官房長官 天皇のお気持ち表明 憲法に抵触せず
報道によりますと、天皇譲位(退位)に関する特例法に関する衆議院運営委員会の審議において、菅官房長官は、昨年”天皇のお気持ち表明は憲法に抵触していない”とする見解を示したそうです。しかしながら、本法律案の成立過程をつぶさに見つめますと、この見解は、悪しき”大人の嘘”としか言いようがないのです。
菅官房長官は、「法案の趣旨規定にある、国民が天皇陛下のお気持ちを理解して、これに共感しているという現状は、国民の受け止めであり、天皇陛下のお言葉と直接、関係するものではなく憲法上の問題はない」とも説明しております。苦し紛れの説明なのですが、昨年8月8日の譲位(退位)表明にあっては、確かに高齢による体力や気力の衰えは、定年退職一般と同様に国民の理解を得たことでしょう。ところがその後に至り、”上皇”の活動は縮小せず、上皇を補佐する宮内庁の体制も現状通りという方針が明らかとなり、騙されたと感じた国民も少なくなかったはずです。すなわち、’国民の天皇への共感’とは、高齢による体力と気力の衰えという点に対してのみであり、活発な’上皇活動’がこの点を否定しているとなりますと、自ら”国民の共感”の前提を破壊しているのです。そして何よりも、”国民の共感”があれば憲法違反ではない”とする解釈は日本国の憲法秩序を根底から切り崩しかねず、立憲主義の下では法律が憲法を越える手法は禁じ手なはずなのです。
天皇に対する国民の崇敬心の根底には、天皇は神の子孫であり、天孫である天皇が祭祀を司ることで、日本国に安全と安寧をもたらすとする一種の信仰心がありました。しかしながら、今般に至り、天皇自身が祭祀を疎かにし、周囲の政治家達が天皇の責任を回避せんがために、”大人の嘘”で憲法違反を誤魔化すようでは、日本国にとりまして、皇室は、もはや道徳上のお手本でも、良き影響を与える存在でもなくなります。教育上もよろしくなく、国民の多くは、現皇室は尊き神の子孫であるはずはない、と確信することでしょう。昭和天皇によって人間宣言が発せられたにも拘わらず、国民の内面において保たれてきた神話は、遂にフィクションと化して完全に消え去るのです。
天皇譲位(退位)問題に限らず、皇室周辺には悪しき”大人の嘘”で満ち溢れており、民間人との婚姻が増加するほど、”開かれた皇室”どころか、逆に”菊のカーテン”ならぬ’悪のカーテン’は分厚く重くなるばかりです。カーテンの裏側は、暗闇かもしれません。マイナス情報は徹底的に統制され、新興宗教団体の信者動員と演出によって辛うじて権威が演出されている現状は、古来の天皇と民との関係とは異質な世界です。”国際勢力”をバックとした現皇室によって内部から歴史的な天皇が滅ぼされるという本末転倒の事態が、今日、国民の目の前で起きようとしているように思えるのです。
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報道によりますと、天皇譲位(退位)に関する特例法に関する衆議院運営委員会の審議において、菅官房長官は、昨年”天皇のお気持ち表明は憲法に抵触していない”とする見解を示したそうです。しかしながら、本法律案の成立過程をつぶさに見つめますと、この見解は、悪しき”大人の嘘”としか言いようがないのです。
菅官房長官は、「法案の趣旨規定にある、国民が天皇陛下のお気持ちを理解して、これに共感しているという現状は、国民の受け止めであり、天皇陛下のお言葉と直接、関係するものではなく憲法上の問題はない」とも説明しております。苦し紛れの説明なのですが、昨年8月8日の譲位(退位)表明にあっては、確かに高齢による体力や気力の衰えは、定年退職一般と同様に国民の理解を得たことでしょう。ところがその後に至り、”上皇”の活動は縮小せず、上皇を補佐する宮内庁の体制も現状通りという方針が明らかとなり、騙されたと感じた国民も少なくなかったはずです。すなわち、’国民の天皇への共感’とは、高齢による体力と気力の衰えという点に対してのみであり、活発な’上皇活動’がこの点を否定しているとなりますと、自ら”国民の共感”の前提を破壊しているのです。そして何よりも、”国民の共感”があれば憲法違反ではない”とする解釈は日本国の憲法秩序を根底から切り崩しかねず、立憲主義の下では法律が憲法を越える手法は禁じ手なはずなのです。
