習主席「敏感な問題管理を」=米中戦略・経済対話が開幕―北京
南シナ海問題を巡っては、先にシンガポールで開かれていたアジア安保会議でも、中国は、改めて仲裁裁判の裁定に従わない意向を強調しました。”無法国家宣言”に等しいのですが、この問題の根底には、中国の国際社会に対する認識が、二次元、あるいは、平面思考である点を挙げることができます。
本日から北京で開幕した米中戦略・経済対話でも、習主席は、南シナ海を含むあらゆる問題の解決の舞台を米中二国間関係に限定するよう、アメリカに働きかけています。中国の戦略の特徴は、問題のレベルを二国間関係に持ち込むことにあります。しかしながら、この作戦は不発気味であり、中国は、自国の話し合い解決の提案に、何故、同調する国が少ないのか疑問に感じているかもしれません。そして、その理由が、自国の認識と他の諸国のそれとの間の著しい認識の違いにあることに、中国は、本当に、気が付いていないか、あるいは、気付いていない”ふり”をしてるかもしれないのです。
南シナ海問題の本質は、中国による国際法違反の行為にあります。法の支配の構造とは、全ての構成員が上位に位置する公平・中立なルールに従う形態ですので、基本的には、三次元の立体構造です。ところが、中国は、この三次元の構造を理解せず、もしくは、理解できず、ひたすらに自らの思考パターンである二次元レベルに問題を引き下ろすことで対応しようとしているのです。三次元と二次元の間には越えられない壁があり、三次元問題は、二次元問題の解法で解けるはずもありません。
三次元思考を拒絶する中国の二次元思考は、伝統的な中華思想にも起源がありますが、中国共産党政権の思考回路に最も影響を与えているのは、やはり、プロレタリアート独裁を絶対視する共産主義であるのかもしれません。何故ならば、共産主義思想は、権力を独占するプロレタリアートが、法であれ、何であれ、如何なる拘束をも受けない支配体制を目指しているからです。
中国に対する国際社会からの圧力は強まる一方であり、この圧力は、中国に対して二次元から三次元への思考の大転換を促しています。そしてこの大転換は、共産主義の放棄をも意味するかもしれません。遂に、今日、次元を超えられない共産主義は、最終的な終焉の時を迎えつつあるのでしょうか。
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南シナ海問題の本質は、中国による国際法違反の行為にあります。法の支配の構造とは、全ての構成員が上位に位置する公平・中立なルールに従う形態ですので、基本的には、三次元の立体構造です。ところが、中国は、この三次元の構造を理解せず、もしくは、理解できず、ひたすらに自らの思考パターンである二次元レベルに問題を引き下ろすことで対応しようとしているのです。三次元と二次元の間には越えられない壁があり、三次元問題は、二次元問題の解法で解けるはずもありません。
三次元思考を拒絶する中国の二次元思考は、伝統的な中華思想にも起源がありますが、中国共産党政権の思考回路に最も影響を与えているのは、やはり、プロレタリアート独裁を絶対視する共産主義であるのかもしれません。何故ならば、共産主義思想は、権力を独占するプロレタリアートが、法であれ、何であれ、如何なる拘束をも受けない支配体制を目指しているからです。
中国に対する国際社会からの圧力は強まる一方であり、この圧力は、中国に対して二次元から三次元への思考の大転換を促しています。そしてこの大転換は、共産主義の放棄をも意味するかもしれません。遂に、今日、次元を超えられない共産主義は、最終的な終焉の時を迎えつつあるのでしょうか。
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