松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

今時の国語の授業

2011-02-12 16:10:06 | Weblog



まず、今時の国語の授業の指導案(本時)の学習過程を記してみる。これは私の見てきた多くの授業の傾向である。

1 教材  1年「たぬきの糸車」
2 目標 おかみさんの回す糸車を見て、目玉をくるりくるり回しているたぬきの様子を想像し、気持ちを読み取ることができる。
3 学習過程
(1) 1の場面を読み、前時の学習を振り返り、本時の学習課題をつかむ
学習課題:おかみさんのところにやってくるたぬきのきもちをかんがえよう。
(2) 教師の範読を聞き、たぬきの気持ちが分かるところに線を引く。
○ たぬきの気持ちが分かるところに線を引こう
(3) 線を引いたところとそのときの気持ち
ア キーカラカラ キークウルクル
・何の音かな。
イ 二つのくりくりした目玉が、のぞいていました。
・あれは、何かな。おもしろそうだ。
ウ 糸車をまわすまねをするかげ
・どうやるのかな。こうかな。
エ まいばんまいばんやってきて~くりかえしました。
・糸車は、おもしろいな。やってみたいな。

※ 上記の発表に対して、教師は次のような支援をする
○ 大事な言葉を選んで、線を引くように声を掛ける
○ K子には時間を確保し、見守る。
○ 「糸車」や「やぶれ障子」の実物を使って、たぬきの様子を動作化し、たぬきやおかみさんの様子や気持ちを豊かに想像できるようにする。
友達の考えに自分はどう考えるか、言わせる。
④ たぬきの気持ちが、だんだん変わっていったことに気づかせる。

(4) ワークシートにたぬきの気持ちを書く。
○ 糸車は、おもしろそうだ。まわしてみたいな。
(5)まとめの音読をする。
○たぬきの気持ちが分かるように音読する。

以上が指導案である。

この指導案で授業が展開するとなると、次のような授業が展開される。

予想される子どもの反応であるエを例にして考えられることは
エ まいばんまいばんやってきて~くりかえしました。
・糸車は、おもしろいな。やってみたいな。
 に対して、教師の対応は、
T どの言葉からそのように思いましたか
C まいばんやってくるからです。
T まいばんてどういうことですか
C いつもです。
T いつもくるということですから、たぬきは、糸車を見たり、まねをしたりするのがおもしろいと感じているのですね
 ・・・・となるであろう。

 しかし、これでは文の表面をなぞっているだけで、本当に読み込んでいるとは思われない。国語指導で大切な文や言葉への着目もできていないし、文章を深く豊かに読み取って楽しむことも不十分であると考える。

 ここでは、次のように展開したい。(一例である)
「むかし、ある 山おくに、きこりの ふうふが すんで いました。 山おくの 一けんやなので まいばんのように たぬきが やってきて いたずらを しました。」
のところにある。「まいばんのように」と、ここでの「まいばん まいばん」を取り上げて比較することである。
 「まいばんのように」と「まいばん」は同じですかと子どもに考えさせたい。そうすると「ように」が問題になってくる。「ように」は似ているが同じではない。だから、「まいばん」は毎晩であり、どの夜もである。雨が降っても嵐がきてもたぬきはやって来たと読みとれる。「まいばんのように」は雨が降れば、来なかったことも考えられる。ここでは「まいばん」(毎晩)だからたぬきが糸車を回すまねがどんなに好きなのか、糸車によほど興味を持っていたのかが一層理解できる。
そんなたぬきを見て、おかみさんは、
「いたずらもんだが、かわいいな。」と思った。
そんなたぬきが、わなにかかってしまったから、逃がしてやったことがよく分かるのである。
「いたずらもんだが、かわいいな。」
の文にしても「が」の前の文と後の文ではどちらがおかみさんにとって大事なのかを子どもに考えさせたい。
「が」は逆接であり、前件に関わらず、それに対比的な後件が事実として存在することを表すという原則から、後件が前件よりも重要であることが分かる。 
この2,3行の文からだけでも、子どもに考えさせることができる。1年生でも十分にこの学びはできるのである。

 私が見てきた多くの授業は前述のような指導案であり、実際の授業と言えば、おかみさんやたぬきの気持ちを想像しようというものであった。
 子どもたちは、ハイハイと手を挙げて発表する。物語の筋がわかっているのでみんな同じような考えが出される。
 グループ学習にしても同じような考えが出されるだけである。
 教師は子どもの考えを板書して並べる。そして、子どもから出された考えをくり返し言うだけである。
 ときどき動作化したり、糸車や破れ障子の実物を見せる。
 最後はワークシートにまとめさせるが、そこに書かれる内容の深まりはない。

このような授業は学年が上がっても、教材が違ってもあまり変わりはない。
これでは、「伝え合う授業」「ひびき合う授業」「コミニュケーション能力を培う」などと研修テーマを掲げてもお題目だけに終わってしまう国語の授業になってしまうだけである。


参考ブログ
・totoroの小道
・松明光明

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