天皇に対する国民の崇敬心の根底には、天皇は神の子孫であり、天孫である天皇が祭祀を司ることで、日本国に安全と安寧をもたらすとする一種の信仰心がありました。しかしながら、今般に至り、天皇自身が祭祀を疎かにし、周囲の政治家達が天皇の責任を回避せんがために、”大人の嘘”で憲法違反を誤魔化すようでは、日本国にとりまして、皇室は、もはや道徳上のお手本でも、良き影響を与える存在でもなくなります。教育上もよろしくなく、国民の多くは、現皇室は尊き神の子孫であるはずはない、と確信することでしょう。昭和天皇によって人間宣言が発せられたにも拘わらず、国民の内面において保たれてきた神話は、遂にフィクションと化して完全に消え去るのです。
天皇譲位(退位)問題に限らず、皇室周辺には悪しき”大人の嘘”で満ち溢れており、民間人との婚姻が増加するほど、”開かれた皇室”どころか、逆に”菊のカーテン”ならぬ’悪のカーテン’は分厚く重くなるばかりです。カーテンの裏側は、暗闇かもしれません。マイナス情報は徹底的に統制され、新興宗教団体の信者動員と演出によって辛うじて権威が演出されている現状は、古来の天皇と民との関係とは異質な世界です。”国際勢力”をバックとした現皇室によって内部から歴史的な天皇が滅ぼされるという本末転倒の事態が、今日、国民の目の前で起きようとしているように思えるのです。
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そもそも、国民からしまして、”どうも良く分からない”点が多数存在すること自体が、皇室問題の深刻さを示唆しているように思えます。つまり、国民にきちんと説明できない”何か”があるとしか考えようがないのです。ですから、誤魔化しの連続となり、誰だどう見ましても、”怪しい”という事になるのではないでしょうか。
現時点でこの問題が持ち出された背景には、”国際勢力”の”工程表”に沿うように急かされたか、あるいは、皇室の秘密財産や東宮家犯罪等の理由から、急ぐ必要があったのではないかと推測しております。
私は、天皇は政治的な権能を持たないとされている以上、一般の国民と同様の立場にあると考えております。内閣との間に特別のルートがあるとしますと、それは、やはり、政治的な介入を許す結果となりましょう。百歩譲って天皇に政治的発言を許すとすれば、それは、特別ルートではなく、政治的発言の自由や選挙における被選挙権や選挙権の付与ではないかと思います。もっとも、こうした自由参政権を与えますと、政治的に中立あってこその”統合の象徴”ですので、民心が離れる可能性が高くなりましょう。何れにいたしましても、天皇については、国制改革の面からも原点に帰った議論が必要なように思います。
私や先生にも政治的権能はありませんが、発言権はあります。公務員が上司である政治家から命じられた仕事をボイコットしたら違反行為ですが、政治思想を表明すること事態は違反行為ではないのではないかと思うのです。今上天皇の場合、彼の意思表明に賛同する国民も多いため、それを批判するのは難しく、ならば公共放送を倒閣運動に利用していることが、批判されるべきかと。
とはいえ、確かに自分の意見を権威をかさに通しておきながら、失敗の責任は総理に押し付けると言うのはいただけないので、天皇の政治介入はひかえなければならないというのが、法理と道理に基づく公正な判断かと思います。
曲がったことが大嫌いなのだと思います。特に公的な問題は筋を通しませんと、無辜の多くの人々に損害が及ぶことも少なくありません。黙ってはいけない場面は、世の中にあると思うのです。
故三笠宮寛仁親王のご発言は、一先ずは立場が親王ですので、天皇ほどには憲法上の制約が明確ではないところに、保守派の人々の擁護論があったのではないかと思います。その一方で、天皇は、憲法上において明文による制約を受けておりますので、この点に関しては、より厳格さが求められるのではないかと考えております。もちろん、政治的発言の自由を許すという方向性もあるのでしょうが、先のコメントでも指摘いたしましたように、統合上の問題が生じます。政治的中立性を失えば、天皇は、政争に巻き込まれ、国内で反天皇派が形成される可能性もあります。こうしたリスクを考慮すれば、やはり、天皇の役割は、国家祭祀に特化すべきではないかと思うのです。