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年の瀬 雑感~本屋の窓から② (掲載遅くなりすみません)

2008年01月07日 | 本屋の窓から

 師走の風はいつになく冷たい。出版社の倒産相次ぎ、代金支払済の委託商品が返品不能で思わぬ損失です。緊褌一番、歳末商戦へいざ出陣の出鼻を挫かれました。
 今年も、世の中いろいろありましたナ。国乱れて民苦しみ、嘘と騙しの不祥事の続発。これが安倍の「美しい国」なのか。極めは、福田・小沢の密室会談。渡辺と中曽根に手玉にとられた小沢が連立に合意。思わぬ党内反対に大むくれ。プッツンして代表辞任だ。撤回だ。続投だと1人で騒いで転んで醜態をさらした。「辞めないで」とすがる民主の無節操。みっともないよ。♪『だから言ったじゃないの』。自民も民主も同じ穴の狢と狸。見分けがつかん。憲法改悪どちらも同じ。今年を漢字1字で表せば「騙」(だまし・たかり)―本屋の窓子選―。

 年末の景気づけに、東京は11月の「酉の市」があり、「歳の市」が続きます。高村光雲の懐古談に「熊手を拵えて売るはなし」があります。「酉の市」の目玉は「熊手」です。関西では、正月の10日の「戎祭」の「福笹」でしょうか。どちらも商売繁昌の縁起ものです。熊手は大・中・小など大きさや飾りに趣向を凝らした仕掛けで値段もピンからキリまで。熊手は分業で、飾り物のおかめ面、大根じめ、積み俵は三河島の農家から仕入れる。熊手の竹は、「酉の市」直前に青竹を切り出して使う。家中の者が夜業して「酉の市」に間に合わせたといいます。

 「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯黒溝に灯火うつる三階の騒ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行来にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前と名は仏くさけれど、さりとは陽気の町と住みたる人の申き、三嶋神社の角を曲がりてより是れぞと見ゆる大廈(いえ)もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長屋、商ひはかつふつ利かぬ処とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形に紙を切りなして、胡粉ぬりくり彩色のある田楽みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし、一軒ならず二軒ならず、朝日に干して夕日に仕舞ふ手当てことごとしく、一家内これにかかりて夫れは何ぞと問ふに、知らずや霜月酉の日例の神社に欲深様のかつぎ給ふ是れぞ熊手の下ごしらへといふ」
 井原西鶴の文章かと思う名文ですが、樋口一葉の「たけくらべ」の冒頭の一節です。近くの鷲神社の「酉の市」で売られる熊手の部品作りの内職で生計をたてている庶民の生活風景を描いています。
 『たけくらべ』(明28年発表)は、明治中庸、吉原遊郭の周辺の町、大音寺前で一葉が駄菓子屋を開いていた頃、見聞した町の風俗や生活を、大黒屋(遊女屋)の美登利、龍華寺の信如、田中屋(金貸)の正太郎を中心にした子どもたちを通じて描いています。思春期にさしかかった淡い恋情は哀切です。「厭や厭や、大人に成るは厭な事」。大人になれば遊女として生きていかねばならない美登利の嘆きの声は、また一葉のこの社会への抗議の声であろう。

 私たち年配者は、思春期の頃、人生や社会について、明治の作家からも多くのものを学んでいます。いまは明治の作家のものは古典扱いで、文庫版も本屋の棚から消えています。
 日本人の日常の生活様式が大きく変わったのは、映画「三丁目の夕日」の昭和30年代前半。食卓の変遷をみても、昔は囲炉裏があり、家族の席は決まっていた。長屋、アパートの時代に卓袱台になり、父親の席もなくなり権威も薄らぎました。団地生活になるとテーブルに代わりました。
 古いものは新しいものに代えられる運命にあるが「教育基本法」や「憲法」を古いという奴ほど、保守的で反動的で権力信奉の単細胞野郎だ。こんな奴こそ消えてなくなれ! 今年1年、ありがとうございました。(尾)

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