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ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

すみれの花咲く頃

2006-01-23 | 乳がん
この窓に書かずにしらんぷりしておこうかしら、
とも考えたのですが
どうやら
書いたほうが 気持ちが落ち着きそうなので
ちょっとだけ書いておきます。

写真は 我が家の日当たりイマイチな庭にびっしりと咲く
すみれの花。

去年の、いつごろの写真でしょうか。早春?

私は子供の頃から すみれが大好きでした。



当地に来て
それまでのアパート暮らしとは正反対の生活、
庭掃除なども増えたので
腰痛などを抱えながら張り切ってました。

完璧に綺麗にしたかったのです。

そうすると 砂利交じりの庭に
ポチポチと咲いているすみれが目障りで、
一時期 私は 懸命に
草むしりの時に すみれも抜いていました。

けれど すみれは 
その可憐な姿とは対照的に、意外としつこいのです。

根っこが太い!

だから、ひっこぬけないのです。

諦めて今度は
周りの草は抜いても すみれは抜かない事にしました。

芝生は反対されたので、
ならば ‘すみれフ(?)’にしようと。

たびたび除草剤を浴びながらも
がんこに、しつこく生き延びて
はびこって
こんな‘すみれフ’になりました。

そんなすみれだから きっと
すみれさんも
意外と強靭に 頑張り続けてくれる、
と信じていました。



訃報にふれて

ちょっと今おかしくなっている私です。



私の窓でも 「ピアス」とか「不安と怖れ」とかに
すみれさんの言葉が残っていますので

やはりこうして書いておくべきなのかもしれません。

ほかにも色々考えましたし
いろいろ書きたいような気もしますが

書かないほうがいいかもしれないし
それをどう判断するか 今の私にはわからないので
ここでは これだけにとどめておきます。

すみれさん、ありがとうございました。

どうぞやすらかにお眠り下さい。

お会いした事はなかったけれど
貴女のおしゃべりが 大好きでした。

ノッポさん

2006-01-22 | なんでもないこと
NHKの「みんなのうた」という番組は
見ようとして見られる番組ではない。

すぐに終わってしまうから。

先日は たまたま まわしたチャンネルが
(まさか、まわさないけど:笑)
「みんなのうた」の放映を始めた。



なつかしーなー。

と、何となく見ていると 
不思議な衣装のオジサンが 踊ったり歌ったり。

バッタのお爺さんが 
子供バッタに向けて お話をする。

おや?
とよく見ていると
オジサンの口もと、いや、口元から見える歯並びに
なんとなく 見覚えがある。



ふと 気がついて 
「もしかして あの人・・・?」
とずっと見ていたら

バッタの歌は長い歌で、
その一曲で 番組が終わってしまった!

うたは「高見のっぽ」と書いてあった。
(と、思う。)

ああ、やっぱり!

いや、違う!

ノッポさんは「高見映」とかいう名前だったはず。



本のタイトルは覚えていた。

『ノッポさんがしゃべった日』。
(丸善メイツ、1991ごろ? 1300円)

探してみたがない。

もう売っちゃったかな?

あ、あった!

と見つけたのが、写真の本。

この本を買ったきっかけも思い出した。



ノッポさんは 
長い事NHKの子供向け番組「できるかな?」に出演し、
ゴンタくんといっしょに
一切しゃべらずに 色んなものを作ったりしていた
足の長い(?)オジサン。

「……真正面のカメラを見て一呼吸すると、
 <やあ!>と口を切った。

  正直にいうと、突如としてしゃべり始めたのっぽさんを見て
 びっくりするだろうお客様の顔を想像して喜んでいるいたずらごころも、
 初めのうちはあったのだ。

 ……(略)……

 カメラに精一杯の愛想顔を振り向けようとしたが、
 この時、口の方が先手を打ってくれた。
 
 <うわあ、しゃべっちゃった!>」(p9)



