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野ゆき山ゆき海邊ゆき

日々の生活の中で出合う自然や民俗、歴史遺産を記録します。主な舞台は和歌山県中部。タイトルは佐藤春夫の「殉情詩集」より。

開花直後

2025年03月25日 | 植物
落花した時に比べ慎ましやかですね。
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落椿の季節

2025年03月16日 | 植物
先日12に近くの神社で撮影。前日の雨で大量に落ちたようで壮観でした。




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ミサゴが三羽

2025年03月13日 | 植物
塩屋海岸でミサゴは時々見るが、今日は三羽も飛んでいました。三羽同時に撮影したかったがチャンスはなかったです。今。釣り客も多く港湾へ魚が多く入ってきているのでしょうか。それにしてもダイビングして獲物ゲットとは、なかなかいきませんね。



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ほぼ一年ぶり

2025年03月02日 | 植物
昨年の3月31日にここに同じ場所のクロサギをアップしています。ここはほぼ毎日のように散歩で通っているのでほぼ一年ぶりに見る
ことになります。港の岸壁には釣り人の車がびっしり並んでいます。よく釣れるのでしょうね。釣り人の一人に何が釣れるのかと聞いて
みますと、カマスやアジだそうです。

クロサギもそれを狙ってきているのでしょう。昨年の写真にはけっこう大きなカマスをとらえて姿が写っていますが、今回はその瞬間を何
枚か取りましたが小物ばかりでした。


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雪はふる その二

2025年02月07日 | 植物
現在、日本列島は今冬一番の寒気におおわれてどこもここも寒さ、とくに雪国は大量の降雪で悲鳴を上げています。昨日の当地の海岸べりは快晴でしたが、少し山間部に入ると三百瀬あたりから民家の屋根が白くなってきてゴルフ場の入口あたりは写真のように数センチの積雪がありました。

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雪はふる

2025年01月30日 | 植物
今朝もかなり冷え込みました。日高川町佐井に用があり車を降りて目の前に広がる景色を見てビックリ。後山の中腹より下あたりまで雪が積もっているではないですか。
標高は、国土地理院地図を見てみるとだいたい200mくらいです。昨夜から今朝にかけてこの付近まで雪が降ったということを示しています。それより下は雨になったの
でしょう。地面はけっこう。濡れていました

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大寒

2025年01月22日 | 植物
暦の上では、今が大寒ですが、ここ数日朝方が良く冷えました。散歩道の左右の畑は良く冷えて霜が降りて白っぽくなってました。


昨日22日に作成した記事です。
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四国第二の高峰

2025年01月20日 | 植物
以前から気になっていて何度かここにアップしていますが、イマイチ自信がなかった四国の剣山ですが、先日の視界が良いときにここぞと
絞って撮影してみました。地図で見ても橘火力発電所の二本の煙突の間の向こうにあたりますので、これが剣山ではないでしょうか?
Googlemapで距離を測ると98.4kmとでました。

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2015年 令和7年元旦

2025年01月01日 | 植物

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思ふも寂し

2024年12月05日 | 植物
丹生神社禁殺生は、そこから少し有田川をさかのぼった旧金屋町でお生まれになった明恵上人に関係するのではないかといわれております。
その明恵上人の誕生の地が遺跡として整備されています。現在は有田川町歓喜寺ですが、旧住所は「紀伊国在田郡石垣荘吉原村 」となっています。


ここに立つ石の卒塔婆は明恵の高弟の義林房喜海が、上人入寂後の嘉禎2年(1236)に木製の卒塔婆を建立したが、その後朽ちたので、比丘弁迂
が一族を勧進して康永3年(1344)に石づくりとしたのが現存する卒塔婆といれています。

現在はその手前に上人の詠んだ歌が石碑に刻まれています。
「ふるさとの宿には ひとり月やすむ 思ふも寂し 秋の世の空」

その西側には上人の胞衣塚がひっそりと建っています。

  
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