今日、日韓関係の悪化は留まるところを知らず、争いの場もWTOといった国際機関にまで拡大し、両国間の批判合戦はエスカレートする一方です。その根本的な原因を探って行きますと、日本国に対する韓国側の‘歴史認識’に辿りつきます。それは、‘日本国は韓国を違法に植民地支配したのだから、謝罪と共に賠償もすべき’というものです。所謂‘元徴用工訴訟’における韓国最高裁判所の判断も、こうした韓国側の認識に基づいています。
一方、日本国にとりましては、韓国側の‘歴史認識’は、法的な根拠のない不当な要求です。何故ならば、条約による併合は合法行為であり、しかも、朝鮮半島が日本国に併合された1910年の時点では、民族自決の権利も国際社会の原則として確立するに至っていませんでした。実のところ、20世紀初頭にあっては、アジア・アフリカ諸国の大半が植民地化されていたことが示すように、条約による併合はおろか、武力による併合でさえ黙認されていたのです。刑法における罪刑法定主義や遡及効の禁止を考慮しますと、謝罪のみならず、賠償までも求める韓国側の要求こそ法的根拠を欠くと言うことになります。
ところが、最近に至り、こうした日本国側の韓国併合合法論に対して、ネット上にて道義的な側面からの反論を発見しました。同反論とは、‘たとえ法律で禁止されていなくとも、反倫理・道徳的行為である以上、その罪を認め、謝罪と賠償を行うべきである’とする主張です。そして、そのモデルとして挙げられているのが、第二次世界大戦時に当時のアメリカ政府が日系アメリカ人を「敵性市民」として強制収容所に収監した事例なのです。同措置は合法行為ではあったけれども、後にアメリカはこの行為を過ちであると認めて謝罪し、補償も実施していると…。
罪刑法的主義や遡及効の禁止を貫きますと、確かに、過去に行われた犯罪行為を裁いたり、罰したりできないという忌々しき問題が発生します。例えば、2006年12月に国連総会において「強制失踪防止条約」が成立しましたが、この条約の法的効果は日本人拉致事件には遡及されず、北朝鮮の最高責任者を裁くことができない現状を苦々しく思う人は少なくないはずです。この点において、‘韓国併合合法論批判’論者の主張も一理があるように思えます。しかしながら、韓国併合と日系アメリカ人の強制収容所問題を同列に扱うことはできないのではないかと思うのです。何故ならば、両者の状況は、あまりにもかけ離れているからです。
両者の相違点を論じれば長文となりますので、ここでとりわけ強調すべき点を挙げるとすれば、それは、実質的な損害の有無です。国家から公式に‘敵性市民’の認定を受けて強制収容所に送られた日系人は、身体を拘束された上に、財産等を失うなどの多大な損害を被っています。一方、当時、日本国籍を有する日本国民であった朝鮮半島の人々は、戦時中にあって着の身着のままで強制収容所に隔離されることはなく、かつ、日本国政府から財産を没収されるといった仕打ちを受けることはありませんでした。‘韓国併合合法論’を批判する人々は、日本国政府は植民地支配に対する賠償すべきと言いたいのでしょうが、そもそも、韓国側の損害自体が存在しないのです。戦時中の朝鮮半島出身の徴用工の問題も、もともとは給与の未払い分の問題であり、この問題であれば、1965年の日韓請求権協定で既に決着しています。さらには、戦時中のみならず、韓国併合の35年間の賠償と申しましても、日本国は、朝鮮半島に対して官民合わせて莫大な投資を行っており、年間、国家予算から相当額の財政移転をも行っております。むしろ、敗戦によって、日本人、並びに、日本企業の多くは、朝鮮半島の財産を失っており、日韓請求権協定は、サンフランシスコ講和条約では認められていなかった残置財産の処分権を事実上韓国に認めたようなものなのです。
ここで、日韓両国の間に横たわってきた‘財産の相互清算’、‘戦争賠償’、並びに、‘植民地賠償’なるものを整理しますと、日韓請求権協定の本来の目的であった‘相互清算’については、両国政府が請求権の相互放棄で合意したため、日本国、並びに、日本国民が一方的に不利益を被る結果となりました。しかも、この相互放棄は、第二次世界大戦の戦勝国ではないにも拘らず、韓国が中国と同様に‘戦争賠償’の意味合いがある残置財産の処分権を事実上獲得したことを意味したのです。そして、‘植民地賠償’については、法的義務はないものの、同協定に基づいて日本国側が巨額の経済支援を行っています。つまり、‘韓国併合合法論批判’の論者は、‘全ての損害が償なわれ、かつ、実際の損害が殆ど存在しないにも拘わらず、なおも賠償を払へ’という理不尽な要求となります。日本国側にとりましては、これは、到底、受け入れがたい要求なのです。
それでも、韓国併合合法論を批判する人々は、賠償はさて置いても植民地支配は‘悪’なのだから、謝罪だけはすべきと主張するかもしれません。しかしながら、一旦、罪刑法定主義や遡及効の禁止の原則を取り外しますと、あらゆる国が、際限なく歴史を遡って謝罪を求めることができるようになります。韓国は、歴代王朝の宗主国であった中国に対して謝罪を要求するのでしょうか。あるいは、13世紀の元寇に際しての高麗軍の対馬や九州北部への侵略行為に対して日本国が遡及的に請求すれば、韓国、並びに、北朝鮮は、謝罪と賠償に応じるのでしょうか。
仮に、韓国併合合法論を批判する論者が、アメリカ政府による日系人強制収容所問題に対する対応を持ち出すならば、1965年に道義的な立場から日本国政府は既に韓国対して莫大な支援金を支払っていますので、法的責任を越えた対応を行った事例として、日本国政府とアメリカ政府との共通点こそ指摘すべきなのではないではないかと思うのです。