「できるかな?」の最終放送日、
その番組の最後の最後に
いつも決してしゃべらないノッポさんが

自分の口と言葉で 最後の挨拶をした時のことだ。

なにしろ長く続いてきた番組だったから、
ショックを受けた人は多かったろう。

そして私も、
その日 たまたまつけたテレビを聞いていて
(見ていたわけではない)、
たまたまその場面に遭遇したのだった。



ウチの子供たちは
さっさと保育園に入れてしまったから
ほとんど「できるかな?」は見ていない。

毎月購読していた子供向けの本には
写真つきで掲載されていたので
知ってはいるようだった。

私は 姉の子供たちが一生懸命見ていたのを知っていたので
私の子供たちよりも むしろ馴染みは深かった。



そして 
24年間もしゃべらなかったのっぽさんがしゃべった
その時に居合わせて
ショック、呆然としていた。

なぜそんなにショックだったのかは、今でもわからない。

ただ それまで 
いつもどおりに しゃべらずに動いていたノッポさんが
挨拶を始めたら
息がはずんでいて、
そんなに息が切れるほど 大変な運動量なのか、
というところにも びっくりしていた。

とまあ、そんなわけで
間もなく出版されたこの本を
買わずにおれなかったわけ。



ちょっと老けた高見映さん(これも芸名)が
改めて 「高見のっぽ」と名前を変えて
得意のステップを踏んで
小さな子供たちへのメッセージを
おじいさんの視点から 送ってくれている。

その歌は・・・おじいさんの歌だと思えば
それなりに上手(笑)。

ノッポさんだと思って聞けば、
やはり、感無量。

セカンド・バースデイ

2006-01-22 | 乳がん
癌の治療からあとの人生をを
新たな人生の日々として考え、
治療開始の日(かな?)を
セカンド・バースデイと呼ぶ人がいる。

第二の誕生日。

人によって少し異なるかもしれないが、
私は手術をした日が誕生日だと思っている。

確かに 最初にこの誕生日が来た時は
感無量だった。



2005年12月、
腹部超音波の日は 術後3年の誕生日だった。

亭主が忙しくなっており、
お祝いも何もなかった(涙)。

もっとも 検査の結果を聞くまでは
お祝いしたい気分ではなかった。



これは 
最初のセカンド・バースデイの頃に比べると
欲深くなっている証拠。

生きてさえいれば、
あるいは ある程度元気に生きていれば
それで充分!
とは 思えなくなっているのだから。



欲深くなっているということは
順調だということなので
それは喜ばしい。

けれど
第二の誕生日を重ねる事の意味が
重ければ重いほど

本来のこの世に生を受けた誕生日の喜びや感動は
薄くなっている。

それほど やはり 癌というのは
重い事実だったのだなあ、と

のんびり ぼんやり 考えている。



写真は
こぼれ種から芽生えたインパチェンスを鉢上げしておいたもの。

絞り咲きのようになっている。

小さいけれど
シクラメンと同じくらいに 華やか。

ピアス(2)

2006-01-21 | なんでもないこと
ゾラデックスの注射
毎月1万7千円くらいかかった。

毎月、毎月、3年間だ。

この不幸な習慣を終えることが出来たら、
ご褒美をあげてもいいじゃない?

毎月毎月、1万7千円の安いピアスを一年間とか!?

ピアスの記事から、
もう一年経っている。



亭主には
「ピアス、買ってね。」
と 再三 頼んでおいた。

自分で買えるほど稼いでいないので。

「いいけど、穴もあいてねえじゃねえか。」

「開けるから!」

(ヨーカドーの宝石売り場前にて:笑)

そのつもりだったんだけど。



娘みたいに友達に開けてもらう、なんてのは
怖くてできない。

皮膚科の先生の所へ行って
開けてもらうつもり。

だったのだが・・・。



秋ごろから耳に湿疹ができている。

治る気配もない。

やっぱり皮膚科か。。。

朝は息子に合わせて早起きし、
夜は亭主に合わせて夜更かししていると
湿疹は治らない。

いつになるやら・・・・・・。

最後のゾラデックス

2006-01-21 | 乳がん
2005年11月。

私は 最後のゾラデックスの注射をした。

まる3年経った。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

キャベツの芯?
それって ぬかみそが塩辛い時に
棄て漬けするもんじゃないの?

という
固定観念から、食べたことがなかった。

意外と美味しかった!!!

