川の浅瀬で静かに佇むアオサギを見ることがあるが、ついつい擬人化して瞑想にふける哲人を重ねがちだが、実際は空腹をこらえて魚の到来を待っているにすぎない。がさがさ動くとえさに気がつかれるから。アオサギ君のDNAに組み込まれた生存戦略なのだ。
今朝哲人を写そうとして、いかにも形而下学的な姿を撮ってしまった。
今朝哲人を写そうとして、いかにも形而下学的な姿を撮ってしまった。
今日の正月休みも愛犬を連れてぶらぶらお散歩。切り通しの上から赤く色づいたサネカズラの実がたくさんぶら下がっていた。この赤さといいテカリといい、魅力的な果実である。デジカメのレンズをを望遠ズームに交換し何枚かショットした。
百人一首に採られた三条の右大臣の「名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られて 来るよしもがな」の『さねかづら』はこれである。たぶん花や実ではなくおどろおどろしく絡む蔦のイメージを歌に取り込んだものと思われる。とあるサイトによれば、定家好みの歌らしい。なるほど、テイカカズラのイメージと重なってくる。
現代表記は『さねかずら』であるが当時は『さねかづら』である。おそらく平安人も我々紀州人と同じく『ず』と『づ』は混同していたのではないだろうか。
百人一首に採られた三条の右大臣の「名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られて 来るよしもがな」の『さねかづら』はこれである。たぶん花や実ではなくおどろおどろしく絡む蔦のイメージを歌に取り込んだものと思われる。とあるサイトによれば、定家好みの歌らしい。なるほど、テイカカズラのイメージと重なってくる。
現代表記は『さねかずら』であるが当時は『さねかづら』である。おそらく平安人も我々紀州人と同じく『ず』と『づ』は混同していたのではないだろうか。
今年は高気圧におおわれ、上々の元旦になった。
東空の朝やけの中、明けの明星が輝いていた。
7時22分山の端から太陽が顔を出した。地平線からは計算上7時4分だ。
西の空には月齢19.5更待月が浮かんでいた。
紀伊水道の向こう徳島の火力発電所からはき出される煙はほぼ真上に上がっていた。
薄いが氷結も見られた。
八重のサザンカの花が寒中にほんのり暖かさを感じさせてくれた。
東空の朝やけの中、明けの明星が輝いていた。
7時22分山の端から太陽が顔を出した。地平線からは計算上7時4分だ。
西の空には月齢19.5更待月が浮かんでいた。
紀伊水道の向こう徳島の火力発電所からはき出される煙はほぼ真上に上がっていた。
薄いが氷結も見られた。
八重のサザンカの花が寒中にほんのり暖かさを感じさせてくれた。