まいど、日本機関紙出版です。

〒553-0006 大阪市福島区吉野3-2-35
 TEL06-6465-1254 FAX06-6465-1255 

関電の厳しい圧力の下、原発反対を掲げて町議会議員に当選!  美浜原発見学ルポ【その2】

2011年07月01日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 原発震災以降、あちこちからの要請で出かけて行き、美浜原発について話す機会が増えた松下照幸さん。先週末も大阪の学習会に出かけるなど、多忙な生活をされている。実は今回の訪問も1カ月以上前にようやく約束を取り付けた貴重な時間だった。


素敵な森の中の喫茶店でインタビュー

 美浜原発の誘致話が出てきたのは松下さんが高校時代の頃のこと。原発ができれば半島の獣道のような道はきれいになるし、電気代もタダ同然に安くなるというように、悪い話は何も出ず、いいことずくめの宣伝が広がり美浜町は町を挙げて川西町(現在は福井市に編入)と誘致合戦を展開、そして誘致が決まった。実は隣りの小浜市でも誘致運動があったが、反対運動のほうが勝った結果、現在、小浜市には原発は存在していない。

 高校を出た松下さんは町を出て電電公社に就職、その後しばらくして故郷に赴任してきた。職業病裁判を支援することがご自身の生き方を見直すこととなり、会社の望むレールに乗らない人生を歩むようになったことが、原発への関心を抱くきっかっけとなったという。


美浜原発に反対した松下照幸元町議

「最初はいい加減な反原発運動への関わりでしたが、スリーマイル島事故、さらにチェルノブイリ事故が起きたことで、このままでは私たちの未来が危ないという思いを強く抱き、それからは深く取り組むようになりました」

 松下さんが議員になったのは「もんじゅ」の事故の後、このまま放っておいたら殺される、そんな危機感が募ったからだ。2003年3月、松下さんは町議会議員選挙に出馬を決意する。しかし当然ながら選挙に立候補するにはたいへんな圧力がかかった。それは松下さん個人に対してだけではなく、選挙活動を支える後援会員にも圧力がかかり、後援会自体が分解しそうになるという危機的状況になったという。後援会事務所に来る人を関電のOBたちが昼夜にかかわらずチェックするなど、厳しい締め付けが有権者たちに行なわれていた。

 このままではいけない。圧力がかかっていることをオープンにしたほうが良いのではと、弁護士も交えて相談、記者会見をすることが決まった。しかしその前に、関電に抗議をしたほうが良いのではないかという声が上がり、そうしたところ、ピタッと圧力が収まったという。

「選挙期間は5日間でしたが、3日間ぐらいは地域を回っても誰も相手にしてくれないというような状態でした。でもその内にこの地域の特に年配の女性たちが、内職の職場などで『なんで関電はこんなこんなことをするのか』というような疑問の声が出始めて、選挙4日目ぐらいから地域の人たちが表に出てくれるようになり、ガラッと選挙の様子が変わっていき、その結果とても感動的な選挙になりました」

 2004年8月9日、美浜原発3号機で死傷者11人を出すという過去最悪の事故が起きる。松下議員の関電との激しいやりとりの様子が町民に知れ渡るに従って、原発に対する危機感が広がっていく。

「原発自身がトラブルを起こして、自らの危険性を告発をしている。そういうように思えました。僕たちはただそれを解説することしか出来ないのですが」
 
「村生き生き瓦版」という議会報告を30回発行、たくさんの人が熱心に読んでくれ、手紙や電話で激励や感想が寄せられるようになり、その結果、町の雰囲気は松下さんが議員になる以前とはずいぶん変化していった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月30日(木)のつぶやき

2011年07月01日 | 丸ちゃんの私的時間

09:23 from Mobile Web
おはようございます。少しパラパラしたけど、今日も暑くなりそう。
09:25 from Mobile Web
うん、確かに先日の映像11にバッチリ映ってる! 自分はこういう顔をしているのか…。
13:47 from web (Re: @walumono0328
@walumono0328 めちゃおかしい。笑ってしまいました(笑)
13:56 from web
貧困なる昼ご飯、終了。この暑い中、外に食べに行く気がしない。
by kikanshibooks on Twitter

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする