お清めも2回あった。
お通夜と、葬儀と。
やはり記憶がごっちゃになっていて
どちらのことだったか あまり定かではない。
そんななか、
お通夜のことだった、とはっきり思い出せるのは
義母の友達との挨拶だった。
通夜振る舞いの席で
私は長男の嫁、と自分に言い聞かせながら
おいでくださった方々にお酌をしながら
挨拶をしてまわった。
いろんな人が来ていた。
私たちの結婚式以来の親戚も多かった。
そんな人の顔は まったく覚えていない、
まるっきり初対面のよう。
通夜・葬儀と二日も一緒にいたのだから、
今は覚えているだろう、と聞かれても
う~~ん、と首をひねってしまう(汗)。
けれど
義母の友達の顔は、もう忘れない。
私がビールやウーロン茶の瓶を持って行くと
「私たちはね。」
と向こうから話しかけてきてくれた。
「お義母さんとは 小学校からの仲間でね。」
「女学校も、ずっと、一緒だったのよ。」
ああ、知ってる。
よくお名前を伺っていた。
義父の口からも 名前は度々出てくる、
義母の友達。
幼馴染で、その後もずっと友達。
イバラキの田舎の城下町の中心地(笑)で生まれ、育ち、
そのまま実家の跡を取ったり 近場に嫁いだりして
昔の三人娘そのままに
オババになってからも にぎやかに一緒に遊んでいた。
そう、スミちゃんにハナちゃん。
義母が二階の窓から竹馬に乗り出したという子どもの頃からの、
文字通り、竹馬の友(笑)。
義父も この人たちは特別扱いで、
一緒に義母の見舞いに来てもらったりしている。
お転婆な義母の友達らしく、
このおばあさんたちも
若々しく、元気で 生き生きしてて、
そしてにぎやかだ。
そのにぎやかさを眺めながら
不思議な気分になった。
ああ、
ここに義母がいれば、
同じように笑いさざめき合っていたはず。
というか、一番にぎやかだったはずなのに。
そこに義母がいないことの、不思議。
後日 ハナちゃんから昔の写真を借りてきた亭主は
その写真をコピーにとって義父に渡した。
(どこまでもアナログな亭主だ。
スキャナーというものを手に入れるチャンスだったのに。。)
その写真を見ると
小学校や女学校の同級生、というだけではなく、
スミちゃんとハナちゃんは義母と一緒に
女学校を出た後、
編み物学校に行っている。
(義母はその後 一念発起、
別の学校に入り、資格をとって 公務員となる。)
そして 昨日撮ったばかりの白黒写真のように
素晴らしい保存状態の その写真を見ると、
小さいと思っていた義母は
伸びやかに四肢を伸ばした
大柄な若い女性で、
小さいと思っていた目は
切れ長で大きく、
なかなかに華やかな面立ちの女性だった。
長男の嫁の活躍のほどはわからなかったが、
終始なごやかにお清めは終わり、
義弟一家は 実家に帰った。
斎場にも泊まれる、とのことだったので
義父と我が亭主と子どもたちは
そこに泊まることにした。
いつだったか、
長男の嫁は明日の着物の着付けがあるので、と
早々に実家に帰ってしまった、という話を読んで
「んまあ。」
と思った記憶があったが
なんと それとそっくりおんなじ事を
私がすることになろうとは。
あらかた来客が帰ったところで、
私は姉夫婦と一緒に 着物を持って
実家に帰った。
あってはならないことをしているような気分。
でも助かった。
寒くて風邪をひきそうなこの時期に
ドライヤーのない亭主の実家で
髪を洗わずに何日も過ごしていたので。
姉の家のお風呂を使わせてもらい、
バスタオルやドライヤーを貸してもらい、
庫裏の母の部屋で ふたりで眠る。
のんびりゆっくりの一晩を過ごした。
お通夜と、葬儀と。
やはり記憶がごっちゃになっていて
どちらのことだったか あまり定かではない。
そんななか、
お通夜のことだった、とはっきり思い出せるのは
義母の友達との挨拶だった。
通夜振る舞いの席で
私は長男の嫁、と自分に言い聞かせながら
おいでくださった方々にお酌をしながら
挨拶をしてまわった。
いろんな人が来ていた。
私たちの結婚式以来の親戚も多かった。
そんな人の顔は まったく覚えていない、
まるっきり初対面のよう。
通夜・葬儀と二日も一緒にいたのだから、
今は覚えているだろう、と聞かれても
う~~ん、と首をひねってしまう(汗)。
けれど
義母の友達の顔は、もう忘れない。
私がビールやウーロン茶の瓶を持って行くと
「私たちはね。」
と向こうから話しかけてきてくれた。
「お義母さんとは 小学校からの仲間でね。」
「女学校も、ずっと、一緒だったのよ。」
ああ、知ってる。
よくお名前を伺っていた。
義父の口からも 名前は度々出てくる、
義母の友達。
幼馴染で、その後もずっと友達。
イバラキの田舎の城下町の中心地(笑)で生まれ、育ち、
そのまま実家の跡を取ったり 近場に嫁いだりして
昔の三人娘そのままに
オババになってからも にぎやかに一緒に遊んでいた。
そう、スミちゃんにハナちゃん。
義母が二階の窓から竹馬に乗り出したという子どもの頃からの、
文字通り、竹馬の友(笑)。
義父も この人たちは特別扱いで、
一緒に義母の見舞いに来てもらったりしている。
お転婆な義母の友達らしく、
このおばあさんたちも
若々しく、元気で 生き生きしてて、
そしてにぎやかだ。
そのにぎやかさを眺めながら
不思議な気分になった。
ああ、
ここに義母がいれば、
同じように笑いさざめき合っていたはず。
というか、一番にぎやかだったはずなのに。
そこに義母がいないことの、不思議。
後日 ハナちゃんから昔の写真を借りてきた亭主は
その写真をコピーにとって義父に渡した。
(どこまでもアナログな亭主だ。
スキャナーというものを手に入れるチャンスだったのに。。)
その写真を見ると
小学校や女学校の同級生、というだけではなく、
スミちゃんとハナちゃんは義母と一緒に
女学校を出た後、
編み物学校に行っている。
(義母はその後 一念発起、
別の学校に入り、資格をとって 公務員となる。)
そして 昨日撮ったばかりの白黒写真のように
素晴らしい保存状態の その写真を見ると、
小さいと思っていた義母は
伸びやかに四肢を伸ばした
大柄な若い女性で、
小さいと思っていた目は
切れ長で大きく、
なかなかに華やかな面立ちの女性だった。
長男の嫁の活躍のほどはわからなかったが、
終始なごやかにお清めは終わり、
義弟一家は 実家に帰った。
斎場にも泊まれる、とのことだったので
義父と我が亭主と子どもたちは
そこに泊まることにした。
いつだったか、
長男の嫁は明日の着物の着付けがあるので、と
早々に実家に帰ってしまった、という話を読んで
「んまあ。」
と思った記憶があったが
なんと それとそっくりおんなじ事を
私がすることになろうとは。
あらかた来客が帰ったところで、
私は姉夫婦と一緒に 着物を持って
実家に帰った。
あってはならないことをしているような気分。
でも助かった。
寒くて風邪をひきそうなこの時期に
ドライヤーのない亭主の実家で
髪を洗わずに何日も過ごしていたので。
姉の家のお風呂を使わせてもらい、
バスタオルやドライヤーを貸してもらい、
庫裏の母の部屋で ふたりで眠る。
のんびりゆっくりの一晩を過ごした。