野ゆき山ゆき海邊ゆき

日々の生活の中で出合う自然や民俗、歴史遺産を記録します。主な舞台は和歌山県中部。タイトルは佐藤春夫の「殉情詩集」より。

灰色の季節に

2012年01月30日 | 植物
真冬になり灰色の占める割合が増えてきたが、暖国紀州は探せばくすんではいるが色彩を見つけることができる。一つは、ノイバラ、もう一つはタンキリマメ。色彩の少ない時期だけに貴重な色だ。
ノイバラの実
    

タンキリマメは漢字で書くと「痰切り豆」で字のごとく痰切りに使われた薬草なのだそうだ。
                 

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何となく春めいて

2012年01月29日 | 植物
今日も寒かったが、朝散歩していて光に春めいたものを感じた。1月も末になると太陽高度は増してくるので春の兆しを感じる。春めきを直接感じられるものはないかと思いを巡らせ思いついたのはスイセン。そうだ白崎のスイセン自生地を見に行こう。少し残っていた仕事を仕上げ、それを某所に届けたその足で白崎に向かった。日曜日で人が多いかと思ったが、やはり寒いので人出はそれほどではなかった。それでも一人二人と途切れなく見物人はやってきた。
由良町の観光目玉の一つとされているので、あたりの雑木は切り払われ、スイセンと海の絶景を楽しめるようになっている。花を見て佇んでいると、どこからともなく芳香が漂ってくる。
自生地として昔から聞いていたが、このように整備されたのはここ数年のことではないか。かれこれ30年近く前にここへ来たが雑木が生い茂り、その間でぽつりぽつりと花が咲いている状態であった。青い海と白い岬、それに可憐なスイセン、なかなか良い組み合わせだと思う。ただ、野生スイセンは八重でいまいち見栄えがよいとはいえないことと、海とスイセンのコラボ撮影がしにくいことが難点かな。

   

           

           

           

   
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百聞は一見に如かず

2012年01月29日 | Weblog
TVのニュースでその惨状は見たはずだが、やはり現地で見るに如かず。那智川は滝から河口まで7km足らずしかない。そこへ3日で1000mmを超える雨が降ったのだ。あれから4ヶ月がたち、幹線道は復旧しているが、河川に流れ込んだ巨石などの処理はなかなか進んでいないようだ。熊野川でも支流からの巨石の流れ込みが目立ったが、ここ那智川でもその凄まじさに我が目を疑った。

河川に堆積した土石を取り除く作業が急ピッチで行われている。那智かまぼこセンターからみた市野々地区。


支流から土石流が流れ込んで家が押しつぶされていた。
    

市野野地区の県道46号線と43号線の交差地点。43号線の谷筋から流れ込んだ土石はすさまじかった。
    

那智勝浦新宮道路下の橋が相当なダメージを受けていた。
    
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アニミズムの聖地

2012年01月28日 | 歴史
熊野初詣の最後は飛滝神社すなわち那智の滝である。27日の朝滝に氷が張ったようである。しかし暖国だけあって凍りつくことはなかったようだ。飛滝神社境内の台風12号の被害は、見たところ鳥居横の岸が抉られているだけであった。滝壺ま大石がゴロゴロしてその変化はわからなかった。
もう何度ここへ来ただろうか。133mの落差をもつ日本一の大滝はいつ見ても壮観である。
         
今回は滝の御前だけでなく、青岸渡寺と熊野那智大社まで足を伸ばした。
鎌倉積みといわれる石段を息を荒くしながら、足をふらつかせながら登り青岸渡寺、熊野那智大社へ辿りついた。
         

三重の塔からの眺め
         

飛滝神社がここへ遷座したのは4世紀頃と言われる。役行者が修験道をもたらし、のち神仏習合の形になったようだ。那智大社のHPには起源は簡単にしか書かれていない。今回初めて知ったが、青岸渡寺は如意輪観音を本尊とする天台宗のお寺なのだ。補陀洛信仰や西国三十三カ所巡りの一番札所などその起源について知りたいが、またの機会とする。



