ユリ科のHemerocallis(ワスレグサ)属に分類される。ユリ科は美人の宝庫、特にユリ科であるが、このワスレグサ属は微妙だ。ユウスゲやキスゲは間違いなく美人の範囲に入るが、ワスレグサはどうだろう・・・?このノカンゾウはユウスゲなどに比べるとがっちりした感じでちょっと微妙。第一「ノカンゾウ」なんて一昔前の男性の名前を連想させるではないか。
たぶんアサヒナカワトンボだと思う。池畔の石の上に留まっていた。よくみれば背面や頭が金色に輝いていたので、マクロレンズに付け替え黄金マスクに迫ってみた。写真では、目で見たような輝きは抑え気味になっている。ともかく、これやタマムシやチョウトンボの発する金属光沢はなかなか魅力的である。
今年の梅雨は空梅雨かと思われるほど、五月晴れがよく続く。薫風五月もクライマックス。唱歌・童謡のジャンルに入る「夏は来ぬ」の一番「卯の花の におうかきねに 時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて しのび音もらす 夏は来ぬ」にピッタリの時季である。
卯の花、ウツギは当地海岸沿いには自生しない。潮風が届かない海岸から数km入った谷間に多く自生する。この季節に山間に入ることはなかったが、つい最近用事で印南川沿い、切目川沿いをのぼる機会があり、ウツギの繚乱状態を目にした。こんなに自生していたのかと今更ながら驚いた。
今日少し時間があったので印南川の支流奈良井川を遡ったが、この木は、ウツギとしては大木クラスに入るではないだろうか。
道路の法面の上にも大きな株があった。
卯の花、ウツギは当地海岸沿いには自生しない。潮風が届かない海岸から数km入った谷間に多く自生する。この季節に山間に入ることはなかったが、つい最近用事で印南川沿い、切目川沿いをのぼる機会があり、ウツギの繚乱状態を目にした。こんなに自生していたのかと今更ながら驚いた。
今日少し時間があったので印南川の支流奈良井川を遡ったが、この木は、ウツギとしては大木クラスに入るではないだろうか。
道路の法面の上にも大きな株があった。
五月晴れが続く。日中地上を照らした太陽は、西に傾いたときも勢い余って空の半分を焼いて沈んでゆく。メラメラではなく、ほんのりと焼くのだが、ついつい見とれてしまうスケールの大きさだ。一年中で夕焼けがもっとも美しい時期ではないだろうか。
どの生物にも変異があるように、シランの花も時々白花が出現するようだ。しかも葉が斑入りになるようだ。花色遺伝子と斑に関する遺伝子が連鎖しているのだろうか・・?
私が見たのは、群生するシランの端にぽつんとたつ2株だった。もともと紫のシランだけだったが種から育った株の中に白い花をつくる花色遺伝子の組み合わせができたのだろう。
私が見たのは、群生するシランの端にぽつんとたつ2株だった。もともと紫のシランだけだったが種から育った株の中に白い花をつくる花色遺伝子の組み合わせができたのだろう。
昨日は、雨で大気の塵が落とされ五月の日射しが輝きを増した。爽やかな朝の中散歩を楽しんだ。
「五月の光」とでも名付けようか。
定番のスイカズラだ。
ウケザキオオヤマレンゲ。オオヤマレンゲとホオノキの交雑種といわれる。良い香りだ。お寺さんに植えられている。
これもこの季節定番のシラン。
このクモの名は、はて何だったか?
ついでにノビルも。
「五月の光」とでも名付けようか。
定番のスイカズラだ。
ウケザキオオヤマレンゲ。オオヤマレンゲとホオノキの交雑種といわれる。良い香りだ。お寺さんに植えられている。
これもこの季節定番のシラン。
このクモの名は、はて何だったか?
