ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

農業は博打だ!

2005-02-17 | 明るい農村
キレイに整地されて、
次の作物を待つ畑。
今度は何のタネを蒔いてもらえるのか?
ワクワクしているだろうか。
今度は何のタネを蒔こうか?
お百姓はドキドキしているかもしれない。



かつて農村に生まれて育ち、
今現在 農村で生活している。
一度も田畑を耕作した事は ないけれど、
そこでとれた農作物を 日々の糧としている限り、
関心を失うことはない。

農家の人には チャンチャラおかしい話かもしれないが、
農業について 思っていることを 時々綴ってみようと思う。



「農業は、バクチだよぅ。」
当地に来て、時々聞く言葉だ。
畑に何のタネを蒔くか。
それで 一年の収入の額に ぐんと違いが出る。

いわゆる、「当たる」か「はずれる」か、だ。
もし「当たる」と、
作った量(というか、広さというか)によるが、
莫大なモウケが出る。

もう何年も前になるが、
にんじんが「当たった」年があった。
にんじん農家は、にんじんの収入だけで
家が建ったという。
近所でも 多めに作っていた人は
新車を買ったりしていた。

このにんじんの当たり年は2年続いて、
3年目には暴落した。
多分 国内のよその土地のにんじんの作柄が悪くて
全体的な収量が 少なかったのが、
持ち直したのだろう。



普段から 他の地方や 
同じ関東でも ライバル関係(?)にある他の地域の 
収量の多寡は よく話題に上る。

去年は台風の被害などがあって、
一時期は 値が良かった(卸値が高かった)らしく、
農家の人は ホクホク顔だった。

さすがに 去年の台風被害は 尋常でなかったので、
はっきり言葉にする人はいなかったが、
よその土地の自然災害や 悪天候のおかげで
収入は 同じ作付面積でも グンと上がるのだ。

そして彼らは 働いても収入に結びつかない日が
自分達にも いつやってくるかわからない、
ということを 充分承知している。



テレビのニュースで、
キャベツが安くて喜んでいる頃に
キャベツ畑を トラクターで「かんまして」いる様子を
見た事はないだろうか?

キャベツの卸値が安いので、
出荷せずに 
畑に実った まぁるいキャベツごと、
畑にすき込んでしまう。

「もったいない!」
と思わない人はいないと思う。

私は当地に来て その様子をつぶさにこの目で見た。
実に痛ましい風景だ。

けれど、一番心を痛めているのは、
丹精して作ってきたお百姓なのだ。



「箱代にもなんねえ。」
そんな言葉をよく聞く年がある。
大切な、デリケートな野菜を詰める箱は
がっしりと丈夫で、一箱何百円もする。

その箱に 収穫して きれいにした野菜を詰めて 
トラックに積み込み、市場へ持っていって、
得られる収入が、一箱 数百円。

箱代よりも安い年がある。
手間を考えると、
出荷はできない。

どんな気持ちでトラクターを操るのか。

立派に実った作物を出荷する時には
娘を嫁にやるよう、とまではいわなくても、
きっと 誇らしい気持ちで 箱につめているはず。

「こんな時もあるさ」と諦めているのかもしれない。



「値がいい」時には 
スーパーで私には買える値段ではない。
「今、○○が 値がいいんだよ。」
と喜ぶ顔を見ても 複雑な思いだが、
近所の人に お野菜をいただけるから、ではなく、
やはり お百姓には
「収穫の喜び」を存分に味わってもらいたいと思う。

雨が多すぎても少なすぎても 収量に影響する。
お日様がなければ 作物は生長しない。
誰のせいでもなく、
一年の苦労がフイになったこともあった。

それでも彼らは 今年も畑に タネを蒔き、
苗を作り、苗を植え、
肥料をやり、雑草を取り、
暑い日も 風の強い日も 底冷えする日も
畑に出るのだろう。

私たちは 彼らによって 生かされている。
食料自給率40%の日本の、
お百姓達に 敬意を表する。