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映画「日本でいちばん長い夏」を見た

2017年10月28日 | 丸ちゃんの私的時間
雨の休日。自宅で風呂敷残業の校正仕事と自治会仕事をしながら、その合間に撮り溜めの映画を見た。7年前の半藤一利氏原作の「日本でいちばん長い夏」。

これは昭和38年に文藝春秋に掲載された半藤氏企画の座談会「日本でいちばん長い夏」を映画で再現したもので、座談会は戦争終結前後のことを思い出し語り合うといった感じの内容だ。

出席者は当時の政府中枢にいた人、外務省や外交官陸軍や海軍の幹部、中国や東南アジアの戦地にいた人、沖縄戦の従軍看護婦、報道関係者、外国人捕虜、国内政治犯など全員が戦争体験者で、映画はその座談会を再現ドラマにするといった形式の文士劇スタイルの映画となっており、戦時中の記録映像を交えている。実際に俳優を演じたことのないジャーナリストや作家、アニメ監督、漫画家など現代の文化人、知識人などが座談会出席者の役で出演している。

戦後まだ13年しか経っていない時点での座談会なので、それぞれの発言にまだ戦時中の状況を引きずる重い現実感がありとても引き込まれた。昭和38年といえば東京オリンピックの前年で、日本は朝鮮戦争特需を経て高度経済成長の真っ最中。この辺りを境にして戦争はもう過去のことという思いが国民の中に広がりつつあり、そのことに危機感を抱いての企画だったのだと思う。

座談会では天皇の戦争責任とか、加害責任とかいうことには一切触れられていないし、話題にもなっていない。まあそこは文藝春秋という雑誌のことでもあり、当時の時代状況の反映なのか、あるいはまた参加者の多くが当時の戦争遂行者側にいた人たちやその部下たちということからくる限界なのかもしれないが、でもそれぞれが語る発言からは、もう二度とこんな戦争はごめんだという思いは強く感じられた。
座談会出席者たちがその後の人生を、平和への貢献、あるいは戦争への反省といったことを基に生きてきたように思えたのが何よりいい。

座談会には28人が出席していたが、この映画が作られた2010年時点での座談会出席者の生存者はわずか4人だったそうだ。1963年に座談会が行われ、2010年にその再現映画が作られ、そして今は2017年。この時の流れの中で、日本の戦争体験者数は人口の10%以下になり、戦争を知らない世代の政権がナショナリズムと排外主義を叫び、あの戦争への反省から生まれた日本国憲法の平和条項改憲を掲げる時代になってしまった。

半藤一利氏もこんな今の状況を憂う一人だが、かつてこの座談会に出席した人たちがもし今生きていれば、どんな気持ちを語ってくれるのだろうか。ぜひともインタビューしてみたい。

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