野ゆき山ゆき海邊ゆき

日々の生活の中で出合う自然や民俗、歴史遺産を記録します。主な舞台は和歌山県中部。タイトルは佐藤春夫の「殉情詩集」より。

暁闇

2014年10月25日 | 色と光
だんだん夜明けが遅くなってきた。この写真を撮った昨日24日で6時11分だ。
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朝の光

2014年10月21日 | 植物
イヌビワの葉に朝日のすがすがしい光が差し込んでいた。
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世の中の譬え

2014年10月19日 | 植物
良寛和尚の歌に「世の中は何に譬(たと)へむぬばたまの墨絵に描ける小野の白雪」とある。ヌバタマのような黒い墨で描く白い雪。何となくわかるような気がするが・・・
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台風の置き土産?

2014年10月14日 | Weblog
心配した台風19号が過ぎ去った。当初中心気圧が900hPaと超台風として恐れられたが、北上するにつれて勢力が衰え並の台風となって日本列島を縦断した。まずは胸をなで下ろした。

台風のあとには何か変わった現象が見られるものだが、今回はサギが40羽ほど田んぼに集まっていた。コサギやチュウサギ、アマサギも?の混合集団であった。台風に巻き込まれた集団なのか?台風を避けるための集団なのだろうか?
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代萩

2014年10月13日 | 植物
セイタカアワダチソウの別名なのだそうだ。切り花で萩の代用にすることかららしい。要注意外来生物に指定され日本の侵略種ワースト100にも選ばれて嫌われものかと思っていたが、そういう面ばかりではないようだ。まぁ、群生している様子も見ようによっては美しいか・・・


群生せずともこうして並んでいる様もちょっぴりかわいいかな。

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狂い咲き

2014年10月12日 | 植物
ヒガンバナの季節が終わって2週間。あちこちから葉が立ちはじめたが、それに釣られるように幾本もの花が咲きだした。今までも遅咲きはあったが葉が本格的に出始めてまた花が咲くのは狂い咲きという他ないだろう。
                
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皆既月食

2014年10月08日 | Weblog
3年ぶりらしいが、あいにく当地は雲に覆われかけ始めは見えなかった。皆既食状態になったときに見ることができた。その後雲で見え隠れしたが、雲越しに撮影した。さすが皆既食の時は暗いので三脚を立てて撮影しても少々ぶれてしまった。赤い光にどんより光る月は神秘的である。




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秋たけなわ

2014年10月05日 | 植物
秋たけなわにしては気温が高いのだが・・
近くにある林の中を抜ける道に栗がたくさん落ちていた。落ちたてなのだろう、いがの中の栗は虫食いは全くなかった。写真を撮っている間にも毬栗が落下してきた。


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日本の名城 大阪城

2014年10月05日 | 歴史
大阪のシンボルといえば通天閣が思い浮かぶ。商都大阪と城郭はちょっとイメージがそぐわない感があり、名古屋城や姫路城、熊本城のように都市の中心的存在ではないように思っているが、少なくとも私にとって、規模や設計者、客観的評価(日本百名城)でからの名城度ではベスト3に入る。戦国時代の覇者秀吉によって築造された大坂城は日本の城郭史では看過できない存在なのだ。残念ながら大坂の陣で敗退して徳川氏によって徹底的に改造されて当時の面影はほとんど残っていないが、土盛りして再築造しているので規模はさらに大きくなっているようだ。掘り割りは基本的には同じか。秀吉の影響を排除することと西国への睨みで重要な城であったことは間違いない。しかし幕末にはあっけなく落城(放棄)している。それらが大阪城の存在感の薄さにも影響しているかも知れない。

通天閣にはかなわないが、準シンボル的な位置にある大阪城天守は、昭和の初めに徳川時代の石垣の上に秀吉時代の天守が鉄骨で再建された。そのため羊頭狗肉の感がぬぐいきれず姫路城や熊本城などのように個性がいまいち感じられない。

ともかくこの鉄筋づくりの天守であるが、近くで見ると実に重量感がある。でも名古屋城のそれにはちょっと負けるかな・・


大阪城本丸には大坂の陣400年のイベントの大きな立て看板がたてられ、秀吉時代の大坂城と徳川時代の大坂城が比較されている。


天守の東には広大な芝地がある。ここには上水道の貯水タンクが埋設されている。ここに秀吉時代の天守があって、その天守台は今もきれいに遺されているのだそうだ。


天守の左(東)が貯水タンク。土盛りされている。
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石山本願寺の名残

2014年10月02日 | 歴史
ここは上町大地の北端。かつてこの地には石山本願寺、秀吉の大坂城が築かれ、大阪の陣以降は徳川が大改修をして現在の縄張りとなった。大阪城本丸の北側に極楽橋という城の名称にはそぐわない名の橋が架かっている。おそらくは南無阿弥陀仏を唱えて極楽往生を祈った門徒ゆかりの本願寺時代の名残なのであろう。現在城内には本願寺の遺跡はほとんど残っていない。秀吉時代の遺構もほとんど土中なのだ。
当地には浄土真宗の寺が多いが、石山本願寺の布教によるものだ。中世に当地を支配した湯河氏も石山本願寺と強い関係を持っていたし、雑賀衆はなおのことだった。
                 

http://www.geocities.jp/kitamejirou/new_page_13.htm
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