ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

読経(どきょう)

2006-08-27 | なんとなく仏教?
他の人たちが集まってくる前に、
姉夫婦と一緒に
なんとか早めに葬儀場に着いた。

喪服を着て。

そうして葬儀が始まったわけだが
今の私の頭の中では
記憶が吹き飛んでいて
覚えていない。

次に覚えているのは
葬儀が始まって
落ち着いた時のこと。

私は最前列の 義父、亭主の次に並んで座った。

私の隣には我が家の子どもたち。

すぐ後ろの列には 義弟一家の四人が座った。

すべて、椅子席。



この、「椅子」というのは、
ひじょーーに、大事。

実家の父の本葬儀の時には
義兄の新住職就任儀式(晋山式;しんざんしき、と言う)も兼ねていたので
やたらに長く、
実家の本堂に 2時間はたっぷり座っていた。

しかしこの時
私は足首をひどく捻挫してしまっており、
正座椅子を使っていたので助かったのだった。

しびれてしまった足をぐずぐずさせるのも
みっともないし プライドもあるし。。。(笑)



義母の葬儀のこの日は 
朝から強めの雨が降り続いており、
椅子であることばかりでなく、

駐車場が広いこと(田舎では全員 車で動く)、
いったん建物の中に入ったら
あとは雨に濡れる心配がないこと、
お手洗いが広くて 列を作って並んで待つ必要がないこと、
などなど、
自宅葬ではかなわない利点が多々あった。

斎場を借りての葬儀になって
本当にありがたかった。



葬儀が始まって間もなく
私が強く思ったのは
お経が退屈だ!
と言うことだった。

笑わないでいただきたい。

叱らないでいただきたい。

熱心な学生だったとは言えないが
仮にも仏教学部の卒業生である
寺の娘の私が

「ああ、お経、たいくつ。」

と思ってしまったとしても
不思議ではないと思う。

誰だって退屈なのではないだろうか?

仏教会はもっと工夫して仏陀の教えを説いてほしい!



そうしたら
ふと 聞き覚えのある部分が!

私は 葬儀を執り行う資格はないが
葬儀の際に読まれるお経を
読む練習をしたことはある!

(お経本だって、持っている!)
(どこへやったろう?涙)

その中の ちょっとしたリズムで印象的な部分にさしかかっていたのだ。

ああ!

私、このお経、知ってる!(笑)

それは、「懐かしさ」だった。



意味は よくはわからないまでも(苦笑)、

すこしは だいたいは ちょっぴりは(笑)

どういうことが書いてあったか、
漢字の感じで 想像できたものだった。

ああ、これで退屈しなくて済む、
と 正直 ほっとした。

あくびをかみ殺す回数が減るというものだ。

隣の亭主にバレたら 後で叱られるだろう。

でも 眠いものは眠いのだ。

全員、そうだったろう。



それでも 私の大学の先輩だという僧侶は
なかなかの美声でもあり、

しかも 法則(ほっそく)や歎徳(たんどく)の部分(だと思う)で
かなりわかりやすい日本語で
義母の生前を語ってくれたので
しんみりと聞き入ることができた。

これは
亭主の実家の坂道を降りたところの寺の住職さん、
貴方のおかげ。



退屈していようがいまいが、
葬式だろうが結婚式だろうが、
おかまいなしなのが、ホットフラッシュ!(笑)

この日は冷たい雨が降っていたこともあり、
館内は暖房中。

着物の私は全く寒くない。

寒くないどころか(笑)。

けれど私は日ごろから
電車の中でホットフラッシュに備えて
背筋を伸ばして座っているという鍛錬を積んでいるので(笑)
苦もなく座っていられた。

椅子の背に帯を押し付けることもなく。

その背中を 汗が つー、つー、つー(爆)。