秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

小説 「斜陽 」     SAーNE 著

2017年12月09日 | Weblog

まるで空気さえ、存在しない様な乾いた部屋で、僕は畳の上で大の字に寝ころび、天井を見ていた。
「私が死んだら、献体してよ、お葬式代が要らないからね。骨は適当に海に撒いてね」
母が時々真顔で口にしていたけれど、叶えてはあげられなかった。長い闘病の末に、
安息についた母の身体を他人の誰かに晒されることが、耐えられなかった。
母は骨に変わった。

壁掛けのカレンダーは、9月のまま。13日の日付に黒のボールペンで○を入れて、その下に入院と書いてある。母の右肩上がりの文字だ。
ここ数日間の記憶が、曖昧だ。どこか上の空だ。
極度の疲労感と妙な違和感に苛まれながら、漠然と時間に急き立てられていた。

「35にもなって、何やってるの!智志、しっかりなさい!」
っていつもの母なら叱るのだろうけど、
母は無機物な骨になった。

遺族の一人の息子役と言っても、僕には兄弟はいない。ずっと母と二人きりだった。
古びたアパートの母の部屋にあるのは、畳の部屋に不似合いな洋風のミニ仏壇に祖父母のお位牌。茶湯器に鈴。母の部屋はいつも
お線香の臭いが染み付いていて、子供の頃は僕は母の部屋には余り入らなかった。東京の郊外の裏山のある小さな町。
母は昼夜を問わず働いて、僕を育ててくれた。物心ついた時には、父親の存在はなかった。

小学校の同級生に、母子家庭の子がいたから、僕のお父さんも事故か何かでいないんだろうと、漠然と思っていた。
高校を卒業して就職したいと母に話したら、物凄い形相で叱られた。

「大学を卒業してから、働きなさいっ、学歴が一番なのよ」
母に一喝されたら、僕は手も足もでなかった。僕の中で母は絶対的権力を持ち、僕はひたすら猛勉強をして、
そこそこの大学を合格して、大手企業に就職をした。

僕が私生子だとわかったのは、高校生の時だった。修学旅行に必要なパスポートの申請手続きをした時だった。

パスポートの手続きを済ませてから、僕は数日間、母の顔を直視できなかった。
父親不明?
森田智志
根っこがないよ。

憶測ばかりが、後から後から沸いてきて、心が窮屈になって、ストレス性胃炎、それから数ヶ月不眠症になった。
そんな深刻な話を相談する相手もなくて、いつもなら母親に何でもさらけ出していたのに、あの時の最大の苦悩の原因は、母そのものだった。

「母さん、僕のお父さんは誰?」
「母さん、僕は望んで生まれたの?」
暗中模索の繰り返し、僕は何も聞けなかった。

母を尊敬していたから、無闇な言葉で母を傷つけたくなかった。
あの時の衝撃よりも、今の喪失感は深い。
カーテンの隙間からオレンジ色の西日が空から降り注ぐ一本の帯のように、母を包んだ真白な布を、染めていく。
「夕日の晴れ着だよ、母さん…古稀のお祝いみたいだね」
僕は泣いた。子供みたいにがむしゃらに、泣いた。















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