**************************************************************


その日は 診察を受けて
肺のレントゲンを撮って
乳腺のエコーをして
血液を採って

次の検査の予約をして。

ゾラデックスの注射は
この一年 主治医に診察室で
お腹に打ってもらっている。

麻酔はしてもらったことはない。
(何故かは不明。)

保険の関係で
リュープリンからゾラデックスになった後は

いつも処置室で カーテンのなかでお腹を出して
若い医師に打ってもらっていたが
(リュープリンの時は 看護士が腕に)、

がんセンターへ向かう足取りが重くなるほど
後々まで痛かったりしていたので

主治医にお願いした。

主治医は触診だけでなく、注射も上手!(笑)



通常2年のゾラデックスをもう一年追加することについては

予後の成績がいいとの確証がない、という主義の医師もあり、
不安ではあったけれど

主治医は 
「あなたの場合はやったほうがいい」という立場をとっていたので

リンパ節に転移があり
硬癌であり
大きさもちょっと大きめだった私は
追加することにしたのだ。

それともうひとつ、
がんセンターに !!!行くしかない!!! ので
私の外出の機会が増えるから(笑)。

がんセンターへ行く事はは 何事にも勝る優先事項だから、
たとえどんなに忙しくても堂々と家を出る(笑)。



よく頑張ったね、私。

あの痛さに耐えて。

絆創膏のカブレにも耐えて。(涙、涙。)

味噌

2006-01-20 | 食生活
都内のホテルに泊まった翌々日、2005年11月、
亭主の親戚の法事で
引き出物になった味噌。

重くて持って帰れなかったので
義父に持っていってもらい、

後日 亭主が引き取ってきた。

それなりに有名な店のものらしい。

「味噌は‘流行り’なのかね」
義父は言った。

他にも どこからか いただいているらしい。



味噌は 健康にいいという。

たとえば、
一日に3回みそ汁を飲む人は
乳がんになりにくい、
と言われた事があった。

これには、笑った!

いくらなんでも、
一日に3回のみそ汁、ということは、
完全なる和食党、ということだろう。

3回みそ汁を飲んで
朝食にパン、お昼にスパゲティは食べないはずだ。

木を見て森を見ず、という言葉があるが
食生活全体を見ることを忘れないように気をつけよう、
と思う。

とにかく、そんなこんなで 
味噌にブームが静かにきているのかもしれない。



この味噌に付いていたパンフレットによれば、

この会社の味噌漬けを
嵐山光三郎氏が絶賛したらしい。

味噌漬けがうまいなら、味噌もうまいはず。

そろそろ 今使っている味噌がなくなるので
この味噌を開ける。

楽しみ!

そういえば

2006-01-20 | なんでもないこと
2005年11月の
都内の某高級(笑)ホテルに泊まった日は
有楽町のマリオンで クリスマス・イルミネーションの
点灯をする日だった。

これから点灯式が始まる、ということで
準備が着々と進められている時に通りかかっていた。

あの頃はちょうどパソ子が
長い入院をしていたが

復帰した時に この窓に載せるべく
デジカメを用意していたので

(それで娘のでっかいオケツを撮った)、

点灯した瞬間の写真を、と思ったが
これから向かう先に決まった時間があったので

もう少しで点灯、という時間に
泣く泣く目的地に向かった。

惜しかったなぁ。。。



その時買ったのが 
帽子と手袋。

寒さに向かう時期、
これからの病院通いの際の 駅の寒さに備えようと。

手袋は 手にはめてみて
いつも冷える手首が 一番あったかいものを選んだ。

ショールと同じ色。

帽子は
強風が吹いても飛ばないような
深くかぶれるニット帽を探した。

一番つばの深い物を選んだ。

毎日 耳まですっぽりかぶり、
日差しを避けて歩く時に使っている。

私の色遍歴

2006-01-19 | なんでもないこと
私は、‘色’が好き。

いろんな、‘色’が好き。

一番好きなのは、グラデーション。

けれど、グラデーションは‘色’ではない。



娘の子育てが始まった時、
どうしても屋外に出るので
防寒のために赤いジャンパーを買った。

真紅。まっか。まっかっか(笑)。

近所の不評を買ったのではないだろうか。

イヤリングも珊瑚の赤が好きだった。

いつも持って歩いていたのは
真っ赤なウエストポーチか
あるいは 真っ赤な まあるいポシェットだった。



その娘を一年保育の公立幼稚園に入れることになり
(そこは働くお母さんのための施設ではない)、
送り迎えが必要になった。

亭主が仕事で出ている時のために
ママ専用の黄色い軽乗用車を買った。

その頃は 
目につくのは みんな、みんな、黄色だった(笑)。



じゃあ、次はなに色だろう・・・?