ついでにノビルも。
つい最近、上富安に用事があって行った際にクスの巨木のそばを通った。クスの巨木は当地ではそう珍しいものでないので通り過ぎようとしたら、その敷地に傾いた石碑が目についた。
屋敷林なんか当地にあったのか・・・屋敷林といっても屋敷の外にある。ともかく中に入らせてもらった。いやはやクスとクロガネモチの巨木は見事である。
高さは30mほどあるだろうか。正面がクスで左の少し低い木がクロガネモチ。
巨木の縁を富安川が流れている。
クスの巨木。直径は2mはあるだろう。
クロガネモチの巨木。クロガネモチもこんなに大きくなるのだ。
屋敷の土塀石垣と屋敷林の組み合わせもなかなか良い。
石碑にはエノキとあるが、エノキはなかった。アラカシ、タイミンタチバナ、タブ、ヤブツバキ、ヤマモモなどが林の中にあった。写真はタブ。小さな花がついているがまだ開花していない。
遠くから見てもよく目立つ。
御坊市のHPに紹介されている。
http://www.city.gobo.wakayama.jp/gobo/1120ka/bunkazai/16.html
屋敷林なんか当地にあったのか・・・屋敷林といっても屋敷の外にある。ともかく中に入らせてもらった。いやはやクスとクロガネモチの巨木は見事である。
高さは30mほどあるだろうか。正面がクスで左の少し低い木がクロガネモチ。
巨木の縁を富安川が流れている。
クスの巨木。直径は2mはあるだろう。
クロガネモチの巨木。クロガネモチもこんなに大きくなるのだ。
屋敷の土塀石垣と屋敷林の組み合わせもなかなか良い。
石碑にはエノキとあるが、エノキはなかった。アラカシ、タイミンタチバナ、タブ、ヤブツバキ、ヤマモモなどが林の中にあった。写真はタブ。小さな花がついているがまだ開花していない。
遠くから見てもよく目立つ。
御坊市のHPに紹介されている。
http://www.city.gobo.wakayama.jp/gobo/1120ka/bunkazai/16.html
これは文献で調べたのではないが、「くそうざか」と読むらしい。父親から聞いだけで、実際にここと教えられたわけではないが、他の方の話から推してここだと思う。この坂を越えた谷の口が九海士の里でこの坂に海士の舟が九艘置かれていたという伝説から名付けられたようだ。九艘の「九」は九海士の「九」と通じているように思う。奈良時代はまだ御坊の沖積平野は形成途中でこのあたりまで海が迫ってきていたのだろう。八幡山の裏から富安に抜ける道で今は素っ気ない緩やかな坂道だが、今から三十年ほど前には自転車、徒歩のみで通れる細い道であったと記憶する。
丘の斜面にそった緩やかなカーブが美しい道であった。その頃は八幡山の裏には住宅地がなく辺り一帯田園地帯であった。道成寺の三重の塔との組み合わせが大和の古寺巡礼道と重なる美しい光景であったと記憶する。写真を撮っておけばよかったと後悔しきりである。当時は日本国中高度経済成長の夢にうなされ、古道などは顧みられなかった。宅地開発→自動車道の敷設はごく当たり前の選択であったとと思うが、今あの道が残されていれば古道歩きの人にどれほど喜ばれるだろうか。貴重な観光資源となったと思う。
九海士の里はこの坂を越えて左に折れて少しくだった所にあったと伝えられる。
丘の斜面にそった緩やかなカーブが美しい道であった。その頃は八幡山の裏には住宅地がなく辺り一帯田園地帯であった。道成寺の三重の塔との組み合わせが大和の古寺巡礼道と重なる美しい光景であったと記憶する。写真を撮っておけばよかったと後悔しきりである。当時は日本国中高度経済成長の夢にうなされ、古道などは顧みられなかった。宅地開発→自動車道の敷設はごく当たり前の選択であったとと思うが、今あの道が残されていれば古道歩きの人にどれほど喜ばれるだろうか。貴重な観光資源となったと思う。
九海士の里はこの坂を越えて左に折れて少しくだった所にあったと伝えられる。