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ためいき

2012年01月27日 | Weblog
佐藤春夫の叙情詩「ためいき」は『紀の国の五月なかばは』ではじまるが、まさにそれは5月半ばに発覚した。
心ある人は、その事件をまだご記憶のことと思われる。昨年の5月13日の朝日新聞を引いておく。
http://www.asahi.com/national/update/0513/OSK201105130098.html?ref=rss
新宮に土地勘がないので、ニュースの映像ではどこかわからなかったが、大社の西にあって境内からその傷跡がよく見える。
  
いやはやちょっとお粗末な顛末であった。あれから8ヶ月ほどであるが、近くに行ってみると多くの切り株から芽が吹いてきている。気温が高く太陽光入射が多い熊野である。ほんの数年でかなり回復するだろうと思う。
  


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「野ゆき山ゆき海邊ゆき」のふるさと

2012年01月25日 | Weblog
新宮は言わずと知れた文豪佐藤春夫の故郷である。丹鶴城に立って佐藤もこの風景を見たであろうと感慨に浸った。
  

本丸には佐藤の師匠与謝野鉄幹の歌碑がある。明治39年新宮に漫遊に来たときに詠んだ歌のようだ。
高く立ち
秋の熊野の
海を見て
誰ぞ涙すや
城のゆふべに

  

ついでにこの丹鶴城だが、建物は一つも残っていない。しかし石積みはとてもきれいでしっかりしている。規模は小さいが完成度の高い城だったようだ。新宮は戦略上重要な位置だったんだろう。写真は鐘の丸の石垣。
  
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神々が宿る峰

2012年01月24日 | Weblog
三山詣での日、空は曇り時に小雨が降ってきた。熊野川沿いの山々には雲が立ち上り神秘的な雰囲気を醸し出していた。雲の奥に熊野の神々の息吹を聞くようであった。

神々の峰の麓を流れる川の水は深さのためだろうか微妙に色合いが変化して、これまた神秘的であった。
    
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台風12号の爪痕

2012年01月23日 | Weblog
中辺路も台風12号の被害を受けて所々工事中であったが、熊野川沿いには、まだ生々しい災禍が残っていた。

支流からの流れ込みが激しかったようだ。水だけが流れ込むのではない、巨大な岩を伴って流れ込んでくるのである。
  

橋桁の上に流木が引っかかっている。河床からの高さは10mはあるだろう。
  

瀞峡観光ウォータージェット船乗り場が、鉄骨だけを残したままになっている。ここも河床からかなり高い位置にあるのだが・・・
  




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時を超えて

2012年01月23日 | Weblog
先週の土曜日、やっと初詣(この時期では使えないかも)ができた。熊野の三山に初詣に行き始めたのは何年前になるのか・・やはり古来より人々の祈りを受け止めてきた聖地だけあって、回を重ねるごとに有り難みが増してくる気がする。今年は時間の余裕があったので、以前から訪れたいと思っていた旧社地の大斎原に入ってみた。超巨大な鳥居をくぐって社地に入ると、何かしら霊気を感じるというか、熊野の大自然につながる心地がするのである。社殿が建っていた場所はそう広いという感じはしないのだが、ここに今話題になっている「清盛」の父と言われる白河院をはじめ、歴史を彩った人々がここに額づいたのだ。今こうして自分もそこにいる。時間を超えて彼らと繋がった気がした。
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春の兆し

2012年01月15日 | 植物
南国紀州では、しばれる北国とは違って春の訪れを知らせるサインは徐々に始まる。そのため春の喜びも漸増的か。ともかくウメは咲いたしロウバイも咲いた。
     
ウメは1月7日に印南町印南で。

     
ロウバイはここしばらくの寒さで花弁が少々傷んでいる。
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