紫にしようか(笑)。



そうして紫にハマった時期があった。



入院・手術をし、退院した後に
ピンクにハマった時期があったことは

以前 書いた。

それは まだ続いている。

顔色も 元気そうに見えるのがいい。



そうそう、ミントグリーンな気分の頃もあった。



最近は
どうにも赤い色が目につくようになった。

車の色も 赤だと、
「ああ、キレイ。。」
と思って目で追ってしまう。

ケータイも 赤いものに赤いストラップをつけた。
(裏のシールを剥がしたら、
 無事にストラップをつけることができた(笑)。ご報告(汗)。)

これからどんどん赤いものが増えそう?

赤いTシャツ、
亭主や子供たちには
「派手だ!」とか「うわっ!」とか「すごい色!」
と言われるが、

これは元気が出る色、
ジャケットとベストの下に
忍ばせるように着て出かける。

17日のニュース

2006-01-19 | こどものこと
1月17日、
私にとっては
ライブドアよりもヒューザーよりも
気になっていたこと。

それは 宮崎被告の最高裁判決。

数日前に新聞で見てから
ああ、もう少しだ、と 待っていた。



宮崎勤、この名前は忘れる事ができない。

会ったこともない人、 ニュースの中で知っただけの名前でも
忘れられない名前はあるものだ。

小原保(古すぎ?)、大久保清、
他にも忘れられない名前はあるけれど
宮崎被告は 私にとって 特別だ。

なぜなら・・・。



宮崎被告の事件が起きた時期は
ウチの娘が 幼女だった時期だから。

被害に遭った女の子たち
(こちらは 顔も名前も忘れてしまったが)
の ひとりが
年齢も近く、姿や髪型など 娘に良く似ていて

近所でもそっくりだと評判だった。



のみならず、
当地から程近い場所で
女の子がパチンコ屋で、
男の子が公園で 行方不明になっており、

あの当時は 本当に 他人事ではなかったのだ!



虐待を繰り返してしまう親の気持ちはわかっても
子を失った親の悲しみは 想像がつかない。

想像できない。

どんな気持ちなんだろう、と考えると
大抵の場合 想像できるのだが

子供に先立たれる親の気持ち、
可愛い盛りの幼子が 突然いなくなった時の気持ち、
そして 我が子に この世で永遠に会えないとわかった時の
親の気持ちは

想像しようとすると
思考が遮断される。

安全装置が働くらしい。



思考が遮断されたあとに

胸の痛みや 胸の冷たさや
(術側の胸ではなく、胸の真ん中で)
ドキドキや 不自然な呼吸や 
体の冷えを感じ始めていた余韻が残る。

被害者の身内や知り合いの気持ちは
みな同じようだったのだろうと思う。

元気でいたなら 成人していたであろう子供たち。

なんとも辛い事件だった。



被告からは謝罪の言葉も聞けなかったという。

どうしてそのような人間ができあがったのか、
心理的なところを 
解明してもらいたい。

そうしたら
そのような状況になりそうな人を救済することで
今後 被害者を出さずに済むようになるかもしれない。

可哀想な子供を、親を、
これから作らずに済ませられるかもしれない。



ところで、
1.17のメモリアルについての報道が少ない気がしたのは
私だけだろうか?

10年とかの 節目の年ではないから?

確かに 防災とボランティアの日、とされたわけだけれど。

あれ?
ああ、そうか!

1・17だから 『火消し屋小町』(NHK、11時から15分間)が
再放送されてんだ!
(17日は ニュースが多くて長くて?遅くなった。)
(だから眠かった。。。)

ホーム・カミング・デイ

2006-01-18 | 考えたこと
2005年11月
ホーム・カミング・デイというのがあった。

通知が来たときは なんだろう?と思った。

どうやら、同窓会のようなものらしい。



卒業してから 何年たったろう?