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一方、日本国にとりましては、韓国側の‘歴史認識’は、法的な根拠のない不当な要求です。何故ならば、条約による併合は合法行為であり、しかも、朝鮮半島が日本国に併合された1910年の時点では、民族自決の権利も国際社会の原則として確立するに至っていませんでした。実のところ、20世紀初頭にあっては、アジア・アフリカ諸国の大半が植民地化されていたことが示すように、条約による併合はおろか、武力による併合でさえ黙認されていたのです。刑法における罪刑法定主義や遡及効の禁止を考慮しますと、謝罪のみならず、賠償までも求める韓国側の要求こそ法的根拠を欠くと言うことになります。
ところが、最近に至り、こうした日本国側の韓国併合合法論に対して、ネット上にて道義的な側面からの反論を発見しました。同反論とは、‘たとえ法律で禁止されていなくとも、反倫理・道徳的行為である以上、その罪を認め、謝罪と賠償を行うべきである’とする主張です。そして、そのモデルとして挙げられているのが、第二次世界大戦時に当時のアメリカ政府が日系アメリカ人を「敵性市民」として強制収容所に収監した事例なのです。同措置は合法行為ではあったけれども、後にアメリカはこの行為を過ちであると認めて謝罪し、補償も実施していると…。
罪刑法的主義や遡及効の禁止を貫きますと、確かに、過去に行われた犯罪行為を裁いたり、罰したりできないという忌々しき問題が発生します。例えば、2006年12月に国連総会において「強制失踪防止条約」が成立しましたが、この条約の法的効果は日本人拉致事件には遡及されず、北朝鮮の最高責任者を裁くことができない現状を苦々しく思う人は少なくないはずです。この点において、‘韓国併合合法論批判’論者の主張も一理があるように思えます。しかしながら、韓国併合と日系アメリカ人の強制収容所問題を同列に扱うことはできないのではないかと思うのです。何故ならば、両者の状況は、あまりにもかけ離れているからです。
両者の相違点を論じれば長文となりますので、ここでとりわけ強調すべき点を挙げるとすれば、それは、実質的な損害の有無です。国家から公式に‘敵性市民’の認定を受けて強制収容所に送られた日系人は、身体を拘束された上に、財産等を失うなどの多大な損害を被っています。一方、当時、日本国籍を有する日本国民であった朝鮮半島の人々は、戦時中にあって着の身着のままで強制収容所に隔離されることはなく、かつ、日本国政府から財産を没収されるといった仕打ちを受けることはありませんでした。‘韓国併合合法論’を批判する人々は、日本国政府は植民地支配に対する賠償すべきと言いたいのでしょうが、そもそも、韓国側の損害自体が存在しないのです。戦時中の朝鮮半島出身の徴用工の問題も、もともとは給与の未払い分の問題であり、この問題であれば、1965年の日韓請求権協定で既に決着しています。さらには、戦時中のみならず、韓国併合の35年間の賠償と申しましても、日本国は、朝鮮半島に対して官民合わせて莫大な投資を行っており、年間、国家予算から相当額の財政移転をも行っております。むしろ、敗戦によって、日本人、並びに、日本企業の多くは、朝鮮半島の財産を失っており、日韓請求権協定は、サンフランシスコ講和条約では認められていなかった残置財産の処分権を事実上韓国に認めたようなものなのです。
ここで、日韓両国の間に横たわってきた‘財産の相互清算’、‘戦争賠償’、並びに、‘植民地賠償’なるものを整理しますと、日韓請求権協定の本来の目的であった‘相互清算’については、両国政府が請求権の相互放棄で合意したため、日本国、並びに、日本国民が一方的に不利益を被る結果となりました。しかも、この相互放棄は、第二次世界大戦の戦勝国ではないにも拘らず、韓国が中国と同様に‘戦争賠償’の意味合いがある残置財産の処分権を事実上獲得したことを意味したのです。そして、‘植民地賠償’については、法的義務はないものの、同協定に基づいて日本国側が巨額の経済支援を行っています。つまり、‘韓国併合合法論批判’の論者は、‘全ての損害が償なわれ、かつ、実際の損害が殆ど存在しないにも拘わらず、なおも賠償を払へ’という理不尽な要求となります。日本国側にとりましては、これは、到底、受け入れがたい要求なのです。
それでも、韓国併合合法論を批判する人々は、賠償はさて置いても植民地支配は‘悪’なのだから、謝罪だけはすべきと主張するかもしれません。しかしながら、一旦、罪刑法定主義や遡及効の禁止の原則を取り外しますと、あらゆる国が、際限なく歴史を遡って謝罪を求めることができるようになります。韓国は、歴代王朝の宗主国であった中国に対して謝罪を要求するのでしょうか。あるいは、13世紀の元寇に際しての高麗軍の対馬や九州北部への侵略行為に対して日本国が遡及的に請求すれば、韓国、並びに、北朝鮮は、謝罪と賠償に応じるのでしょうか。
仮に、韓国併合合法論を批判する論者が、アメリカ政府による日系人強制収容所問題に対する対応を持ち出すならば、1965年に道義的な立場から日本国政府は既に韓国対して莫大な支援金を支払っていますので、法的責任を越えた対応を行った事例として、日本国政府とアメリカ政府との共通点こそ指摘すべきなのではないではないかと思うのです。
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