万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

韓国の徴用工判決と多文化共生主義の問題

2018-11-07 13:40:17 | 国際政治
韓国外交省「日本、節度ない過剰な対応」 徴用工判決
先日、所謂‘徴用工問題’に対して韓国の最高裁判所が下した判決に対し、日本国内では、そのあまりにも非常識な内容に同国に対する怒りや批判の声が上がっております。その一方で、韓国側は、“我が国の国民感情を刺激する”として‘逆切れ’状態にあり、双方ともに譲る気配はありません。両国間の対立は、今般、一見、何らの関連性もなさそうに見える日本国政府が推進している事実上の移民政策についても、一石を投じているように思えます。何故ならば、‘文化’とは、時にして真っ向から対立するものであるからです。

 多文化共生主義に基づけば、地球上の全ての文化は平等であり、相互に対等なものとして扱われます。価値相対主義が原則ですので、それがその国の歴史や伝統に根差した固有の文化であっても、優越的な地位は認められないのです。ところが、文化とは、特定の民族集団が有限の時間と空間を枠組として形成してきたものですので、地球上の諸文化の間には相当の違いがあります。言語がその最たるものですが、こうした違いは、服飾文化、食文化、建築文化といった基本的な衣食住に関わる物質的な文化のみならず、礼儀や慣習、道徳・倫理観、家族観、美意識など、社会の隅々にまで及ぶのです。多文化共生主義が‘サラダ・ボール’と称され、一国の内部で出身国を異にする多様なマイノリティーのコミュニティーが併存する形態となるのは、文化の集団性に求めることができます。そしてそれは、文化の枠組を‘境界線’とする国家内部の制限のない細分化を意味するのです(既存の国民は居場所を狭められ、地球上の民族の数だけコミュニティーが形成され得る…)。

 政治文化や法文化もまた、文化の中の一つです。そして、今般の‘徴用工判決’こそ、日韓、そして、国際社会と韓国との間の政治や法における文化の違いを際立たせた事件はありません。何故ならば、韓国の文化では、法よりも感情が優先されることが明らかとなったからです。『魏志倭人伝』にも、「その法を犯すや、軽き者はその妻子を没し、重き者はその門戸および宗族を没す」とあり、現代の基準からすれば刑罰が過重ではあるものの、古来、日本国では法が存在し、法に照らして違法行為が罰せられてきたことが分かります。明治に至って法制度が初めて導入されたのではなく、日本国は、2000年を越える歴史を通して常に法治国家であったのです。

一方、中国の儒教文化の影響をより強く受け、かつ、遊牧民族が建国したモンゴル帝国の支配をも受けた朝鮮半島では、李朝時代の悪政もあって、法の一般性よりも上下の身分関係が人々の行動を律してきました。言い換えますと、同地域では、法の支配や法の前の平等に関する共通意識や価値観が育つ余地がなく、法よりも人が支配する人治国家であった歴史が長いのです。つまり、人>法、並びに、上>下が相まって、今日でも、国民感情>法であり、韓国>日本、あるいは、被害者>加害者の構図を以って、現代の国際社会において行動しているように見受けられます。そして、日本国のみならず、現代の国際社会において法の支配が普遍的な価値の一つとして成立している以上、韓国の文化は、日本国の文化のみならず、国際社会における普遍的価値に裏打ちされた法文化とも衝突せざるを得ないのです。社会とは、構成員による価値の共有を特徴ともしていますので、韓国は、国際社会全体から見れば、普遍的価値を否定し、利己的な理由から社会的規範を破る‘無法者’の立場とならざるを得ないのです(この点は、中国や北朝鮮等も同罪…)。

多文化共生主義を支持する人々は、果たして、‘無法者’の文化をも受け入れるべきと主張するのでしょうか。欧州諸国における多文化共生主義失敗の原因の一つは、イスラムの政治・法文化における政教一致、並びに、他宗教排斥や異教徒殺害を容認する文化まで受け入れたところにあります。また、アメリカで激化している‘分断’とは、ホンジュラスからの大移民集団の北上が中間選挙の争点ともなったように、犯罪発生率の高い国、即ち、比較的犯罪に対して寛容な文化を有する人々が国内に移住してくることに対する一般国民の危機感の表れなのかもしれません(ホンジュラスは最も殺人率が高い国の一つであり、かつ、移民集団の人々は、アメリカが当然に受け入れるべきと利己的に考えている…)。そして、この常識的な危機感を‘差別’の一言で片付けても良いのか、と申しますと、そうとばかりは言えないように思えるのです。‘人道’の名の下で移民や難民を受け入れたとしても、その‘人道’とは、受け入れ国側の文化における価値観に過ぎないのかもしれないのですから。

今のところ、日本国内では、韓国の国民感情や政治文化を尊重し、同国裁判所の判決に従って日本企業が損害賠償金を支払うべきとする意見は殆ど聞かれません。乃ち、このことは、世の中には、決して譲ることはできない価値観や文化が存在することを示しています。犯罪容認のみならず、移民と共に非民主的な独裁容認、ネポティズム、政治腐敗、違法性への寛容、自民族優越主義、侵略志向といった異文化が自国に流入してきた時、日本国民は、これらを認めるのでしょうか。多文化共生主義による社会の分断は、国家としての共通の価値観や政治・法文化の在り方を問われるとき、必然的にゼロ・サムの対立を生み出すのであり、それは、国際問題ではなく、国内問題として内在化するのです。今般の徴用工裁判を機とした日韓の間の価値をめぐる対立は、多文化共生主義の偽善をも暴いているように思えるのです。

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