そうとう、経ってる(笑)。

新しい建物が建った、と聞いている。

友達は 最近 行き来しているらしいが
私は行ったことがない。

ミュージシャンの講演があるという。

演奏もあるに違いない。

しかも、タダ(笑)。



ふだん忙しい友達が、「その日だけ空いてる。」と言うので、

「ねえ、行こうよう。。」
と無理やり誘って 行くことにする。

その頃 家にばかりいるようになって、
クシャクシャしていたのもある。

せっかく亭主が 行っていいと許可してくれたのに
その日に出ないと 
また家に閉じ込められる。

私としては ちょっと思い切った外出ではあった。



久々に立つ駅前。

並んでいた古い家並みが
どでかいマンションになっている。

立ち並ぶマンション、
その一角の喫茶店で友達と会い、

昔懐かしいラーメン屋でお昼にして、
校内へ。



ミュージシャンのお話、演奏は
まずまずの面白さ。

これがタダなら、安い!(笑)

その後 立食のパーティー会場に移る。

え?

私は貴女とのおしゃべりを楽しみにしたから、
そっちは欠席に○つけたよ・・・。

まあ、いいや。

誰もなんとも言わないだろう。



出席して良かった!

懐かしい顔に たくさん逢えたから。

同級生と結婚した下級生、
彼とは結婚式以来。

美術部の先輩、彼女とは卒業以来。

おや、
学校では年が違うので 一緒になった事はなかったが
後に私の職場にアルバイトに来ていた(元)若い子が・・・。

その他、なんとなんと 懐かしい顔のオン・パレード!

(男の人って、
 おつむが寂しくなっていたり、 真っ白になっていたり、
 けっこう変化が大きい。)



普段は顔の広い友達の影に隠れて
目立たないはずの私、

この日は
知った顔、懐かしい顔が多くて
興奮しっぱなし!


友達には
「大丈夫?

 すっごいテンション高いよ。
 
 大丈夫?」

と心配されたほど。

これが興奮せずにおれますか!!!



確かに、
大きな声でしゃべったり
笑ったり
びっくりして叫んでみたりで、

体の芯?体の軸?が疲れた。

どうしようもなく、疲れた。



ああ、いつも、この軸を使っていなかったんだな、と思った。

しゃべらないし 
歌わないし
ましてや
笑わないし。

へとへとにはなったけど
興奮して
(ああ、普段 興奮なんてしないなぁ。)
心地よい疲れ?



忙しい友達には つき合わせて悪かったかな、
とは思ったけど
思い切って行って良かった。



このころ、
私は 首や肩のコリに悩まされていた。

治療に行っても すぐに凝ってしまう。

放射線治療以後
週に一度通うようになってからは
どんどん良くなってきていたので、

不思議なくらいだった。



満足して座っていた帰りの電車のシートで、
私は首を左右に動かしてみた。

ボキっとか グギっとか グキグキグキとか音がして
すっきりすることがあるから、
私は無意識のうちに 首を動かすようになっている。

首は ポキとも言わず、
コリはとれなかった。

そのあと、
肩こり体操の一環として、
肩を上げた。

力を入れて、
両肩を耳につけるように、
ギュ~~~!



その時!
肩の辺りで
‘ボキボキボキ’というか
‘グギグギグギ’というか
‘バリバリバリ’というか、

とにかく ものすごい音がした!

そして 肩からす~~~~と力が抜けて
コリが空気中に溶けるように消えていった。

あ~~~~~。

ストレスがたまっていたのね~~。



やっぱり私は 人が好き、人と会うのが好き、おしゃべりが好き。

人と会って
しゃべって 笑って 
そして コリが取れたんだわ~~。

またまた、忙しい亭主

2006-01-17 | なんでもないこと
2005年10月は
私はがんセンターと 
整体・歯科・鍼灸の治療院めぐり、
これ以外に出かけていない。

亭主がまたまた忙しくなり、
毎日家にいないから。

ビッグ・イベントは6月に終わったが
引き受けた仕事が終わったわけではない。

そして
空いている日には 亭主はイバラキへ行った。



外食もカラオケもなくなり、

息子とふたりきりの食事、

疲れて無愛想な亭主、

ひとりだけメいっぱい外で元気に遊んで
家には寝に帰るだけの娘。

ま、元に戻っただけなんだけどね。



毎日毎日 誰ともしゃべらず、
ひとりで留守番をする日々。

気が変になりそう。

それでも この頃は
以前ほどの過食はなくなった。(少しだけ、ね。)

寂しさに慣れたのかな?

