恒例の高石ともや年忘れコンサートに行ってきました。会場は先月オープンしたばかりの旧サンケーホール跡地にできた33階建ブリーゼタワーの7階、サンケイホールブリーゼです。えっ、これがあのサンケイホールかと驚いてしまうような綺麗なホールに生まれ変わっていました。席はB-26、前から2列目、右の端っこで、余りいい場所ではなかったのですが、まあ真近に演奏が見れる席でした。
第1部はドラムス担当のマーティ・プレイシーさんとの2人舞台。1966年9月、高石さんが初めてギターで5曲歌ったのがこのサンケーホールで、その時の舞台がその後の人生を決定づけたそうです。主催は大阪労音「フォーク愛好会」でした。あれから42年、3年前に一度消えて新たになったサンケイホールで再出発です。オープニングの5曲はその時に歌った曲でした。「年少かごの鳥」は少年院に送られた少年の心境を綴った歌、「学校で何を習ったの」はアメリカのフォークシンガー、トム・パクストンさんの曲、「ベトナムの空」は日高義さんが作った曲で私も学生時代によく歌いました。そして「のんき節」(添田唖蝉坊)に「思いでの赤いヤッケ」。「赤いヤッケ」は高石さんがあるスキー場の人から教えてもらった曲だそうで、赤倉スキー場でスキー教室の生徒たちであった第一勧業銀行のコーラス部の女性たちに歌ったことがあると思い出を語りました。
ここまではクラシックギターで伴奏。続いて手にしたギターはエピフォンギターというギブソンやマーチンの3分の1の値段のギターですが、ちょっと枯れた音が激しいリズムを刻む曲には御似合いです。「風に吹かれて」(ボブ・ディラン)、「時代は変わる」(ボブ・ディラン)、「バスのうしろ」(フリーダム・シンガーズ)、「明日なき世界」(P.F.スローン)。さらにギターをマーチンに変えたところでマーティ・プレイシーさんが高石さんに聞かれて自身の前職を語りました。米軍の空中給油機に乗務していたそうで「そんな仕事より平和の下で音楽をする方がよっぽど素晴らしい」と話し、会場から拍手が沸き起こりました。第1部の終わりに向けて歌った曲は「グヮンタナメラ」(キューバ民謡)、「八丈太鼓ばやし」(八丈島民謡)、「死んだ男の残したものは」(谷川俊太郎、武満徹)、「マイ ランブリン ボーイ」(トム・パクストン)の4曲。歌い語られた反戦フォークソングの数々。それはまさに70年代、いや、2008年末の反戦フォーク集会と表現してもいい内容のもので、そのような「集会」が最新の設備を備えるホールで行われた瞬間に立ち会えたことに嬉しくなりました。