなく、既に故人となっている父親の名前や職業がようやく最近に至り判明したに過ぎません。過去の事例では、皇室の慶事にあっては、必ずしも事実とは限らないものの、まずは”お相手”の家柄、家族や親族、家庭環境等が事細かに報じられ、幼少期から婚約に至るまでの間に関わった先生、友人、同級生、ご近所の人々、親族などが、所謂’心温まるようなエピソード’を披露するのが通例でした。しかしながら、今般に限っては、週刊誌でさえ小室氏のバックグランドに関する詳細に触れていません。

 その一方で、海外では、小室氏は、Kim Komuroと表記されたり、ベトナム人と韓国・朝鮮人の血を引く青年として報道されているとも伝わります。近年、日本国のメディアの報道の自由度は72位まで下がっており、その要因の一つが”菊のカーテン”であることを伺わせます。そして、仮に小室氏が海外の報道通りに韓国・朝鮮人やベトナム人の血脈に繋がる、あるいは、創価学会等のカルト集団が背後に控えているとなりますと、この婚姻は、皇族に婚姻の自由を認めるか、否かの選択を、国民に迫ることとなりましょう。

 一般の民間人であれば、憲法にも記されているように婚姻の自由は認められており、他者が介入すべき領域ではありません。しかしながら、公的立場となる’皇族’となりますと婚姻による影響は全国民に及びます。となりますと、第一の選択とは、戦後行われてきたように、’皇族’に対して無条件、かつ、無制限に婚姻の自由を認め、外国に出自であれ、カルト教団の信者であれ、誰でも構わないとする立場です。ただし、この選択をしますと、皇室の権威は低下の一途を辿ることになります。また、姻族が外国人であった場合には、出身国の政治的影響も問題となります。第二の選択とは、皇族の婚姻の”お相手”に一定の条件や制限を課すというものです。この選択では、’皇室’の権威の低下は回避できますが、出自や門地、あるいは、信教による差別として、内外から批判を受ける可能性はあります。

 メディア、あるいは、その背後の”国際勢力”が日本国民を誘導したい方向は、第一の選択のように思えます。しかしながら、奇妙なことに、婚姻の自由に伴う’皇室’の権威の低下については決して触れようとはしません。否、内心において権威の低下を認識しているからこそ、メディアは電波を利用し、カルト教団は信者を大量に動員して、’皇室’の権威づけに躍起になっているのかもしれません。そしてさらに奇妙なことに、これらの人々は、差別反対を唱えながら、”皇族という特権身分をなくし、平等化しよう”とは、決して主張しないのです。その理由は、’皇族’を残した方が、”皇統乗っ取り”、”日本国民の支配”、あるいは、”上下の逆転”が容易に達成されると考えているからかもしれません。ここには、差別反対を強力な梃として’皇族’となり、’皇族’となったら、今度は上から一般の日本人を差別したい、という利己的な自己矛盾さえ見え隠れしているのです。

 一般の日本人としては、権威なき形ばかりの’天皇’を戴き、かつ、一般の日本人が差別される側となるような結果を招くぐらいであるならば、’皇族’の婚姻の自由は認めたくはないでしょうし、今日のような皇室制度は排する方がまだ”まし”と考えるのではないでしょうか。もっとも、既に今上天皇の時代から、皇族の側から婚姻の自由がなし崩し的に原則化されてしまった現状を考慮しますと、現行の皇室制度の存廃を議論すべき時期は、既に訪れているようにも思えるのです。

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皇室問題ー悪しき”大人の嘘”

2017年06月02日 09時26分00秒 | 日本政治
官房長官 天皇のお気持ち表明 憲法に抵触せず
 報道によりますと、天皇譲位(退位)に関する特例法に関する衆議院運営委員会の審議において、菅官房長官は、昨年”天皇のお気持ち表明は憲法に抵触していない”とする見解を示したそうです。しかしながら、本法律案の成立過程をつぶさに見つめますと、この見解は、悪しき”大人の嘘”としか言いようがないのです。

 菅官房長官は、「法案の趣旨規定にある、国民が天皇陛下のお気持ちを理解して、これに共感しているという現状は、国民の受け止めであり、天皇陛下のお言葉と直接、関係するものではなく憲法上の問題はない」とも説明しております。苦し紛れの説明なのですが、昨年8月8日の譲位(退位)表明にあっては、確かに高齢による体力や気力の衰えは、定年退職一般と同様に国民の理解を得たことでしょう。ところがその後に至り、”上皇”の活動は縮小せず、上皇を補佐する宮内庁の体制も現状通りという方針が明らかとなり、騙されたと感じた国民も少なくなかったはずです。すなわち、’国民の天皇への共感’とは、高齢による体力と気力の衰えという点に対してのみであり、活発な’上皇活動’がこの点を否定しているとなりますと、自ら”国民の共感”の前提を破壊しているのです。そして何よりも、”国民の共感”があれば憲法違反ではない”とする解釈は日本国の憲法秩序を根底から切り崩しかねず、立憲主義の下では法律が憲法を越える手法は禁じ手なはずなのです。

