野ゆき山ゆき海邊ゆき

日々の生活の中で出合う自然や民俗、歴史遺産を記録します。主な舞台は和歌山県中部。タイトルは佐藤春夫の「殉情詩集」より。

金星と木星のランデブー

2008年01月31日 | Weblog
今朝も6時過ぎに東の空を撮影した。昨日よりは接近している。いよいよ明日、明後日で接近交叉するのだ。明日はずいぶんと冷え込むが晴れるようなので、よく見えそうだ。
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金星と木星のランデブー

2008年01月30日 | Weblog
今朝も6時過ぎに外に出たら、東の空に2つの星が明るく輝いていた。ひとつは金星だとすぐに分かったが、もうひとつは・・・StellaTheaterで調べたら木星であった。2月1日から2日にかけて大接近するらしい。http://www.astroarts.com/alacarte/2008/200802/0201/index-j.shtml2004年11月以来3年ぶりの現象らしい。
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春遠からじ

2008年01月27日 | 植物
昨年のちょうど今日、このブログに白梅開花をアップしている。
道真公にあやかろうとした紅梅は夏に水やりを忘れ、枯らしてしまった。やはりもう少し大きな苗木を購入しないと、庭に活着しないようだ。またの機会にチャレンジしよう。
ウメ開花の便りは、ここ数日前から人づてに聞くし、職場の玄関に生けているウメが、今週初めに開花し始めた。ここ1週間ほど厳しい寒さが続いているが、やはりウメは時節を知っているのだ。
この写真は通勤路に梅畑という地名があり、そこで撮影した。
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永遠の魅力

2008年01月21日 | 歴史
云十年ぶりに鹿苑寺を拝観した。ちょうど夕日が金閣に射し込み、まさに金閣の真骨頂を目の当たりにすることができた。銀閣寺は侘び寂の原点、いわば内向きの佇まいだが、金閣はやはり敷地の広さといいその派手な姿といい、銀閣とは対極にあるように思える。明の使節の迎賓館としても使われたといわれ、外に向かう開放的な感じがする。金閣の近くの小高い丘に茶室「夕佳亭(せっかてい)」がある。江戸時代の建物だが名前の由来が、ここから見る夕日に映える金閣がことのほか佳い、からだという。侘び寂を好む茶人もキラキラの金閣の姿を愛でたようだ。
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月暈

2008年01月19日 | 色と光
今日は昼間から巻雲や巻層雲が広がって何かしら大気光学現象が見られるのではないかと思っていたが、あいにく室内で仕事をしていたので現れていたとしてもわからなかった。夜にフト空を見上げると、月は見事な暈におおわれていた。まだ巻層雲が広がっていたのだ。すぐにカメラを取り出し撮影してみたが、月だけが写っている。濃度を下げてみると暈が現れてきた。暈が現れたときには雨が近いと云われるので、天気図を見てみると大陸から大きな高気圧が張りだしていて、西に前線の欠けらも見あたらない。
月に暈で「雨降りお月さん」を想い出し歌詞を検索したが、歌詞には暈は登場しない。暈にふれたHPがあったので引用しておく。http://www.iwaki-cc.ac.jp/douyou/iwaki_douyou/ame.htm
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静寂の美

2008年01月17日 | Weblog
竜安寺の石庭は15の石を配置した枯山水である。どの角度から見ても14しか見えないという巧みな配置がされているらしい。寺のパンフレットには『石の象、石群、その集合、離散、遠近、起伏、禅的、哲学的に見る人の思想、信条によって多岐に解されている。』と書かれている。ちょっと意味がとりにくい文章である。起伏と禅的の間は『、』ではなく、助詞の『は』が入るのではないだろうか。それでもわかりにくい。
石庭の意図するところも謎めいているが、私はこの庭に静寂の美を見た。しかし庭には多くの人が見学に来ており、静寂を楽しむどころではなかった。
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吾唯足知

2008年01月16日 | Weblog
竜安寺を拝観するのは、20年ぶりくらいだろうか。ここは枯山水の名庭と「吾唯足知」(われただたるをしる)を意匠化したつくばいが見所だろう。つくばいは、じつにうまい意匠化である。水戸光圀が贈ったとされている。この言葉の由来は、横の立て札によると、佛遺教経という仏教経典らしい。立て札の説明は、この言葉は『禅の神髄』であり『茶の精神』で『真の平和の精神』で結んでいる。『真の平和の精神』はやや勇み足ように思えるが、『禅の神髄』であり『茶の精神』にはうなずける。岡倉天心の「茶の本」や鈴木大拙の「禅と日本文化」を読んでみたくなった。
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やまとは国のまほろば

2008年01月15日 | 歴史
高松塚古墳の近くから河内の方を撮影した写真であるが、この風景を見ながら脳裏に去来したのは倭建命(日本武尊)の辞世の歌である。
「やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる やまとし うるわし」
数々の戦いで満身創痍になり、故郷やまとの地を目指しながらも、思いを果たせぬまま能煩野(三重県亀山市〉で詠んだ歌といわれる。
ヤマトタケルの心中に去来したやまとのイメージはこのようなものではなかったか・・・
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いたましい姿になった高松塚古墳

2008年01月15日 | 歴史
連休の中日に奈良から京都へ抜けてみた。奈良は明日香村で石舞台と高松塚を見学した。明日香の地を訪れるのは35年ぶりになる。村は風致地区なので大きな景観の変化はないが、村の中央に自動車道が通り、きれいに整備されていた。私が訪れたときは整備され始めたばかりであたり一帯は純農村的景観であった。そこをひたすら歩いて石造物や飛鳥寺などを見てまわったものである。
高松塚古墳もその頃発見され、それだけを見学に行った。今となってはその頃の記憶は霞んでしまったが、田圃の畦を辿って発掘現場に行ったような記憶が微かに残る。極彩色の飛鳥美人が描かれた超一級の考古学的な価値を持つ古墳は、丘陵の縁に造築された小さなもので、外見は当地にもある古墳と何ら変わることのなかった。墳丘は竹で被われ入り口付近にはブルーシートがかぶせられていたように記憶する。
世紀の大発見とあって保存のために万全の体制がとられたはずであったが、結果は石室を解体するという最悪の事態になってしまった。墳丘もほとんど形をとどめぬようになり、その上には大きな建物が建てられている。起死回生のための国を挙げての大事業なのだから仕方がないとは思うものの、何とも言えない複雑な思いでしばし高松塚古墳を眺めていた。
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まるで春

2008年01月12日 | Weblog
今朝の暖かさは何なのだ。沖縄地方では夏日が続いているらしい。昼過ぎに大陸から冷たい空気が入ってきたため、一気に気温が下がったものの、地球の気温は確実に高くなっていることを思わせる出来事であった。昨日の雨による多湿化と地面の気温が低いためかあたり一面は靄っていた。写真の山の縁からはヤマアカガエルと思われる微かな鳴き声が聞こえてきた。
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