国連を枠組みとする「世界気候行動サミット」とは、科学的な調査や客観的なデータ分析に基づいて、地球の気候変動について議論する場ではありません。科学者が集う国際会議とは全く違い、各国政府の代表が参加する極めて政治的な枠組みなのです。しかも、国連サイドによって、各国が‘従うべき’既定路線は決められているように思えます。2050年までに二酸化炭素の排出量をゼロにするという…。
国連の筋書きに沿うように、同サミットでは、環境少女と称されるグレタ・トゥンベリさんが特別に招待され、演説の機会を与えられています。時には怒りを露わにし、時には涙を浮かべながら訴える姿に、会場の参加者から拍手も起きていました。地球を救わんとする熱意に心を動かされた人も少なくないのでしょうが、ここで感情に流されることなく立ち止まり、環境少女の主張する‘正義’は本当の正義なのか考えてみても遅くはないように思えます。
正義が正義であるためには、誰もが疑いようのない根拠を要します。他者による正義の主張と自らの内なる正義感と一致した時、多くの人々は賛意を表明することでしょう。しかしながら、殊に環境問題ともなりますと、‘地球温暖化詐欺’という酷な言い方もありますように、科学的な根拠に欠けているため懐疑論も強く(太陽活動連動説や小氷期突入説…などもある…)、全世界の人々の賛同を得ることは困難です。つまり、トゥンベリさんの正義は、その前提となる地球温暖化説の疑わしさにおいて脆くも躓いてしまうのです(最悪の場合には、詐欺の加担者とみなされてしまう…)。
また、仮に、トゥンベリさん、否、国連が設定した2050年までに排出量をゼロとする目標を達成しようとすれば、その犠牲となったり、負担を強いられる国や人々も存在しないわけではありません。少なくとも、化石燃料等の天然資源を使うことはできなくなりますので、産業活動や国民生活に必要とされるエネルギー源を確保するためには、再生エネの普及を促進するか、あるいは、原子力発電に依存するしかなくなります。2050年までに全エネルギーを再生エネで代替することは極めて困難ですので、地球温暖化問題に対する関心も高い脱・反原発を訴えている人々は、両者の間の二律背反をどのように捉えているのでしょうか。
さらには、エネルギー資源に自国経済を依存している中東諸国をはじめとした石油産出国は外貨獲得の手段を失い、貧困問題に直面するかもしれません。また、石炭が産業のみならず一般家庭の暖房にも使われている中国なども、目標設定が30年後とはいえ、スムースに他のエネルギー源への転換が進むとも思えません(パリ協定にあっては、中国は2030年にようやく削減義務が課されるに過ぎない…)。2050年までの間に化石燃料にかわる新たなエネルギー源が発見される、あるいは、画期的なエネルギー技術が開発されればこの問題は解決しますが、少なくとも、非現実的な‘ゼロ目標’は、それに伴う負の側面を無視した過激な要求とも言えましょう。排出量削減というマイナス思考よりも、新たな研究・技術開発の促進、あるいは、温暖化のみならず、全世界的に発生している異常気象の原因究明と対策強化といったプラス思考の方がよほど説得力があります。
そして、何よりも警戒すべきは、地球は救われても、人類は救われない、という悲劇的結末です。この懸念を立証するかのように、アメリカでは、米テレビ局のFOXに出演した政治評論家マイケル・ノウルズ氏が、トゥンベリさんの演説について、「精神的に病んでいる。両親や国際的な左翼に利用されている」と述べたところ、同局が謝罪に追い込まれると共に、同氏も降板となったそうです。こうした対応こそ、あるいは、国連やその背後に潜む勢力の狙いであったのかもしれません。何故ならば、報道に依りますとトゥンベリさんが自閉症であることは事実なそうですので、事実であっても、’如何なる批判もしてはならない’とする言論封鎖の前例を造ってしまうからです(マッチポンプの可能性も…)。つまり、一切の批判は許されず、温暖化から地球を救うという名目で、全世界は、ジョージ・オーウェルの描いた『1984年』の世界へと導かれてしまうかもしれないのです。
アメリカのテレビ局の対応を見ますと、地球温暖化問題は、なおさら以って怪しさが増してゆきます。真に人類の未来を慮るならば、空気中の二酸化炭素濃度に関心を集中するよりも、全ての人々が自由な空気を吸えるよう、訴えるべきではないかと思うのです。
