野ゆき山ゆき海邊ゆき

日々の生活の中で出合う自然や民俗、歴史遺産を記録します。主な舞台は和歌山県中部。タイトルは佐藤春夫の「殉情詩集」より。

降霜

2007年01月30日 | 植物
異常なほどの暖冬だが、今朝はよく晴れ風もなかったせいか霜が降りた。「平凡社版気象の事典」で『霜』を引いてみると、その生成には露や霧といった水滴が凍る場合と、空気中の水蒸気が昇華する場合があり、後者の場合その形は鱗状、針状、羽毛状となるようだ。写真を拡大してみると、一部水滴が凍ったような形の物もあるが、おおむね針状になっている。昇華によって形成されたようだ。
水という物質はあまりにも身近な存在でその化学構造もきわめて単純なものであるが、それがつくり出す形の世界は簡単なものではないように思う。なかなか奥が深い。
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白梅開花

2007年01月27日 | 植物
和歌山の県花ウメが開花し始めた。和歌山県ではウメといえば白梅である。梅干しの原料として最高といわれる南高梅は白梅なのである。紅梅に比べ白梅はちょっと寒々しい感じがして観賞用としては適さないように思う。しかし花のない時期にたとえ白でもたくさん咲くと心が華やぐものである。みなべ町では「一目百万、香り十里」というキャッチフレーズで観光客を呼び込んでいる。
昨年は、同じ場所で撮影したのは2月5日であった。1週間早い開花である。
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オオバン

2007年01月24日 | 動物
まだ薄暗い早朝、散歩をしているとクリークで右往左往している水鳥がいた。普通なら飛び立って逃げるところだが、逃げない。幅30mほどの間を行ったり来たりしている。一体何なのだと思い、近づくとさすがに水面を走るようにして水門の中に逃げた。あとで写真を見てみると、口に何かくわえている。甲殻類であろうか?ちょうど朝食中だったのである。
それにしても「バン」という名の由来は何なのだろう?漢和辞典で「鷭」を引いてみたが、その点についての説明はなかった。
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紅梅殿

2007年01月23日 | 植物
以前から欲しいと思っていた紅梅だが、先日別の件で入ったDIY店の店先に鉢植えの紅梅が3割引の値札を付けられ置かれていた。迷わず一鉢を買い求めた。株の高さは20cmほどだが、各枝にびっしり花芽がついていた。今がほぼ満開状態である。玄関脇に置いてあるが、朝玄関の戸を開けると馥郁とした香が漂ってくる。花が終わると地植えにし、もっと大きくしたいものだ。道真公は屋敷の庭に一本の紅梅を植え、たいそう愛でたそうだ。私もその故事にあやかりたい。
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寒中に香る

2007年01月22日 | 植物
他所様のお庭で満開を迎えようとしている。仄かに匂う芳香が何とも言えない。「花と樹の大事典」(柏書房)によるとロウバイ、スイセン、ツバキ、ウメをあわせて雪中の四花というらしい。暖冬のせいもあってかウメ以外は花盛り状態である。ツバキも昨日あたりから落花が目立ってきた。
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大寒に咲く

2007年01月21日 | 植物
8月に紹介した帯化タカサゴユリのすぐ近くにまたもや帯化ユリが現れた。http://blog.goo.ne.jp/kny0516/s/%A5%BF%A5%AB%A5%B5%A5%B4%A5%E6%A5%EA
冬であるから丈は1/2ほどだが、花は9個ついている。年末につぼみを見つけていたが、1月15日にやっと一つが開花を始め。次々にゆっくりとであるが開花している。暖冬とはいえ、やはり寒いので控えめな開花である。
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東山慈照寺

2007年01月20日 | 歴史
先週、京都に行ったおりに30数年ぶりに拝観した。椿の生け垣(銀閣寺垣)は憶えていたが、内部の庭園配置はほとんど記憶に残っていなかった。瀟洒な観音堂(銀閣)を前にしても過去の記憶が蘇ることはなかった。ただ銀閣が思いの外小さく外観が古びていることについては微かな記憶がある。
創建当時の建物は銀閣と写真の東求堂だけらしい。今回は東求堂に関心を持った。簡素な建物である。義政はそこの同仁斎という四畳半の部屋で多くの時間を過ごしたようである。そこで彼は何を考え感じていたのであろうか。政治は妻の日野富子にまかせ、ひたすら己が芸術性の追求に没頭したのであろう。その甲斐あってか、同仁斎の違い棚や明かり障子は後の日本建築に受け継がれていったようである。庭園も然りかと思っていたが、意外にも江戸時代に改修され当時とは様変わりしているようだし、有名な銀沙灘や向月台も江戸時代に加えられたようである。
東山慈照寺は『とうざんじしょうじ』とよむらしいが、この前NHKで放映されていた「名刹ガイド にっぽん美と心」では『ひがしやまじしょうじ』とよんでいた。
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清水

2007年01月16日 | 色と光
石清水八幡宮の手水舎での一コマである。竹からしたたり落ちる清水が日に輝きながら同心円をえがいている。それが美しかったのでシャッターを切った。石清水八幡宮は境内で石清水が湧くことから名付けられたようだが、この光景はそれと符合するかのように思えた。
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ほんのり紅く

2007年01月15日 | 色と光
どうも昨日の京都見物の疲れが出ているらしく、寝ぼけ眼で書いている。しかしこれを今日中にアップしなければ眠るに眠れない。(苦笑)
今朝の朝焼けは高積雲をほんのり紅く染め美しかった。こんな上品な色合いの朝焼けはあまり見たことがない。
さあ、床にはいるとするか・・・( ~◇) Zzz
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熊野若王子神社

2007年01月15日 | 歴史
昨日、久しぶりに京都見物をした。小正月でもあるので熊野地方に関係の深い熊野若王子に寄ってみた。若王子は「にゃくおうじ」とよむらしい。若一王子つまり天照大神のことらしい。熊野街道沿いに多くあった王子社の代表格だそうだ。京都左京区にある熊野若王子は1160年に後白河法皇が熊野権現を勧進して建立したといわれる。以前郷土史関係の本に目を通したさいに、王子社は京都の若王子を勧進したものであると記述されていてそう思いこんでいたが、小山靖憲著「熊野街道」(岩波新書)を読むとそうではなさそうである。つまり建立以前に書かれた藤原宗忠の日記の1109年の10月条に25カ所の王子社が記述されているらしい。
いまいちわかりにくい「王子」であるが、前掲「熊野街道」によれば『熊野権現の分身として出現した御子神』のことなのだそうだ。それにしても日本の神さんは、融通無碍というか自由自在に別の神さんや仏さんに変化するものだ。
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