‘ひとり’はもともと好きだったし。



写真は きのうの大根畑。

葉っぱは 鳥に食べられたわけではないだろう。

寒さと乾燥のせいらしい。

多少見栄えが悪くても
味も栄養も詰まってると思うんだけど。

美味しい?

2006-01-17 | なんでもないこと
私の 永田式で育てているブロッコリー、
実?というか、花の蕾がついた。

ところが、
日に日に葉っぱがなくなってゆく。



昨日 息子を迎えに行った帰りに
バタバタと大慌てで飛び立った鳥を見た。

土鳩かと思った。

今朝
強風の中 息子を駅まで送っていった帰りに
また 飛び立つ鳥が。

また、土鳩?

と思ったら、キョッっと声を発した。

土鳩は ああは鳴かないと思う。



見れば、昨日撮影した時よりもさらに
葉っぱがなくなっている・・・。

これは
ヨトウムシにやられた後も捨てられずに植えたままにしてある
もっと小さい苗。

きのうは葉っぱらしく見えていたのに。。



美味しい?

そうでしょう?

アブラナ科の野菜は 癌の予防にいいと聞くし。

ちょい、悔しい。

そういえば 去年は
せっかく寒い中がんばっているユリの新芽が
ついばまれて 葉の伸展ができずにいたのだっけ。



果たして、
私のブロッコリーは
順調に生育するのであろうか・・・?
(というか、ちゃんと収穫できるのだろうか?)

「ほきる」

2006-01-16 | 考えたこと
雨が止んで
土が黒々として
喉の渇きを癒してほっとしたような表情になった。


wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

今朝は 久しぶりに4キロのウォーキングに出た。

空気も冷たくなく、風も穏やかだったので。

すると
晴れていた空に
どんどん雲が広がっていった。

たちまちどんよりとした空になって
気温も上がらなかったけれど

昼ごろには また晴れてきた。

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


寒い日が続いて 雨が降らないと
路地の野菜は 生長が遅い。

雪のせいばかりでなく
野菜が高騰している。

けれど 今回 雨が降って
土が湿ったので
暖かい日がくると
野菜は急に伸びる。

当地では ‘ほきる’と言う。

イバラキでも‘ほきる’、‘ほぎる’と言った。

あるいは、‘いがく(大きく)なる'と言った。



忘れられないのは、

息子が赤ん坊の時に
ベビーカーに寝かせて
保育園のお姉ちゃんを迎えに出たら

近所のおじさんにあい、

「ビニールをかけてちゃあ、
 かなり ‘ほきちゃう’よ。」
と バリバリの当地の言葉で言われた事。

その日は 雨降りだったので、
ベビーカーに 透明なカバーを掛けていたのだ。

息子がビニール・トンネルのなかの
ほうれん草か何かのように思えたのだろう。



『いばらぎじゃなくていばらき』の中の
茨城弁大辞典によると
‘ほきる’と言うのは 「植物などが育つ」の意。
とある(笑)。

国語辞典や 古語辞典には
(探した限りにおいては)見つからないので、
‘ほきる’は 純然たる‘方言’なのだろう(笑)。

日本語は、面白い。



ほうれん草をはじめとする野菜たちが
これから‘ほきる’だろうから
当地の農家は 大忙しになるに違いない。

皆さんの為に 少しは安くなることを祈ろう。


働く女性と家事

2006-01-16 | 考えたこと
家事の中で 一番大事なものは 
料理だと思う。

食べるものが 人の身体を作る。

何を選び、どう食べさせるかは
とても大事な、毎日の 大仕事なはずだ。

昔の人は それを 一日に三度の仕事、
‘おさんどん’と呼んだ(笑)。


kkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkk

年末に出汁をとるのにたくさん使った昆布を冷凍しておき、
二日がかりで ことことと炊く。

たっぷりの水に そばつゆを(適当に)入れて、
水分がなくなるまで。

みりんを落とせば おいしい佃煮のできあがり!

うん、今回は成功!