 天皇に対する国民の崇敬心の根底には、天皇は神の子孫であり、天孫である天皇が祭祀を司ることで、日本国に安全と安寧をもたらすとする一種の信仰心がありました。しかしながら、今般に至り、天皇自身が祭祀を疎かにし、周囲の政治家達が天皇の責任を回避せんがために、”大人の嘘”で憲法違反を誤魔化すようでは、日本国にとりまして、皇室は、もはや道徳上のお手本でも、良き影響を与える存在でもなくなります。教育上もよろしくなく、国民の多くは、現皇室は尊き神の子孫であるはずはない、と確信することでしょう。昭和天皇によって人間宣言が発せられたにも拘わらず、国民の内面において保たれてきた神話は、遂にフィクションと化して完全に消え去るのです。

 天皇譲位(退位)問題に限らず、皇室周辺には悪しき”大人の嘘”で満ち溢れており、民間人との婚姻が増加するほど、”開かれた皇室”どころか、逆に”菊のカーテン”ならぬ’悪のカーテン’は分厚く重くなるばかりです。カーテンの裏側は、暗闇かもしれません。マイナス情報は徹底的に統制され、新興宗教団体の信者動員と演出によって辛うじて権威が演出されている現状は、古来の天皇と民との関係とは異質な世界です。”国際勢力”をバックとした現皇室によって内部から歴史的な天皇が滅ぼされるという本末転倒の事態が、今日、国民の目の前で起きようとしているように思えるのです。

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国家機構こそ共謀の温床では?ー「共謀罪」公務員除外問題

2017年06月01日 13時43分11秒 | 日本政治
「共謀罪」法案の対象犯罪 政治や選挙除外に批判
 「共謀罪」法案は、本年5月23日に衆議院本会議で採択され、後は、参議院での可決成立を待つばかりとなりました。日本国政府は、本法案は「国際犯罪防止条約」を根拠としていると説明しており、2020年の東京オリンピック開催を控えてのテロ対策としての一面が強調されています。

 野党は反対しつつも、世界各地で凄惨な事件が相次ぐ中、テロや組織犯罪対策は日本国政府の急務であり、この点については、国民の多くも納得していることでしょう。ところが、今般の法案には、「国際犯罪防止条約」に明記されながら、法案では殆ど無視されている部分があることが議論の俎上に上っています。それは、”公務員の腐敗対策”です。同条約の第8条と9条では、公務員の贈収賄による公権力の私物化への対応を明記しており、同条約が、公務員犯罪を特に重視していることが分かります。

 日本国のマスメディアの報道では、公職選挙法、政治資金規正法、並びに、特別公務員の職権乱用等が対象から外されていることを問題視していますが、「国際犯罪防止条約」では、むしろ、選挙時の買収や政治資金当の具体的な行為には言及しておらず、より広い意味での便宜供与や賄賂による公務員の腐敗行為を問題としています。おそらく、法案作成当初にあって政府案に列挙されていた676の対象項目において、既に矮小化されていたのでしょうが、条約の主旨としては、公務員が特定の個人や集団のために職権を不正に行使することを問題視しているのです。

 そして、実のところ、政治家であれ、官僚であれ、あるいは、皇族や王族であれ、共謀とは、公権力や公的権威が関わる時にこそ、国民に対して著しい不利益を与えるものです。かのオウム事件でさえ、数名の政治家が教団との関与が疑われていました。年々、”国際勢力”との関連から深刻さを増す創価学会の問題も、”総体革命”を目指して、当教団が、皇室、公明党、外務省をはじめとした各行政官庁、裁判所、警察・検察…といった国家機構に積極的に信者を送り込んでいるところにあります。また、最近の政策が新自由主義に偏っているのも、日本国の政治家や官僚の多くが”国際勢力”に籠絡され、腐敗しているからなのでしょう。

 今般の「共謀罪」法案の内容はテロ対策が中心となりましたが、上記の視点からしますと、第二弾として、公務員腐敗対策を主たる目的とする「共謀罪」法案の成立が必要です。国家機構こそ、最も破壊的な共謀の温床なのですから、この問題を解決しない限り、日本国の権力も権威も一部の”共謀組織”によって私物化されかねないと思うのです。

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