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国連の筋書きに沿うように、同サミットでは、環境少女と称されるグレタ・トゥンベリさんが特別に招待され、演説の機会を与えられています。時には怒りを露わにし、時には涙を浮かべながら訴える姿に、会場の参加者から拍手も起きていました。地球を救わんとする熱意に心を動かされた人も少なくないのでしょうが、ここで感情に流されることなく立ち止まり、環境少女の主張する‘正義’は本当の正義なのか考えてみても遅くはないように思えます。
正義が正義であるためには、誰もが疑いようのない根拠を要します。他者による正義の主張と自らの内なる正義感と一致した時、多くの人々は賛意を表明することでしょう。しかしながら、殊に環境問題ともなりますと、‘地球温暖化詐欺’という酷な言い方もありますように、科学的な根拠に欠けているため懐疑論も強く(太陽活動連動説や小氷期突入説…などもある…)、全世界の人々の賛同を得ることは困難です。つまり、トゥンベリさんの正義は、その前提となる地球温暖化説の疑わしさにおいて脆くも躓いてしまうのです(最悪の場合には、詐欺の加担者とみなされてしまう…)。
また、仮に、トゥンベリさん、否、国連が設定した2050年までに排出量をゼロとする目標を達成しようとすれば、その犠牲となったり、負担を強いられる国や人々も存在しないわけではありません。少なくとも、化石燃料等の天然資源を使うことはできなくなりますので、産業活動や国民生活に必要とされるエネルギー源を確保するためには、再生エネの普及を促進するか、あるいは、原子力発電に依存するしかなくなります。2050年までに全エネルギーを再生エネで代替することは極めて困難ですので、地球温暖化問題に対する関心も高い脱・反原発を訴えている人々は、両者の間の二律背反をどのように捉えているのでしょうか。
さらには、エネルギー資源に自国経済を依存している中東諸国をはじめとした石油産出国は外貨獲得の手段を失い、貧困問題に直面するかもしれません。また、石炭が産業のみならず一般家庭の暖房にも使われている中国なども、目標設定が30年後とはいえ、スムースに他のエネルギー源への転換が進むとも思えません(パリ協定にあっては、中国は2030年にようやく削減義務が課されるに過ぎない…)。2050年までの間に化石燃料にかわる新たなエネルギー源が発見される、あるいは、画期的なエネルギー技術が開発されればこの問題は解決しますが、少なくとも、非現実的な‘ゼロ目標’は、それに伴う負の側面を無視した過激な要求とも言えましょう。排出量削減というマイナス思考よりも、新たな研究・技術開発の促進、あるいは、温暖化のみならず、全世界的に発生している異常気象の原因究明と対策強化といったプラス思考の方がよほど説得力があります。
そして、何よりも警戒すべきは、地球は救われても、人類は救われない、という悲劇的結末です。この懸念を立証するかのように、アメリカでは、米テレビ局のFOXに出演した政治評論家マイケル・ノウルズ氏が、トゥンベリさんの演説について、「精神的に病んでいる。両親や国際的な左翼に利用されている」と述べたところ、同局が謝罪に追い込まれると共に、同氏も降板となったそうです。こうした対応こそ、あるいは、国連やその背後に潜む勢力の狙いであったのかもしれません。何故ならば、報道に依りますとトゥンベリさんが自閉症であることは事実なそうですので、事実であっても、’如何なる批判もしてはならない’とする言論封鎖の前例を造ってしまうからです(マッチポンプの可能性も…)。つまり、一切の批判は許されず、温暖化から地球を救うという名目で、全世界は、ジョージ・オーウェルの描いた『1984年』の世界へと導かれてしまうかもしれないのです。
アメリカのテレビ局の対応を見ますと、地球温暖化問題は、なおさら以って怪しさが増してゆきます。真に人類の未来を慮るならば、空気中の二酸化炭素濃度に関心を集中するよりも、全ての人々が自由な空気を吸えるよう、訴えるべきではないかと思うのです。
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