万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

グローバル化のパラドクス-日本国と香港

2019年09月08日 13時35分28秒 | 国際政治
バブル崩壊後の20年間は‘失われた20年’と評されてきましたが、この時期は、まさしく日本国のグローバル化が叫ばれた時代でもあります。そして、この20年を越えた今では、‘20年’が失われたのはグローバル化が足りないのであり、長期に及ぶ衰退を取り戻し、新たな発展を遂げるには、あらゆる国境障壁を廃して一歩でも二歩でもグローバル化に向けて前進すべき、と叫ばれています。

 しかしながら、この方向性、本当に正しいのでしょうか。国民所得の低下が数字で示されるように、グローバル化は日本国民を豊かにはせず、所得格差の広がりにより‘一億総中流’の時代も過ぎ去りました。そして、グローバル化の結果としてグローバルな視点を日本国民が身に着けた時、何故、日本経済が衰退したのかも理解されるのです。

 グローバル化のパラドクスについて考える時、香港と中国の関係は参考になります。中国では、香港に隣接する深センに特別区に指定し、アメリカのシリコンバレーに匹敵するITを中心とする高度先端技術の開発拠点とする計画を立て、習近平国家主席の後押しでそれを実行に移しています。しかも、‘シリコンバレー化’のみならず、深センを香港に替る国際的な金融センターに育てる計画もあり、それ故に、敢えて香港の隣に特別区を設置したと言うのです。つまり、地理的に近接していれば、隣の香港から、人、資金、技術、情報などを吸い取ることができるからです。中国の国家戦略にあって、香港は‘使い捨て’の対象であり、全てを抜き取った後は一国二制度を有名無実化し、北京政府の厳格な統制下に置きたいのでしょう。香港は、もはや自由な空気に満ちた活気のある都市ではなくなるのです。それ故に、北京政府は、今般の抗議活動を何としても抑えようと躍起になっているのかもしれません(あるいは、工作を仕掛けて軍事介入し、一気に香港を制圧しようとするかもしれない…)。

 香港の事例は、中国全体の視点と香港の視点との違いを示しています。冷徹な中国政府にとりましては、国家戦略を実現するためには香港は奪い取る、あるいは、犠牲にすべき対象に過ぎません。それでは、この事例が、何故、日本国に関係しているのでしょうか。それは、グローバルな視点からすれば、まさしく、日本国こそが香港に当たるからです。

ここで、ご自身が、巨額の資金を世界大に、かつ、自由に運用し得るグローバリストの金融資本家、あるいは、グローバル企業のCEOであると想像してみてください。利益の最大化を求めるならば、日本企業が国内で技術の研究開発から販売・輸出に至るまで全てのプロセスを完結させるのは望ましい状況ではないはずです。そこで、日本国の人、資金、技術、情報をそのままより利益となる他の国に移してしまうというアイディアを思いつくかもしれません。中国であれば、13億の市場を擁していますし(グローバル化の時代には‘規模’は優位性を約束する…)、労働力も比較的低コストで調達できます。また、一党独裁体制ですので、トップ・ダウン方式で規模の経済を最大限に発揮し得る巨大企業を育てることもできます。となりますと、先ずは、日本国内において協力者を獲得したり養成すると共に、日本企業の株式を取得して株主として経営に口出しができる状況を創り出し、製造拠点の移転や合弁会社等の設立を含め、中国等への移転作業を内部から進めさせることでしょう。同時に、日本国政府に対しても積極的にロビー活動を仕掛け、さらなる‘開国’を求めつつ、国民からの反発が起きないよう、グローバリズムを時代の潮流として印象付けるための宣伝活動をマスメディアを介して推進することでしょう。

実のところ、グローバリストとしての最も合理的な判断が、日本国を犠牲にすることであったとしますと、ここで、多くの人々は、グローバリズムのパラドクスにはたと気が付くはずです。そして、このままグローバリズムに邁進しても良いものかどうか、頭を抱えて悩むことでしょう。もっとも、この逡巡は、日本人なればこそのものであり、国家への帰属意識を持たない‘純粋なグローバリスト’であれば、経済的利益と国民意識との間の板挟みで思い悩むことはありません。このことは、目下、日本国から中国への移転計画が進められている可能性を強く示唆するのです(もしかしますと、当初は韓国を移転先に予定していたものの、より有利な条件を有する中国に乗り換えた可能性も…)。

グローバリズムとは、人口であれ資金力であれ、規模が物を言います。この基準からすれば、グローバル時代の勝者は中国といった人口大国か、強力な国際ネットワークを有するユダヤ系やイスラム系となるかもしれません。このような近未来が待っているとしますと、日本国の、そして人類の未来をグローバルズムに委ねてもよいのか、深く考えてみる必要があるように思えるのです。

よろしければ、クリックをお願い申し上げます。

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする