ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

お団子

2006-08-02 | なんとなく民俗学?
‘まくら団子’と言うものがある。

亡くなった人の枕元に供えるのだ。

一膳飯と同様、ご馳走だから、起きて来て食べなよ、
と 死者を呼び覚ます行為のようだ。

この団子の、数とか 飾り方とかも
地方により、家によって
やりかたはいろいろあるらしい。

もっとも
北海道出身のハリの先生曰く、

「私のところは
 浄土真宗だから、
 なあぁぁんにもありません。

 団子もありませんでしたよ。」

とのことなので
団子は供えない、という地方や宗教・宗派もあるらしい。


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画像は 昨日作った白玉。

夏休み中の息子とふたりで食べた。

夏に多用するガラス器は
私の場合、パイレックス(笑)。

食べ始める前に写真撮影、
いやその前に洗い物、と思っていたら

息子が私の容器のなかに
ひょいとクロモジを投げ入れたので
そのまま撮影。

流しの前の私のところに わざわざやってきて
「うまい。」

あんた、本当に、甘いもの、好きねえ。
 
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa


団子を作ったことはある。

いや、小さい頃は 
もっぱら 近所のおばあさんが寺へ持ってきてくれた
あんこのお団子を食べるばかり。

当地へ来て、
真っ白な、何もつけない、味もそっけもないお団子を
お墓に供える、と知った。

イバラキの実家のほうでは やっていなかったと思うが。

そして
その 味もそっけもないお団子が
娘は大好きだった。

なんと、亭主も好きだった。



ご葬儀や ご法事の後で お墓参りをすると
参列した人に お団子がひとつづつ配られる。

お墓にも供えられる。

あるいは、お地蔵様とか 観音様とかにも供えられる。

そして みな 同じものを食べるのだ。

亡くなった人と 生きる我らとが
同じものを食べる、これが大事な儀式なのだ、
と言う人もいる。

そのお団子が大好きで、
娘などは 幼い頃、
友達のお家がみんなでお墓参りに行くのに出会った時に
あとをついていって
お団子をもらって食べた、
と嬉しそうに報告してくれたこともある。



我が家では お墓参りはしない。

年に一度帰省する亭主の実家にはお墓がないし
私の実家には・・・あまり帰省しないからだ。

それでも、というか それだからこそ、
そんなにお団子が好きなら、と

団子の粉を買って来て
お彼岸には お団子を作りましょう、と思っていたら

お彼岸の中日というのは 当然のことながら休日で
てんてこ舞いの忙しさ、

こんなバカなことを なんで私は考えたろう、
と思いながら作り始めたお団子を

「作り方」を読みながら悪戦苦闘、

最後にはそれでも「おいしい」と微笑む娘の笑顔に
・・・・・・疲れは吹っ飛びもせず、
もう絶対作るもんか、とその時は思ったのだった。



ご法事の時にたまにいただく、ひとつかふたつのお団子に
これもたまに買ってくる串に刺した甘辛のお団子を思い出し、
食べたくなってタレを作るが、

甘み、とろみ、どうもイマイチこれだ!というのは作れない。



義母に供えるお団子を
いよいよ私が作る日がきた。

これも先日 嫁さんふたりに
私の実家の義兄までが
(たぶん姉に言われて)口を出してきて
何個作るか、ああだ、こうだ、
とてんやわんやした。

結局、団子の粉の袋に書いてあった通りに
6個作った。

お皿の上に 五つ 丸く載せて、
最後のひとつは その上に載せる。

大きめがいいらしい、と
頑張って大きく作ったが
頭にあるのは ひと串4つの甘辛団子やあんこ団子。

後に斎場で見たお団子は
ゴルフボール大で、びっくりした。

義妹と
「こおぉんなに大きいんだね!」
と語り合ったことだった。