ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

生きること 死ぬこと

2018-02-26 | なんでもないこと
「生きること 死ぬこと」と ブログタイトルの下に書いてある。

私が「考えたい」こと、つまり このブログに「書きたいこと」だった。

それは、今でも変わりがない。



若い頃から「生きること 死ぬこと」については
いろいろと考えてはきた。

けれど それを声に出すのは ちょっとどうか、という思いがあった。

いくらお寺の子だからって。。。



それが、乳がん患者になって、
「口に出してもいいんじゃないか?」
と 免罪符を得たような気持になった。

この「窓」は、
それを表出するための「場」としての存在が
私の中で 一番だったかもしれない。

(ま、くだらない事を書く事が多いし、
 またそれが 一番楽しいんだけれども。)





ほぼ日刊イトイ新聞というのがある。

ブログを始めたばかりの頃に出会って、
離れた時期もあった。

スマホにして間もなく再会、
それから ほぼ毎日チェックしている。

そのトップに「今日のダーリン」というイトイ氏のエッセイがある。



ある日、「今日のダーリン」を読んで、
あら、私一緒だ、と思った。

ブログに書きたい、と思った。

けれど、「今日のダーリン」は水物で、
翌日の「昨日の今日のダーリン」になった翌日には 
どれも、ほぼすべて、見られなくなってしまう。



この日の「ダーリン」は違った。

たくさんの人から 感想メールが届いたようだ。

だから、「postman@1101.comから」 と言う場所に取り上げられて、
残る事になった。

その感想メールが、またステキだった。

すべて、「死」についての事。

私に言わせれば、すべては <仏教> だ(笑)。



今日のダーリン「死のことを考えています。」



これも、そのうち見られなくなってしまうのだろうか?

困るなー。



人は「死ぬこと 生きること」について考える時、
みな 哲学者になる。

詩人になる。

深く考える。

答えは、出ない。

だから、考え続ける。



親の死。

子どもの死。

ペットの死。

患者の死。

自分自身の死。



「死」は 決して どれも 同じではない。

けれど、命の重みは どれも同じだ。

だから、送られたメールに記されたどの「死」も 
同じようにに重い。

ステキな文章たちい会えた。





私は これからも 「生きること 死ぬこと」について
考え続けるだろう。

そして 大切なこと くだらないことについても
考え続けるだろう。

そして 
こうして 気まぐれに この「窓」に綴るのだ。



読んで下さって、ありがとう。



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