柔らかくできた。

水あめは要らない。

kkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkk



これからの時代は
専業主婦は もっとも贅沢な職業になるのかもしれない、
と書かれた記事を読んだ。

そうかもしれない。

昆布を ふつかがかりで柔らかく炊いたところで、
「ばっかじゃないの!?」と思う人のほうが
多いのではないだろうか。

女性の社会進出を後押ししたものに
自動炊飯器の発明がある、と言われる。

自動炊飯器がある限り、
いや、たとえなくたったとしても
一度 他に認められる快感を味わった女性は
家庭に入って満足することは 少ないと思う。



女性も働くのが当り前の地域では
美味しいお惣菜が 安く食べられる事が多い。
(ような気がする。)

屋台が並んでいて、
夕方から家族でそこで晩ご飯、なんて、
うらやましい風景だ。



私は 古い人間と新しい人間の 
ちょうど中間のアタマを持っているらしく、
外に出たいオンナは どんどん外に出るべきだ、
と思っている。

けれど 自分の事を考えた場合、
家事をしないのは 心苦しい。

遊んでいて 稼いでいないと
ちょっとお高い自分のものを買うのは
気が引ける。



外で働いている女性が
家に帰ってきてまで働かざるを得ないのは
間違っていると思う。

家事をするなら 負担を分け合うべきだ。

私がお勤めしていた頃、私は体力もなかったけど
奥さんがほしいと 半ば本気で思っていた。

玄関で(と言っても一間のアパートだけど)
倒れるように横になり、
どうにか靴を脱いで
そのままそこで寝てしまうこともあった。

目を覚ますと 腹ペコで
お米を研がなくては ご飯が炊けない、
時間はどんどん遅くなる、
お腹が空いてるから イライラする、
早く食べてしまわないと
銭湯が閉まってしまう、
そんな夜も 時々あった。



屋台が並ぶ風景も 都会ならでは、
田舎はまた別なのだろうけれど、

自分では時間をかけて作らずに

栄養があって
余計なものが添加してなくて
食べ飽きなくて
美味しい食事を廉価に提供してくれるお店が
いっぱいあったら

そしたら 働く女性は助かるなあ。

あんなふうな風景が
もし日本に広がっても
当地では無理だろうから
意味がないかなあ。



スローフードなることばができて
昔ながらの ‘良い食べ物’が見直されているのは
良い事だし、ありがたいと思うが、
作るのは時間がかかる。

(だから‘スロー’と言うのだけどね。)

これからも 働く女性は減らないだろうから、
なんとか みんながラクに
‘良い食べ物’を食べられるようにならないだろうか?

くるみ餅

2006-01-15 | 食生活
新年が明けた後の
NHK「年の初めは さだまさし」の中で
紹介されていた 日本各地のお雑煮。

私の注意をひきつけたのは
東北のどこかの県の くるみ餅だった。
(宮城だったと思ったんだけど?)

お吸い物に入れたお持ちを
別の器のくるみにまぶして食べる。

美味しそうじゃない?



亭主の朝ご飯用に 
切り餅をきらさずに置く習慣のついた我が家。

今朝はくるみ餅にしてみた!



昨夜 陰暦の発想の中に
くるみ餅について書かれた部分を読んで、
思い立ったので。
(あれ? くるみ餅って、岩手県だった?)

それと、昨夜の澄まし汁が残っていたので。(^^ゞ



くるみは 年が明けて間もなく 買い込んであった。

製菓用の、アメリカ産くるみ、45グラムを3袋。

これを 年代物フードプロセッサーで、が~~~っと。

その後、すり鉢でゴリゴリしながら、味付け。

砂糖と醤油で味付け、緑茶(!)でのばしてタレにする・・・、と。



くるみが好きな私、
たっぷりまぶすと美味しい。

でも どうみてもこれは 緑茶が足りない?

タレには見えない?

考えてみたら、
食べた事ないものは 作れないのよね。

(だから、奥さんを 美味しいお店に連れて行くといいのよ!)

もう少しよく調べてから作ればよかったかな?

でも こういう事って、‘勢い’が必要だから。(イイワケ。)

暦には 「小正月」とか「小豆粥」とか書かれている今日。

小豆粥は 二日がかりだからね。